木のみかた

第3回 茂みが呼んでいる

2012.11.28更新

小さい時から森が遊び場で、物心がついた時から木と友だちだった。いつしか木々の生い茂る森は身近な存在ではなくなっていき、宅地開発が進むと同時に、木々たちは日常の風景から遠のいていった。昔はもっと牧歌的で調和のとれた、人と森との暮らしがあった。今はそれが忘れられているのではないだろうか。

このような回想は、みじんも浮かんでこない。
僕が生まれた年は、高度経済成長が終わり、エルビス・プレスリーが他界した1977年で、生まれ育ったのは京都市内の住宅街だ。
毎日の生活のなかで、草木の存在を身近に感じたことはなかった。
小学5年生になるまで週末に京都市周辺の山々を父と一緒に登ってはいたものの、それは父から強制された山登りという名の運動だった。
(なにがしかの自己形成には影響を与えているとは思う)
自然への関心が何もないまま高校を卒業して、僕はより新しい刺激と雑踏を求めて東京の大学へ進学した。

そんな僕が30代半ばになって森が超好きになっているのをハタチ前後の頃の僕が知れば、ショックのあまり気を失ってしまうかもしれない。
大学を卒業して京都へ帰って庭師になるまでは、木や森のことには何の関心もなく、姿と名前が一致する植物は、ひまわりの花と桜の花くらいだった。

そんな僕が、なぜ木や森に関心を持つことになったのか。
話は東京の大学生時代にさかのぼる。

僕は日本大学芸術学部で建築を専攻していた。優秀な成績ではなかったけれど、人にとって快適な空間を創造するための勉学にやりがいを感じていた。
なにより僕は大都会での生活を満喫していた。生活環境に多少の疑問を感じる事はあったけれど、居心地はなにも悪くはなかったし、大学を卒業してからも首都圏を出て住むことはないだろうと思っていた。

時間の合間を縫って、東京の街を歩きまわった。
まるで週に1、2度の首都圏の小旅行に、もれなく建築の学業がついてきたような学生生活だった。

東京は刺激だらけだった。
街にいたら疲れるという人の気持ちは何もわからなくて、僕はキョロキョロと周りを見廻しながら、よそもの感覚で散策をつづけた。
楽しい小旅行が果てしなくつづくようだった。

ただ、街歩きを始めてから2年くらいが経って、実感したことがあった。
それは「みんな忙しそう」ということだった。

東京の街歩きをして「忙しい」というキーワードを認識してから、僕の小旅行は少しずつ色合いを変えていった。なぜかあたりを見回す目線が少し低めになっていった。
べつに気落ちをしたわけではなく、散策のモチベーションが低くなったわけではない。
ただ、目線が低めになった。

目線が低めになってから僕はある事に気がついて、後に驚嘆することになる。

おびただしい数の人が住み、働き、緩急をつけながら時には高速で動きまわっている都会の地面はアスファルトとタイルで覆われていて、建造物は鉄筋コンクリートばかりだった。
多少の緑化空間は定められてはいるものの、少し大げさな表現をさせてもらうのならば「都市はアスファルトと鉄筋コンクリートで満たされている。」と言っても過言ではないと思う。
これほど人間の意図と堅牢な物質で身の周りを満たすまで、果たしてどれほどの労働と資源が費やされたことだろうか。少し気が遠くなりながら、先人たちの労苦と鉱石の恵みに頭が下がる思いがした。

ところが、である。
それらは都市をくまなく満たしている。と思っていたが、視線を下げて散策をするようになってから、そうでもないことに気がついた。


たとえば、街中の30坪くらいの土地にアスファルトを敷き詰めたとする。
人がその場所に何も手を出さないことにして、そこを定点観測してみる。

1年2年と月日が経つ。すると、敷き詰められているはずのアスファルトやコンクリートにヒビが入り、あちらこちらに隙間ができはじめる。
そのヒビや隙間に、あるものが出現する。
それは草だ。
どこから種が飛んでくるのか、それとも種がアスファルトの下で眠っていたのかはわからないけれど、草が、ヒビや隙間から出現する。
寒くなると草は枯れて、暖かくなると草は再び現れて、次第に巨大化していく。
そのサイクルが繰り返されて、アスファルトだけだった30坪の土地が、やがて立派な茂みになっていく。

木のみかた 「茂みが呼んでいる」

立派な茂みになると、草にまぎれて木の赤ちゃんも生えてくる。
木の赤ちゃんは大きく成長して、やがてアスファルトの土地は森のような薄暗い茂みになる。

実際に特定の場所で定点観測をしたわけではないけれど、街中には上記のいずれかの状態である場所が、たくさん点在していることを見つけた。
今まで目には入っていたけれど、意識をすることがなかったから素通りをしていただけなのだ。
草木の存在に意識が向くようになってから、ただでさえ楽しかった街の散策が、より躍動感のあるものになった。

視線を低めにしてよかったと心から思った。

木のみかた 「茂みが呼んでいる」

僕が東京にいたのは2000年前後で、スタジオジブリの「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」が劇場公開された頃だ。
世界の自然は、人間の環境破壊のせいで急速に失われているという報道がよく耳に入ってきたけれど、街で生まれ育ち、街に住みつづけている僕には遠い世界の出来事のようにしか思えなかった。

そんな僕の世界観が、音をたてて変わろうとしていた。

たとえ、ある場所がアスファルトとコンクリートで覆われた埋め立て地だったとしても、人が何も手出しをしなくなれば、たちまち草木が生い茂る空間になるのだと気がついて、僕は立ちすくんだ。

自然は常に芽吹こうとしているではないか。

なんと偉大な力なのだろう。

その力と仲良くなりたいと思い、彼らの営みに寄り添える仕事をしたいと思った。

森の案内人という仕事は、この時は思い浮かばなかった。
街に住んでいる僕は、森からは遠い場所にいた。

その時になりたくなった職業は庭師だった。
「常に芽吹こうとしている、わけがわからない力」と「人の営み」の折衷する部分に「庭」があると思った。なんて創造的な営みなのだろうと胸が高鳴った。

木のみかた 「茂みが呼んでいる」

僕は建築学科の学生だったから、その発見があるまでは書店で平積みされている新しい建築のトレンドが気になって仕方がなかった。
でもその発見をしてからは、新しく発表された建築が、いかに斬新な形をしていても、いかに新しい人と人との関係性を生むと謳ったものだとしても、結局のところ、そこに植物が生えているのかどうかが重要なのだ。とさえ思った。

東京の街を歩きつづけて、僕は「森の入り口」と出会った。

木のみかた 「茂みが呼んでいる」

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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