きんじよ

第18回 まるいち

2016.05.14更新


 二〇〇一年の冬から二〇一〇年の夏まで、神奈川県、三浦半島の突端の港町、三崎に家を借りて住んでいた。
 日の出とともに目覚め、昼過ぎまで机にむかい、午後は自転車で近所の磯に向かう。家に戻ると、風のよく通る二階の窓をすべて開けはなって、爆音でレコードを鳴らし、さっき素潜りでとったトコブシかウニをくわえて瓶ビールをあける。これがおやつ。
 食事は三食、すぐ近くにある「宇宙一の魚屋」(さかなクン認定)まるいち魚店の魚介類。アジ、イワシ、イサキ、カマス、キンメダイ、アナゴ、サバ、メトイカ、マダコ。港町の空気とともに味わう三崎の地魚は、海という天国から降ってくる黄金色の雨だった。日々、雨粒を浴びるうち、僕のからだは人間の輪郭をとりもどしていった。
 借りた古い日本家屋は、もともと、マグロ船の乗組員が、次の出港までのあいだ滞在する下宿、船員宿だった。
 玄関をあがると、板間の台所、その奥に四畳半。青いペンキの塗られたコンクリの浴室は、窓をあけるとそのまま家の前の路地で、近所の子どもたちが覗き込んでいたり、水鉄砲を発射したりはしょっちゅうだった。
 二階は一階にくらべ、屋根がひらいたかと思わず見上げてしまうくらい、天井が高い。ぐるっとまわりこむかたちの階段と、まっすぐな階段と、そう広くもない家にふたつついている。
 書き物や読書、音楽を聴いたりに使っていた十畳間は、船員たちの雑魚寝部屋で、ふすまを取っぱらってしつらえた棚の板壁に、白人女性のヌードグラビアや、ピストルの、色あせた切り抜きが貼られている。まわりこむかたちの階段は、こちらにつづいている。
 十畳の奥に、落ち着いた風合いの四畳半がある。まっすぐな階段と洗面台を、外廊下にそなえたこの部屋は、船長・船頭クラスのひとが泊まる「個室」だった。個室には、外から女中さんやホステスがじかにやってきて、船長にさまざまな「サービス」をした。締め切られたふすま越しに、その甘い声を聞かされた若い船員たちは、がばりと飛び起き、ダダダダダ、と勢いよく階段をまわりこんで、夜の三崎のネオンのなかに飛び込んでいったのだ。
 港だから、船員宿だから、まるで寄港地みたいに、いろんなところからお客さんが集まってきた。みな一様に、三崎の町の風情、魚の味に目をみはり、来たときとは少し違う表情で帰っていった。画家、ミュージシャン、作家、家族連れ。まだ結婚していなかったカップル。五歳の女の子が、台所のまんなかに立っているむきだしの柱をさわりながら、ふしぎそうに、
「おかあさん、みて! おうちのなかに、木がはえてる!」
 三崎に流れてき、そのまま、住みついてしまったひともいる。
 二〇〇九年の二月から京都にもいまの場所に家を借り、園子さんと過ごすうち、ひとひの種がうまれ、これを機会に、二〇一〇年の夏、三崎の家をひきはらうことにした。畑のあいだにある焼却場へ、軽トラックを駆り、九年間たまった不要品、紙ゴミ、粗大ゴミを、せっせと運んだ。五〇〇キロ以上あった。
 最後の夜、窓を開け放し、音楽もかけず、寝息をたてる園子さんのまるまる膨らんだ腹部に手をあて、じっと目をとじていた。この家で過ごした、折り重なった時間が、目の前につぎつぎと展開され、ひろがっていった。ここに住んで、僕は、三崎から、海から、三崎のひとたちから、一生かけても返しきれないものをもらった。僕はこの家に住んではじめて、「生きる」ことに目覚めたのだ。
「だから、おまえが生きているかぎり、だいじょうぶだ」
 そう家が語りかけてきた。
「この家がなくなろうが、京都に引っ越そうが、おまえのなかの三崎はなくならない。三崎のなかのおまえも、なくならない。同じことだろう。おまえは生きているかぎり、三崎の人間だ」
 まるいちのみんなに見送られ、おなかに八ヶ月のひとひを入れた園子さんと、大きく手を振って、三崎を離れた。
 もちろん、その後も三崎との関係はつづいた。生まれたばかりのひとひはまるいちじゅうに歓迎され、家族じゅうでいちばんの魚好きに育った。下町の路地や神社、旅館で、地元の顔なじみといっしょに、これまでに二度「三崎いしいしんじ祭」を開催した。関東に用事があれば、それにかこつけて一家で三崎にいく。いまでも、まるいち魚店の二階の窓辺には、園子さんが書いてくれた僕の表札がかかっている。
 このゴールデンウィーク、一家で、東京の園子さんの実家に長くいた。途中、ひとひとふたりで三崎に出かけることになった。京急線の快特に乗れるだけでひとひはもうテンションが振り切れている。
 品川から赤い快特でおよそ一時間。三崎口からまっすぐ、なだらかにつづく下り道を、京急バスで海までおりていく。商店街の端の「日の出」のバス停に着いた。「夜霧」「ニコニコ」など、飲食店の看板のむこうに、住んでいた家がむっくり建っている。
 ふたり歩きながら、
「おとーさんのいえ、あれ?」
「うん、そや」
「はいってみたかったなー!」
「あかんなあ、カギもってへんし。いまはもう、だれもすんでへんねん」
「え」
 先に、トトト、とひとひは駆けていき、
「とぉ、あいてる」
「え?」
 あわてて追いつくと、たしかに、僕が閉めて以来あいたことのなかった、サッシの引き戸がひらいている。中を覗きこんで息をのんだ。毎日刺身を引き、魚を焼いた台所の床が、引っぱがされ、地面がむきだしになっている。階段にはシートがかけられ、四畳半の土壁は、柱を残し跡形もない。
 開けはなった引き戸に顔をつっこみ、
「すみません、すみませーん!」
 僕は叫んだ。
「だれかいませんかー?」
「ハーイ」
 階段をおりてきたのは、頭にタオルを巻き付けた、屈強そうな三十過ぎの男性。
「ここ、取り壊すんですか。あの、ええと、じつは僕、前に、ここへ住んでたものなんですけど」
 すると男性はまぶしそうに瞬きしたあと、あっ、という風に表情を変え、
「え、じゃ、ひょっとして、いしいしんじさんですか」
 といった。ひとひも僕も目を丸くしたまま動けない。な、なに?
「連絡とろうとおもってたんです」
 と男性、成相修さんはいった。
「じつは、僕、横須賀に住んでるんですが、三崎でゲストハウスをやろうとおもって、いい物件を探してたんです。そしたら、この家と出会って」
 な、な、なに?
「近所に挨拶してたら、あ、あそこ、いしいしんじさんが住んでた家だよ、って知らされて、ええーっ! てびっくりしてたところだったんです。工事は、三日前にはじめたばっかりで」
 ひとひといっしょに、「船長の階段」を通って、二階にあがらせてもらった。成相さんの仲間たちが暖かく出迎えてくれた。
 畳がはがされ、ふすまははずされ、さまざまなものがむき出しになっていたが、それでも、家はもとのままの風情だった。開けはなたれた窓から、毎朝ぼんやり眺めた城ヶ島大橋と、やわらかく波打つ、いつもの海がみえた。
「ぴっぴ、ここやで」
 僕は海を見つめるひとひと並んでいった。
「ここが、おとーさんが、すんどった家や」
「うん」
 ひとひはいった。
「よかったなー、はいれて」
「ゲストハウス、この八月には完成予定なんで」
 うしろで、成相さんの声がした。
「よかったら、オープニングの日に、ぜひ、ご家族で泊まりにきてください」






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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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