きんじよ

第19回 ハと

2016.05.24更新


 宇宙が透けてみえそうなくらい晴れ渡った五月晴れの朝、うちの五歳児ひとひは、園子さんに連れられ、左京区の自宅からJR三宮駅へとむかった。
 きょうは、「せいかつだん」6歳組の遠足だ。六甲山にのぼり、子らで世話している伝書鳩を飛ばすのである。
 「せいかつだん」とは、自由学園の流れをくむ幼児教育施設で、僕も四十五年前、大阪の「せいかつだん」に通っていた。四歳組、五歳組、六歳組があり、普通の幼稚園でいえば、それぞれ、年少、年中、年長さんにあたる。
 京都の生活団は四歳組までしかなく、五歳組以降、ひとひは、西宮、甲子園口の生活団まで通っている。集合するのは週に一度。電車ふくめた乗り物好きのせいもあってか、京都から兵庫までかようこと自体は、毎週、たのしみにしている様子だ。
 六歳組の春の遠足は、近くの小高いところで、飼っている鳩を飛ばす。六甲山を飛び立った鳩たちは、ぐるり、ぐるーりと、気持ちのよい風に乗って真っ青な天球をあがり、おそらく、南東の方角に、いつもの訓練で目になじんでいる「めじるし」を見いだす。アールをえがく海岸線かもしれないし、淡路島かも、工業地帯のかたまりかもしれない(甲子園球場、というのは、まあ、ないとおもうけど)。
 六甲から鳩舎まで帰るのに、おそらく、二十分とかからないだろう。
 僕の六歳組の遠足は、大阪と奈良をまたいでいる「二上山」にのぼった。大津皇子がそこに埋葬されたなんて、もちろん当時はまったく知らなかった。長く長くつづくのぼり道のはて、山の窪地から飛び立つ瞬間の鳩の姿は、いまも目に焼きついている。「ネクタイさん」という名の鳩だった。まるで青い海に落下していくように、まっしぐらに飛びたった。そんな気がしているだけかもしれない。
 こんな経験をしていたから、のちに、三崎でのひとり暮らしで机にむかっていたとき、たぶん小説のなかに、レース鳩の鳩舎が浮かんだ。
「ポーの話」。
 冷酷な「埋め屋」の女房が、ただひとつ情熱をもって取り組むのが、鳩の飼育。書いているあいだ、僕の頭のなかを、絶えず「ネクタイさん」が飛びまわっていただろう。
 長編小説を書くとは、連れていかれたはじめての土地で、めじるしを求め、高く低く、宙を飛びつづけることに似ている。
 じつは、どこにも、あらかじめのめじるしなどない。飛んでいくうちに、眼下の景色全体が、なにがしかのサインとなるのでなければならない。真新しく、なつかしい土地を、鳩は、小説は飛びつづけ、そうしていつしか、終着地にたどりついている。
 レース鳩にとって、100キロ、200キロ程度は「きんじよ」に過ぎない。400、500キロの距離を、鍛えられた鳩たちは、悠々と飛び越え、平然とした顔でいつものタラップをくぐり帰ってくる。
 1000キロを超すと、途端に帰還率がさがる。国内最長クラスのレースは、北海道で放鳩し、京阪神に帰ってくる。1000羽はなして、無事にもどるのは10羽を切る。韓国から、対馬海峡をこえて、日本の鳩舎にもどる、というレースもあったらしい。これだと帰還率は、1パーセントに満たない。
「鳩がかわいくないのか」
 と、内心おもっていた。実際に、鳩レースにのめりこんでいる愛好家、何人もと会ううち、「かわいい」「かわいがらない」、そんな問題でないのだ、と得心がいった。彼らは鳩のために生きている。鳩も、彼らのために生きている。
「帰ってくる鳩が、たいせつな鳩だ」
 五十過ぎの男性が背中をむけていった。そうして、カナダで放たれた鳩が、1500キロ以上の距離をこえて、日本の鳩舎に帰ってきた話をきかせてくれた。
 そういえば、三崎で「ポーの話」を書く前に、あの男性に会っていた。帰ってくる鳩が大切な鳩。このひとことは、いま思いかえせば、小説のあらゆるところに、声以前の声として響いている。「ポー」は、だからこそ、かえってくるのか。それとも、まだ、かえってこないのか。
 四十五年前、二上山から放した鳩たちは、一羽残らず「せいかつだん」の鳩舎に帰っていた。が、いまも飛びつづけている姿もみえる。
 六甲山の鳩たちも、鳩舎に戻ってからも、この青い五月の空をえんえん飛びつづける。鳩の目でみるなら、この世にひろがる土地はすべて「きんじよ」だ。







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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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