きんじよ

第5回 こーひー しゃちょう すごい じょうず

2016.01.09更新


 ひとひが成長していくこれまでの過程を、両親の次につぶさに見守ってきてくれたひとが、Hifi Cafeの「よしかわくん」だ。
 2011年の酷暑の夏、敬愛する「日本酒研究家」松井薫さんに「ちょっとすずみにいこか」と、一家で誘われ、足を踏み入れたのが最初。畳敷きの広々とした空間に、四千枚のレコード、旅と音楽にまつわる万巻の書。店主の吉川さんは「あ、どうも」と、樹木の陰から顔をだした森の動物みたいに頭をさげた。生後九ヶ月のひとひは、心地よさげにごろごろと寝返りをうつと、大きく伸びをし、なわばりを確かめる猫のようにハイハイをはじめた。
 町家カフェ、でない、「吉川さんの家」そのものの店の内装を手がけたのが、建築士でもある松井さんだったのだ。
 うちは古い町家で冷房の設備がない。1階2階一台ずつの扇風機で夏の暑さをしのいでいる。とはいえ、どうしてもがまんならない炎暑、というのはあり、そんな午後、Hifi Cafeにでかけるのが日課となった。僕はビール、園子さんはコーヒーフロート、ひとひはゴロゴロ。週に四、五日はかよったろうか。ハイハイがうまくなり、つかまり立ちをし、階段をのぼり(Hifi Cafeの階段が人生初階段だった!)、とっとっと、と歩き。吉川さんはすべてを間近で見ていた。おじいちゃんおばあちゃんとくらべてさえ、会っている回数は段違いに多い。
 一番の常連であるひとひは吉川さんを「社長」と呼びはじめた。ことばをおぼえたてのひとひは、Hifi Cafeにいくことを、「しゃちょーとこ、いく」といいだした。生後半年でレコード好き、去年まで3度つづけて「レコマツ」のステージでDJをつとめたひとひにとって、「しゃちょーとこ」は、家の外にある「じぶんのへや」である。
 「外」にある「内」。そういう場所をいくつもっているかで、京都で生きていく楽しみの量が決まってくる、というところもある。Hifi Cafe。國田屋酒店。誠光社。ミシマ社。100000tアローントコ。ひとひが生きている実感として、住所や距離をこえ、すべての場所が、ドア一枚へだてた「じぶんのへや」なのにちがいない。
 最近は若い女性ふたり連れ、なんていう光景もふえた。遠く九州から訪ねてきた初老の夫婦もいる。あの格子戸の前で、みなが、ああ、今日もやっててくれた、と少しだけほっとする、京都の、レコードの穴みたいな喫茶店は、今年で5周年をむかえる。ひとひもそれにあわせ6歳になる。内と外は、くるくると循環しながら、じょじょに膨らみ、ひろがっていく。
 週に二度は、Hifi Cafeにいこう。五歳の店の、これからの成長を見守っていこう。
 二年前だったか、冬のある日訪ねると、吉川さんが心なしか、しょんぼりとした横顔をみせている。
 頃合いをみてカウンターから声をかける。
「きのう、十日戎、いってきたんです。柄にもなく」
 吉川さんは訥々と、いつもの調子でいった。
「ところが、手を合わせた瞬間、家内安全、って祈願してしまったんです」
 こんな店主が、ひとり十五分かけて一杯のコーヒーを煎れる。四人だと1時間。みなさん、Hifi Cafeにいきましょう。


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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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