これからの建築スケッチ

第9信 人々が行き交う場所

2014.08.30更新

 夏の夕暮れ時に、電車のスピードがゆっくりと減速し、重たい窓を開けると鋭い西日とともに欧州らしい乾いた風が、イタリア鉄道のインター・シティ列車の中に入ってくる。三人が向かい合うコンパートメントの六人掛けの椅子に座って、車窓から見えるミラノ駅の風景は、あまりにも美しい。遠くに見える駅舎に向かって、連続する繊細な鉄骨アーチの中に吸い込まれていく。その大きな傘に包み込まれるような感覚に心が安らぎ、まるで祝福されているようである。

 ミラノ中央駅に降り立ったとき、私は一枚の絵画を思い出す。印象派の巨匠クロード・モネが描いた《サン・ラザール駅》が、それだ。駅に入ってくる蒸気機関車が吐き出す煙と、フランスの青空に浮かぶ雲が絶妙に調和して、切り妻屋根の駅舎の軽やかな天井に守られているような雰囲気をよく表している。壮大な駅舎に響く、活気あふれた街の声が聴こえてきそうな一枚だ。この名画が飾られているパリのオルセー美術館もまた、昔は駅舎だった建築というのも興味深い。

 人は、自分の想像を超える美しさやスケールのものと対峙すると、言葉を失う。それが、自然の山であってもそうだが、とりわけ、人工物であれば、なおのこと、その作られ方に想いを馳せて、絶句する。ミラノ中央駅がもっている鉄骨造の佇まいも、モネの絵画の捉える印象も、あらゆる人を一気に包含するような駅舎がもつ圧巻のスケールであり、強く放たれたエネルギーである。

 駅舎や空港は、旅の大事な拠点だ。現代文明において、人間が高速で移動することが容易になったことで、実際は駅舎と駅舎、もしくは空港から空港へと移動することで旅が始まり、旅が終わる。日常と言い換えてもいいかもしれない。都市と都市の間を電車であれ、飛行機であれ、移動するときのファーストコンタクトこそが、ターミナル建築である。しかし、ターミナル建築は、アクセスの拠点であり、旅の「端」であるため、そこに行くことや、滞在すること自体は、目的にならない。要するに、新しい場所への「扉」として機能する。それぞれの街の玄関口なのだ。


 飛行機は、スペースシャトルを除けば、われわれが最も早く移動できる乗り物である。滑走路で勢いをつけて空を飛び、雲の上を移動する。目的地の付近にくると、下降して、滑走路にランディングするため、移動中の風景のほとんどは、雲の上である。大きな雲の絨毯を見ていても、相対的な対象が空しかないため、移動しているスピードを実感することは難しい。なので、飛行機に乗り下りする場所である空港が、旅の記憶の両端を占めることになる。
 国が替われば、そこにいる人も、言語も、貨幣も違う。文化や価値観も違って当たり前だ。緯度経度が違えば、太陽の光の角度も違い、天候によっても、そこに漂う空気は異質なものに変容する。南半球で夏だったのが、北半球では冬ということもある。そうした変化、あるいは違いをそれぞれの空港建築が体現することができるのだろうか。もしくは、体現する必要がそもそもあるのだろうか。

 私の印象としては、何となく世界の空港建築は、どこも似たり寄ったりな印象が強い。あまり深く記憶に残るような風景を提示してくれない。空港建築を構成している素材がコンクリートとガラスで、世界中のどこに行っても同じであり、デザインにおいても、特別な様式などはなく、モダンで当たり障りのないものが多いように見受けられる。空港の中にあるレストランやカフェ、免税店などのお店のブランドもグローバル化されて、共通していることも、空港がどこも似た印象を与える要因となっていることは間違いない。空港で流れるポップミュージックまで類似しているありさまだ。

 パスポート・コントロールという大切な仕事を果たせば、あとは旅の拠点として、なるべくスムーズに都市へと連結できればいい。そういう意味では、空港は、場所のようで場所でないのかもしれない。遠くに旅立つ息子との別れや、恋人たちのドラマチックな再会の場であっても、そこは基本的に滞在する空間ではなく、人々が通り過ぎていく場所であることは、じつに特徴的である。

 物理的な移動による変化のバッファーゾーンとしてターミナル建築は存在し、なるべく前に居た都市と新しい都市との接続が負担なく、なめらかに繋がるための舞台、あるいは「プラットフォーム」として機能しなければならない。そこで、「いってらっしゃい」や「おかえり」という歓迎の挨拶をしてくれるような優しい空間が求められる。ターミナル建築は、決して何かを強く主張するものではなく、ごくごく自然と来客者たちを新しい場所へと誘うように通過するゲート(門)なのである。

 合理的に計画されてわかり易い動線計画は、絶対条件だろう。その国の言語が読めなくても分かるような、色使いなども工夫した適切なサイン計画も大きな役割を果たす。更に、ちょっとした休めるベンチや、緑が配置されたりした気配りが施されていると良い。ニューヨークにあるJFK空港のTWAターミナルは、モダニズムの先駆的な建築家エーロ・サーリネンによって設計され、有機的なデザインが印象的な建築である。この鳥の羽根のような造形をした空港に流れる空気感は、一度体験すると、忘れることがない特別なものである。何よりニューヨークという街に来た、という実感をしっかりもたらせてくれる。

 映画監督のスティーヴン・スピルバーグは、このJFK空港を舞台に『ターミナル』(2004)という映画をつくった。トム・ハンクス演じるビクター・ナボルスキーは、フライト中に自国(クラコウジア共和国という架空の国)が消滅したために、身動きがとれなくなり、英語も話せないのに空港内に閉じ込められることになる。人々が通り過ぎていく空港は、人が住まうためにアフォードされていないが、そこに住むという意外性が面白く、彼は友人をつくりながら必死に生きていく愉快な映画である。


 ターミナル建築の素晴らしさは、冒頭で紹介したミラノ中央駅のように、歴史を感じさせてくれることにある。日々たくさんの人々が行き交う駅舎に流れる時間が、過去からずっと今に続く時間の端であり、長い時間感覚が共有される。同じ売店で新聞を買うと言ったルーティンがあると、堆積する時間感覚もわかり易い。いつも「変わらない」でここにあり続けるということが、ハーバー(港)として利用者の心を安心させる。ずっと変わらぬ風景は、長い時間をかけて街とよく馴染むようになり、同化していく。

 世界には、マドリードのアトーチャ駅のように、構内に植物園のようなカフェ・テラスがあるものもある。駅舎に到着した途端、驚いた。砂漠のように乾いた大地が広がる南スペインにあって、緑豊かな潤いで、旅行客を全力で歓迎してくれるのだ。このような、その場所にしか実現できない多様な風景をつくり出す豊かさは、単なる思いつきのアイデアでは実現できない。日本の地方都市によく見られる、へんてこりんな彫刻が設置される殺風景な駅前広場のようなアイデアではない。

 しっかりとその場所に根づいた素敵なターミナル建築をつくるのには、時間がかかるのだ。地域の人たちによる公共の感覚が共有された結果でなければ、継続される空間は生まれない。ハードとしての建築の前に、ソフトとしての祭りのような地域の人たちが集う機会も必要になってくる。

 先に空間が「変わらない」ことを良いこととして述べたが、それは、建築の骨格の話であって、まったくの不変であり続けることを意味しない。細部においては、少しずつ時代とともに柔軟に変化しながら、生き生きした空間にこそ、長い時間に耐えるような強度が宿るのだ。
 旅の目的になることがないターミナル建築にとって、この「通過点」としてのあり方を考えたい。無目的であるからこそ、その土地の人たちとの共同作業による自然体のプラットフォームとつくることが大切になる。マイナーチェンジを重ねながらも、地域社会という集団の集合知がゆっくり反映されながら形成される空間にこそ、愛されるターミナル建築が可能となるだろう。

 JFK空港のように上品なシンボル性も兼ね備えた、街の自慢になるターミナル建築が、それぞれの場所の文化と風土を適度に取り入れた差異をみせてくれることが望ましい。アジアの空港は、竹で天井をつくったり、イスラムの駅は、床にタイルや絨毯を敷いたり、アフリカでは、大きな赤い土壁などがあっても面白い。要するに、それぞれのターミナル建築がその国の特徴的な素材でつくられると、その場所のもつ空気が変わり、振動も変化することで音楽が変容すると私は、思う。

 グローバリゼーションという名の下で、単調に画一化が進みつつあることに、どこか危機感を覚えている。本当に恐ろしいのは、世界が似たような価値観をもつ人間ばかりになると、そうした人々が集う場所もまた、どこもツルツルピカピカな空間を善しとするようになってしまい、同型のつまらない建築が増殖され続けてしまう。まずは、各都市を結ぶネットワークである空港や駅舎といったターミナル建築が、旅の大切な拠点として機能するためにも、それぞれにローカルな要素を程よく取り入れることからはじめたい。その結果、多様なものが同居する強靭な空間が少しずつ出来上がり、世界中の旅人たちを優しく歓迎できるだろう。そうした試みの延長線上に、モネの名画の先にある、21世紀の駅舎の風景があり、それをみんなでつくり上げたいものである。

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光嶋裕介こうしま・ゆうすけ

建築家。東京・目黒と、兵庫・神戸在住。

1979年、アメリカ、ニュージャージー州生まれ。男三兄弟の次男。8歳までアメリカで育ち、「ブライアン」というミドルネームを持つ。帰国して、奈良の小学校を卒業すると、また父の転勤でトロントとマンチェスターで中学生活を送る。
1995年、単身帰国し、早稲田大学本庄高等学院に入学。大学時代は毎年夏休みに5、6週間のひとり旅。行き先はいつも憧れのヨーロッパ。
2002年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、大学院は石山修武研究室へ。
2004年、大学院卒業とともにドイツの建築設計事務所で働き、ベルリン生活を満喫。4年後に帰国し、事務所を開設。一級建築士免許取得。その間、内装設計やコンペ、ドローイングに銅版画を描いたりする毎日。
2010年、思想家の内田樹氏の自宅兼道場(合気道)の設計を依頼され、翌2011年、建築家としての処女作、凱風館(がいふうかん)を神戸に完成。SDレビュー2011に入選。また、凱風館の竣工と共に内田樹師範の下、合気道を始める。凱風館の工事中、糸井重里氏の主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」にて『みんなの家。~建築家1年生の初仕事~』という連載を執筆し、アルテスパブリッシング社より書籍として刊行。ライフワークである「幻想都市」を描いたドローイングをまとめた『幻想都市風景』(羽鳥書店)も同年に刊行。2013年には最新作の『建築武者修行~放課後のベルリン』(イースト・プレス社)を刊行。
2010年より桑沢デザイン研究所、2011年から2012年まで日本大学短期大学部、2013年より大阪市立大学にて非常勤講師を務める。さらに2012年からは、首都大学東京・都市環境学部に助教として勤務中。

光嶋裕介建築設計事務所

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