きんじよ

第12回 ふくろう おこじょ らいおん

2016.03.05更新


 この連載「きんじよ」のビジュアル担当・ひとひは毎週金曜日、ミシマ社にでかけていき、あたらしい「字」を筆ペンで書いては、オリジナルで作ってもらった「きんじよ」シールを、やはりオリジナルで作ってもらったカラーの台紙に貼る。
 それが十二回、都合まる三ヶ月つづき、台紙にあいていた十二個の○が、すべてシールで埋まった。ひとひはミシマ社から、うまれてはじめて(あたりまえか)「きゅうりょう」をもらえることになった。
 ミシマ社のこたつで、
「どんなきゅうりょうがいい?」
 みんなでたずねた。台紙のデザインは「山」をあしらってあったので、ふだんの乗り物趣味を発揮して、「ラリーカー」とか「とざんでんしゃ」とか、こたえが返るかとおもっていたら、意外なことに、
「どーぶつ、ね」
 ひとひはニヤニヤ笑い、きっぱりいいきった。
「おやまの、どーぶつで、おねがいします。ぴっぴ(ひとひの自称)、さいきん、どーぶつ、めっちゃすきなってきてん」
 あ、そう。
 ということで二日後、うららかな春の金曜日、ひとひはいそいそ、ミシマ社へ「きゅうりょう」を受け取りにいった。「せいかつだん」で覚えた風呂敷包みに、「おこじょ」と「ライオン」2頭をつれて。ひとひを待ち受けていたのは、ふわふわの羽毛の、ちいさなこどものシロフクロウだった。
「うわあ」
 といって抱きすくめ、ほおずりする。シロフクロウの顔がこころなしか、ほっ、と和らいでみえる。
 「さいきん、すきなってきた」どころではない。いま、座敷で振り返ると、パンダ、シロイルカ、アシカ、イルカ三頭、ロバ、スナメリ、柴犬、サラブレッド、キリン、カバ、スヌーピー、ペルシャねこ、こまねこと、カゴふたつ分、「どーぶつ」の山である。
 園子さんと結婚したとき、引っ越し荷物のなかに、衣類や、本やCDのケースにまじって、「大家族」とマジックで書かれた巨大な段ボール箱があった。なんだろう、とひそかに覗いてみると、カエルのカーミット、外国のゾウ、黒イヌなど、目を見開いたまま笑顔ですし詰めになっていて、僕は息をのみ、あわてて箱ののふたをしめた、ということがあった。
 といって僕自身、浅草に住んでいた頃、東京都動物園協会の会員だった。三日に一度は上野動物園にでかけていき、サイやスローロリスの体調をたしかめ、動物園図書館で外国の最新資料をめくったりしていた。小説を書きはじめるより、よほど前のこと。
 「ぶらんこ乗り」に書いた、ゾウが鳩を殴り殺して「鳩玉」にして遊ぶローリングや、目の悪いカエルがメスだと勘違いして魚に抱きつき、溺死させてしまうエピソード、コアラが「ユーカリ」の葉でラリっていることなど、この時期の動物園通いのなかで、すべて学んだ。月の大半、動物園に住んでいるようなものだった。べらべらと喋る人間を前にするより、通じ合わない動物と相対しているときのほうが、自分の考えもふくめ、いろんなことが、よほどクリアにみえてくるようにおもったし、京都に住むいまも、そんな風に感じるときがある。
 動物園に関するコラムを、これまでいくつか書いた。
 ロンドン、北京、モスクワ、ベルリン、ニューヨーク、パリ、東京。世界の名だたる大都市は、どこも必ず、ぜったいに、市の中心に古い動物園をそなえている。鉄道網、オフィス街に商店街、これらが市の表側、人間でいう「意識」だとするならば、遠い場所に住む動物たちを縁のない土地へ連れてき、狭い囲いのなかに押し込めて一生を過ごさせる、」動物園なる場所は、大都市の「無意識」として機能しているのではないか。
 沈黙。生と死。ほんとうのセックス。食うか食われるか。動物園はじつは、人間の無意識に、さまざまな真実を注ぎ入れる。大都市に住まううしろめたさ。人間なのに、いのちからどんどん離れていってしまう暮らし。
 動物園のなかは、世界じゅうどこでも、周囲の環境から、隔絶されている(ように感じる)。都市の住人は、動物園のなかで、「ほんとう」の夢を見るのだ。そこで、死を、セックスを、殺戮の歴史を、目の当たりにできる。大都市にいるはずのない動物が、そこにいる、その事実が即ち、僕たちがいま、ここにいる不条理を、青空の下、ごろんと転がしてみせつける。
 と、ここまで書いて、京都市動物園。
 入り口をくぐろうが、出口をでようが、園の内側と外側の空気感が、こんなにも変わらない動物園は、頭の地球儀を何十周まわそうが、ほかに、どこも考えつかない。岡崎道から動物園の外壁をみて、あ、いま自分が踏んでいるこの地面に、ゾウが、ゴリラが、レッサーパンダが歩いているんだな、と体感できる。町の無意識と意識が、春の陽を浴び、くるくる入れ替わる音がきこえる。京都に住むひとは、京都に住んでいることについて、うしろめたさのかけらさえ感じない。動物園にいくと、そのことがいっそう、くっきりと、頭に風が吹き通るように冴え冴えとわかる。
 五歳のひとひが「どーぶつ」を堂々と好きなのは、京都うまれだからか。事実、古い町家などに住む僕たちは、ガ、ムカデ、イタチ、ネズミはもちろん、トンビ、シカ、スッポン、大ウナギなど、「どーぶつ」たちの土地のほんの軒先を、申し訳程度に借りて生きている観がある。
 それに、知り合いの面々の、濃い顔、ひとりずつちがうイントネーション、手足のへんな動作など、いちいち振り返って、なるほどなあ、と頷くほかない。京都で生まれ育ったひとはみんな、ひとりひとりが一種ずつの、「どーぶつ」の生を生きている。京都という町自体、その深みで、「どーぶつ」園そのものなのである。


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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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