きんじよ

第1回 かめ

2015.12.03更新


 川端丸太町交差点近くに住んでいる。園子さん、僕、五歳のひとひ。三人暮らしにはたぶん大きすぎる二階建ての町家。「およぎ」の踏水会、京大熊野寮にも近い。
 さらに近くにミシマ社が越してきた。看板を頼りに、ふらっとはいっていったら、向こうも、僕が近所の住人だと周知していた。
 ガケ書房だったホホホ座の店主、山下くんの亀がミシマ社で飼われていた。ガケ書房のガラスに小説を書いたとき、踏まないよう気をつけてください、と真顔で山下くんから注意をうけたその亀に、餌をやるのが、五歳のひとひの楽しみとなった。四歳のころから僕の本に「ひとひ」とサインするのが好きだった。五歳の誕生日をすぎて、ちいちゃい「つ」や濁点はひっかかるものの、ひらがなは全部読めるようになった。そして、新しいことばを大きい紙に書くのも大好きになった。
 これぐらいの年に僕はすでに、『ぶらんこ乗り』のはじめに載せた「たいふう」を書いていたわけだ。人間にはいろいろな可能性が秘められている。
 新刊『且坐喫茶』は、お茶の本だ。日本全国の一風変わった茶人を訪ね、いっしょにお茶をいただいた一年の記録。
「とどけにいこか」
「うん」
 ということで、ひとひと僕と、自転車に乗り込んだ。ひとひのはペダルのない、足で蹴って進むストライダー。僕のロードレーサーにはサドルがない。市役所前広場の駐輪場で盗まれてしまった。ひとの尻の下に二十五年敷かれていたものをもっていって、いったいなにに使うのか。
 川端仁王門の韓国スープ料理屋「ピニョ食堂」に届けた。当然ひとひサイン。ここの主人夫婦にもこの十月赤ちゃんが生まれた。ひとひが生まれたのと同じ月、同じ産院。
 御池大橋を渡って、市役所前広場をつっきったところで、公衆電話をかけた。その間ひとひは「100000tアローントコ」にのぼっていって加地くんと遊んでもらう。ひとひはここでレジ打ちと数字の読みを勉強中。棚の上には愛読書の『頭文字D』を全巻キープしてある。
 「一保堂」にかけてみると渡辺都さんはお留守だった。岡崎方面へ足を伸ばしてみることにした。二条通を西へ西へ、動物園の門をまがって仁王門通、さらに西へ。南禅寺前の交差点で梶裕子さんが手を振っている。梶さんのお店「うつわ屋あか音」では、園子さんや親しいひとの誕生日にいつも食器を買う。ワニが描いてある大皿や、蜂の巣みたいにきれいなガラスのコップ。ひとひは裕子さんを親友だと思っている。加地くんも山下くんも都さんもピニョ夫婦も、みんな親友だと思っている。ひとひの「きんじよ」は、それと同じ。どこにいったって「きんじよ」だ。
『且坐喫茶』にサインし、国際交流会館のソファーで、ひとひと裕子さんは同じお菓子を分け合う。園子さんが作った「りんごポムポム」。前来たときは、ひとひは裕子さんのアルファロメオ・ジュリエッタで家まで送ってもらった。この日は新しく整備された公園でサッカーと「うんどう」をした。帰り、夷川疎水をつむじ風みたいに通り過ぎると、地面にすわった名物のおっちゃん、銅細工の銅心さんの声が、「オーウ、いっつも、げんきやなー」と追いかけてきて滝に落ちた。この疎水をまっすぐいったらミシマ社がある。まっすぐいかず、右に折れて、橋を渡ってうちに帰る。

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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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