きんじよ

第32回 きんりんしょうがっこう

2017.07.15更新


 ずいぶん間があいてしまった。四月に小学校にあがったひとひが、その後、
「もう、がっこうなんかチャイや! チャチャイのチャイや! いかへん!」
 と叫び、一家、近所じゅう大わらわになってしまった、か、というとそうでもなく、たまに荷物が重そうだが、基本、まあまあ楽しそうに、歩いて十数分の「きんりんしょうがっこう」に毎日かよっている。
 一ねん一くみ、三ばん。いしいひとひ。
 四月、五月、六月と、いまの小学校がいかに、子どもたちが学校生活をポジティブに、楽しみに、いやにならへんように工夫しているか、日々目の当たりにさせられ、瞠目してきた。
 入学当初は「がっこうたんけん」なる授業があったし、「ずがこうさく」で動物の絵を描くため、徒歩五分のところにある京都市動物園にでかけている。六年から一年まで縦に縦断する「なかよしチーム」みたいなのがある。校長室の前の水槽にガーがいる。生きた化石といわれる珍魚だ。教室には冷暖房が完備されている。先生たちがみな関西弁で子どもたちとボケあいツッコミあっている。
 きのうの給食は、減量ごはん、カレーうどん、ほうれんそうとじゃこのいためもの、みかん、牛乳。
 本日は、麦ごはん、豚肉しょうがいため、伏見とうがらしのおかか煮、かきたま汁、牛乳。
 明日は、玄米ごはん、ハッシュドビーフ、ジャーマンポテト、牛乳。
 どっか洒落た商社の、意識高い系OLさんがとらはる、自然派レストランの日替わり定食でんな。こら「ひまんじ」はではらへん。「けっしょくじどう」も死語でんな。小学校一年から糖質コントロールされたあるて、なあ、あんたら、三百歳まで生きたかて、んなおもろいことそうそうおへんで。
 毎週火曜日の朝、始業の前の十分間、八時四十分から五十分までは、「おはなし」の時間。読書好きのおかあさんがたによるボランティア団体「おはなしパレット」の面々が、各クラスにひとりずつ出向き、絵本を読んできかせる。こどもたちはけっこう熱心にきいている。たぶん、合計三十名くらいいるメンバーのなかで、唯一の男性がもちろん、この僕である。
 園子さんに「やってみたら」といわれ、最初は、ひとひの通う小学校に足を踏み入れ、こんなのかあ、とキョトキョト不審者みたいに視線をめぐらす興味が先だったのが、しばらく経つうち、子どもらの視線や歓声に、はっと気づかされることがあった。絵本でも読み物でもなんでも、おっさんが読んだほうがもりあがるものは、まちがいなくあるのだ。
 たとえば、空飛ぶネズミの冒険旅行を描いた『リンドバーグ』。僕はとちゅう、何度も涙ぐみそうになる。ネズミが目的地を眼下にみおろすとき、読みながら、胸はグンカンドリのように膨らんでいる。
『エルマーのぼうけん』。
『チムとゆうかんなせんちょうさん』。
 中川李枝子のシリーズ『かえるのエルタ』『らいおんみどりのにちようび』『たんたのたんてい』。
 僕自身、小学生のころ、文字通りごはんなんぞどうでもよい気持ちで読みふけった本たちだから、なにかその芯が伝わる、と、多分にそれもあるだろう。本読みの小学生、いうことでは、当時もいまも、そんじょそこらの誰にも負けない自信がある。
「おはなしパレット」は週一、それ以外に、放課後にスイミングのある日はひとひを迎えにいき、ギリギリ水泳教室に飛びこむ。土砂降りの日に長靴をもっていったり、体育館で親子そろって同じお芝居をみたり、野球部の体験入団だったり、なんやかやでしょっちゅう小学校に顔をだす。すると、やはり「ごきんじょ」の、お漬け物屋さん、クリーニング屋さん、パン屋さん、知った顔のおかあさんおとうさんに出くわし、互いの子らについて手短な世間話をかわす。学校の外ですれ違えば、ちょっと照れた表情で会釈したり。
 小学生をやっていた頃は知らなかった。小学校は、子どもを通じ、親同士も、あらたなしかたで束ねるのだ。
 おとつい京都は虫がボーボー燃えていた。ムシアツイの極みだった。五時間目が終わったあと、三時前、正門前でひとひを待っていた。三時半から出町柳のヘミングで水泳教室がはじまるのだ。
 ひとひが出てくるのが、ふだんより遅かった。もう三時を十分も過ぎている。隣に副担任の先生が付き添っている。
「おとうさん、すんません」と副担任の先生はいった。「ひとひくん、きょうの一時間目と二時間目、体育のプール、はいられへんかったんです」
「え!」僕は驚いた。「どっかしんどかったんですか?」
「いえ」と先生はいいにくそうに「健康チェックカードに、おうちのハンコが押されてなかったんで...」
「あ!」僕は凍りついた。ひとひはなんでもない顔を装って僕を見あげている。今朝、チェックカードの空欄を、ひとつひとつ埋めていった。咳、してない。朝ごはん、ちゃんと食べた。体温は三十六度六分。最後にトイレもまにあった。完璧。なのに、僕がハンコを押し忘れていた。これまで毎回園子さんがこのカードを書いていたのだが、ゆうべから園子さんは東京の実家に戻っていた。
 並んで、バス停にむかって歩きながら「暑かったのに、ごめんな、ぴっぴ、ほんま、悪かった」と僕はくりかえした。
「ええで」とひとひはいった。「そのあいだプールのよこの、ふだんはいられへんところで、ずーっときゅうけいできたし」
 ハンコいっこ押してへんだけで、こんなど暑い日の、一時間目二時間目ずっと、プールはいらせへんことないやろ! 
 しかも俺、ちょうどその時間、おはなしパレットで四年の教室にいてたやん!
 いろんな思いが胸に渦巻いたが、どれも、ひとこともひとひにはきかせたらあかん、とおもった。とにかく僕はしくじった。ひとひはそれを許してくれた。僕は二度としくじってはならない。
 いしいひとひ、一年一組、三番。その同じ「きんりんしょうがっこう」で、僕は、小学校のおとうさん一年生をはじめ、もうじき一学期が終わろうとしている。







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いしいしんじ

作家。大阪生まれ。現在、京都のミシマ社の「きんじよ」に在住。2016年 『悪声』で第4回河合隼雄物語賞受賞。6月に新刊『海と山のピアノ』を刊行予定。お酒好き。魚好き。蓄音機好き。

KBSラジオ「いしいしんじのころがるいしのおと」を毎週火曜日午後9時半から放送中。イベント「いしいしんじとコロちゃんの(だいたい)78回転のアルバム」を京都・誠光社にて定期開催中。

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