これからの建築スケッチ

第11信 高層建築の挑戦

2014.12.29更新

 オリーブの木々に囲まれたイタリア中部の街サン・ジミニャーノの風景を、中世の貴族になった気分で想像してみると面白い。流通の拠点として栄え、商人として築き上げた富や社会的成功に対する純粋な欲望を、建築に託して塔を建てていた時代があったのだ。
 この高さへの挑戦は、自分の地位や権力を見せつけたいという自己顕示欲の表れなのである。それほど大きくないこのトスカーナ地方の街には、現在も十数本もの石積みの塔が建っている。戦争被害がなかったことで、中世の雰囲気を今に伝えている。

 特徴的なのは、メルヘンチックな印象を与える先端が尖った屋根ではなく、フラットな直方体であることが目に留まる。なんとなくモダンな印象を漂わせる独特な風景。その昔には、なんと六十二本もの塔が密集していたというから驚きだ。市庁舎や教会が塔を備えることは、防衛としてはもちろんのこと、街のシンボルにもなるし、鐘の音をより遠くまで届けようとすることは容易に想像できる。
 けれども、富の象徴として高さを競い合うようにして過剰に建設されたサン・ジミニャーノの塔たちは、中世から今に残る世界にひとつだけの不思議な風景をつくりあげてしまった。

 塔が密集した風景といえば、やはりマンハッタンの摩天楼が真っ先に脳裏に思い浮ぶ。碁盤の眼のように平等に区切られた敷地の上に、《エンパイア・ステート・ビルディング》や《クライスラー・ビルディング》、《ロックフェラー・センター》など、どこを見ても高い塔のような超高層建築群がぎっしり建てられている。全面ガラス張りで、シャープな超高層ビル群は、圧倒的なスカイラインを描き出した。インターナショナルスタイルと名づけられたこうしたビル群は、20世紀の資本主義社会を象徴する都市の姿なのである。成功を渇望し、手にした富を見せつけようとした結果、巨大な建築は垂直に伸びていった。

 これらの超高層ビル群は、英語で「スカイスクレーパー」と呼ばれる。経済合理性の下、増大する資本が、まさに空をえぐり取る(スクレイプする)ようにして、上へ上へと建築を引き伸ばす。もちろん、中世イタリアに出来上がったサン・ジミニャーノの風景と現代のメトロポリスの決定的な違いは、その大きさ、建築のスケールにある。過密都市における超高層ビル群の建設を可能にした要因は、ふたつ考えられる。

 まずは、20世紀前半に開発された、鉄骨の溶接技術が挙げられる。鉄の部材を現場に搬入するために、トラックに乗り得る大きさが、今までは現場で利用可能な鉄の最大の大きさであった。そうした部材をボルトで繋ぎ合わせながら積み重ねて高さを獲得してきたのだが、接合部の強度が弱かった。
 しかし、現場で部材同士を直接溶接することが可能になり、一体として強度ある鉄の構造体をつくることができるようになった。こうして、強い金属の柱や梁を強固に接合する技術が開発され、建築はニョキニョキと上へ伸びていった。面積的に限られた敷地に対して、最大限の床面積を獲得するという合理性は、地下を掘るか、地上に重ねていくかのどっちかであり、後者が選択されたのである。

 二つ目には、エレベーター技術の向上が果たした役割が大きい。人間は、水平に移動する分には、重力に抗うことがなく、自分の足で歩くことが比較的容易にできる。
 けれども、垂直に移動するためには、階段か、スロープ、あるいは、梯子などを必要とするか、もしくは、電動のエスカレーターか、エレベーターを使用するしかない。地上何百メートルにも及ぶ高さになると、梯子は、もちろんのこと、階段で上がるには相当な体力と時間を必要とする。そのため、安全に早く人を垂直移動させることができるエレベーターの技術開発が競うようにして進められた。

 マンハッタンに限らず、今では東京、香港、上海など、アジアにも多くの超高層ビル群がそびえるメトロポリスが出現している。鉄の溶接技術のみならず、鉄筋コンクリートなど、あらゆる建設技術が向上し、外壁仕上げ材も、軽く表層的になったことは、こうした都市の垂直的な成長を加速させた。
 しかし、それと同時に、ガラスが多用され、安直な様式や装飾が排除されることで、どの高層ビルも似たようなものばかりになってしまった。「国際様式」と言われた故に、国境を越えて共有されたシンプルなスタイルは、結果的にタワー建築としてのシンボル性を失うという皮肉な状況をもたらしていくことになる。

 ただ、上述した二点の技術的な躍進だけが超高層を可能にしたのではもちろんなく、一人の建築家の思想が大きな功績となっている。
 ドイツ出身で、モダニズム建築を牽引するバウハウスの第三代目の校長も務め、後にアメリカに亡命したミース・ファン・デル・ローエである。かなり早い段階からミースは、ガラスという素材に強く惹かれていた。そして、ガラスによって様式なき、透明な建築、ユニヴァーサル・スペースを実現させ、それを積層することで高層建築がつくれるのではないかと確信するようになっていった。

 ベルリンのフリードリッヒ通りに計画したものの、実現まではこぎつけられなかった有名なミースのドローイングがある。重くてずっしりとした様式的な石の建築が並ぶ街に、鋭利に尖ったガラスの建築を想像したのである。透明であることに惹かれたのは、まさに「Less is More(より少ないことが、より豊かである)」と唱えた彼らしい。ミースにとってこれからの建築にふさわしいスタイルへの探求が、このガラスという素材によって、たしかに切り開かれたのである。

 そんなミースの最高傑作である《シーグラム・ビルディング》もまた、マンハッタンの中に今なお堂々と建っている。無駄を一切削ぎ落とし、鉄とガラスだけで美しく設計されたこの高層建築は、都市の中の黒いダイヤモンドの如く、強い輝きを放っている。
 前面の道路からセットバックしてビルが建てられていることで、建物の基壇が生まれ、そこが人々の交流のための広場として機能していることも秀逸だ。最高高度こそ裕に多くのビルに先越されてしまっているが、その考え抜かれたディテール、とりわけ軽やかな鉄とガラスだけで表現された建築の納まりは、多くの建築家のお手本となり、模倣され続けている。

 では、これからの建築も今後ひたすら高くなり続けて、超高層化は進むばかりなのだろうか。いや、私はそうは、思わない。やはり、建設コストや運営面においても塔の最適な大きさや高さというものがある。つまり、仮に千メートルもあるようなビルを建てるとしたら、それこそ人の上下移動のための動線計画が大変難しくて、エレベーターだけでも相当な面積を必要としてしまうのだ。
 加えて、非常階段や機械設備用のバックヤードなどを考慮すると、オフィスにしろ、ホテルにしろ、有効利用できるスペースがあまり確保できなくなってしまう。また、日本のような地震国では、耐震と免震の技術が開発されるも、必要以上に高くする必要がないように思えてくる。東京をはじめ、日本の都市は成熟へと向かいはじめているのかもしれない。ましてや、今後人口も減少していく縮小社会にあって、どこからでも見られるような高さを競い合う建築のつくり方はしなくていいだろう。

 他方で、ドバイやカタールといった中東における都市の猛スピードで進む開発のされ方には疑問が残る。
 潤沢なオイルマネーによる超高層ビル群の建設には、大富豪としての豊かさに対する自負らしき、強いメッセージを感じる。世界に対して、新規ビジネスとしてのオフィスや、レジャーとしての観光を誘致するためには少なからずこうしたファッショナブルな超高層ビルの建設は有効かもしれない。
 しかし、超高層ビルは、強風のため窓ひとつ開けられず、空調管理をはじめ、多くを機械設備に頼る必要がある。要するに莫大なエネルギーを消費してしまうのだ。本当にこのような開発を続けていては、地球の資源が枯渇してしまわないか、と心配になる。むしろ、地球への影響を考えると、超高層ビルこそ、建築的知性と叡智を集結させて、持続可能なモデルを検討し、最も環境配慮型の設計と建設が求められる建築タイプではないだろうか。

 現時点で世界最高の八二八メートルの高さを誇る《ブルジュ・ハリファ》は、かなり離れた場所からもそのシルエットをはっきりと見て取ることができる。最上階から遠くに臨む砂漠越しの地平線は、きっとうっすら丸いのではないかと、想像してしまう。電波塔にとっては、高ければ高いほど、良質なシグナルをより遠くまで送受信できるだろうが、果たして、これほどまでに高さを求め続けることが必要なのだろうか。神への接近を試みる人間のロマンティックな欲望には、限界がある。

 東京などの都心部に乱立するタワーマンションのように建築が高層化されることで、信じられないような眺望を生活に獲得することがあっても、今まで人間が住んだことのない地上数百メートルの場所に、人が集まって住んでいるということを冷静に考えてみると興味深い。
 タワーマンションが建つ前は、そこは人間の領域ではなかった。鳥たちは飛んだであろうが、何もなかったはずの空中だった場所にたくさんの人が住んでいると思うと不思議である。

 天にも届かんばりに高さへの挑戦は、旧約聖書の「バベルの塔」の話しを引くまでもなく、地上から遠く離れて人間が暮らすことへの不自然さが残る。東京のように、土地代が異常に高騰し、狭い土地により多くの床面積を獲得しようと上へと伸びていった資本主義的な結末が、現在の東京の風景といえる。テナントが入らないという理由でダメな建築としてレッテルが貼られ、最終的にはスクラップ・アンド・ビルトで真新しい建築がドンドンつくられていっていく現状には、歴史的な時間感覚や、その場所に対する敬意のようなものが欠如しているように思えてならないのだ。
 建設可能な床面積を少しでも増やしたい(家賃収入を上げたい)がために、つまり建物の容積率を緩和するための「公開空地」なる不思議な制度までつくっているから面白い。それは、文字通り、自分の敷地の一部を公園(空地)のように公開すると、その面積に相当して容積率の規制が緩和されるというものだ。土地が広くて安い地方には、まったく関係ない法律といえる。

 最後に、これからの建築の高層化について、一つ提案してみたい。それは、日本の国土の半分以上が山であり、日本の建築文化が木造建築によって発展してきたことを考えると、高層木造建築の可能性を追求することこそが、日本建築の新しい可能性のひとつではないかということだ。
 日本の山の問題のひとつは、野放しになった木々の使い道がないことであり、木を伐って、製材するまでに要するお金が商品としての木より高いという悪循環が起きている。この問題を解消し、価格を正常に戻すためにも新しい木の需要を開拓し、増やしていく必要がある。
 加えて、日本最古の建築が木造の法隆寺であることからもわかるように、火事から建築を守り、大切に手入れされ続けた木造建築は、長い時間に耐えることができるのだ。五重塔などがあるように、宮大工によって高度に発達された大工技術を今こそ再評価し、継承したい。そのためには、先に述べた鉄の溶接技術の進化と同様に、木造の柱と梁の接合部の工法的な探求や、集成材などの構造的な強度の検証も続けねばならない。また、超高層は、鉄骨やコンクリートに限ったものとして常識になっていることで、木造のための新たな法的な枠組みの整備も必要だろう。そのためには耐火や防火についての実験も進めていかなければならない。

 モダニズムの巨匠ミースの夢見たユニヴァーサルな空間ではなく、日本の風土と環境にリンクした、高層木造建築をつくり、定着させることができれば、きっと素晴らしいものになるだろう。木造建築の高層化は、日本が世界に先立って建築の新しい可能性を示し得る未開拓なフィールドなのである。

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光嶋裕介こうしま・ゆうすけ

建築家。東京・目黒と、兵庫・神戸在住。

1979年、アメリカ、ニュージャージー州生まれ。男三兄弟の次男。8歳までアメリカで育ち、「ブライアン」というミドルネームを持つ。帰国して、奈良の小学校を卒業すると、また父の転勤でトロントとマンチェスターで中学生活を送る。
1995年、単身帰国し、早稲田大学本庄高等学院に入学。大学時代は毎年夏休みに5、6週間のひとり旅。行き先はいつも憧れのヨーロッパ。
2002年、早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、大学院は石山修武研究室へ。
2004年、大学院卒業とともにドイツの建築設計事務所で働き、ベルリン生活を満喫。4年後に帰国し、事務所を開設。一級建築士免許取得。その間、内装設計やコンペ、ドローイングに銅版画を描いたりする毎日。
2010年、思想家の内田樹氏の自宅兼道場(合気道)の設計を依頼され、翌2011年、建築家としての処女作、凱風館(がいふうかん)を神戸に完成。SDレビュー2011に入選。また、凱風館の竣工と共に内田樹師範の下、合気道を始める。凱風館の工事中、糸井重里氏の主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」にて『みんなの家。~建築家1年生の初仕事~』という連載を執筆し、アルテスパブリッシング社より書籍として刊行。ライフワークである「幻想都市」を描いたドローイングをまとめた『幻想都市風景』(羽鳥書店)も同年に刊行。2013年には最新作の『建築武者修行~放課後のベルリン』(イースト・プレス社)を刊行。
2010年より桑沢デザイン研究所、2011年から2012年まで日本大学短期大学部、2013年より大阪市立大学にて非常勤講師を務める。さらに2012年からは、首都大学東京・都市環境学部に助教として勤務中。

光嶋裕介建築設計事務所

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