きんじよ

第2回 くるま

2015.12.10更新



 十一月末のある朝、進々堂の寺町店で書きものをして、自転車で帰りしな、ふと思い立ってハンドルを切り、桜湯のある通りをはいっていったら、誠光社がオープンしていた。
 もと恵文社の堀部さんが、まっさらな状態からはじめた書店。店内にもやはり、まっさらな木の匂いがたちこめているのは、切り立てそのままの木材が、壁や棚のかたちでその場に林立しているから。
 店の奥のカウンターで、まるで喫茶店のマスターみたいな立ち姿で、堀部さんが、青白い顔をして笑っている。たぶんこの三日間くらい、時計やカレンダーでははかれない時間のなかを、堀部さんのからだは通過してきたのだ。僕は、瀬戸内海の直島で、銭湯「I♡湯」を完成させた当日の、大竹伸朗さんの、「やっちまったよ」とでもいいたげな、はにかんだ笑顔を思いだしていた。
 店じゅうの棚には、堀部さんの時間が凝縮して置かれ、一冊でも抜き出すと、その穴を中心に空間が崩壊しかねなかった。そんなバランスを、五歳の息子ひとひはあっさりと跳躍し、軽々と一冊の本を選びだすと、
「これー」
 とレジの前の僕のところへもってきた。タイトルは「RARE ナショナルジオグラフィックの絶滅危惧種写真集」。それぞれの見開きに、息をのむような美しい、生物の写真があらわれ、ページの端に「1200」や「430」といった数字が掲げられる。この地球に生き残っているその動物の個体数だ。
「おー」
 と嬉しそうに堀部さん。
「いい本、えらぶねー」
 そういわれてひとひも嬉しそうだ。この書店ではじめてひとひが買った本は、この写真集、ということになった。
 自宅から最も近い書店が、ここ誠光社。五歳、六歳を過ぎ、小学生になってから、高校生までのあいだ、ほぼ毎日この書店へ通うことになったなら、それはなんという幸運だろう。
 オープンしたその週の土曜日、夕方の4時頃から、店の奥のスペースに蓄音機のコロちゃんを据え、エルヴィスやスタン・ゲッツのレコードを店内に流した。木製のボディが鳴らす生々しい音は、店内の木材と共鳴し、まるで僕たちは、ゴーシュの奏でるチェロのなかで、からだを休めるねずみにでもなった気分だった。蓄音機イベントは、誠光社でこれから、定期的におこなうことにしようかと、堀部さんとそう話している。
 「くるまの本」が少ないのが、ひとひは少し不満らしい。店の右奥の棚の一番下に、保育社の「カラーブックス」がまとめて並べてある。このなかの「近鉄電車」と「クラシックカー」は、ひとひが「おみせよう」としてキープしてあるもの。ほかのお客さんに買われないよう、自分では上手なつもりで、束のいちばん奥に隠してあるから、興味のあるかたはどうぞ探してみてください。でも、買わないでやってくださいね。





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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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