木のみかた

第6回 見えるものと見えないもの

2013.02.25更新

左足の痛みは只事ではないと、すぐにわかった。

その時の気分を例えると、
家の最寄り駅から電車に乗る。電車は定刻通りに運行しつづける。しばらくすると急停車をした。車内アナウンスもなく静かな時間が流れていて、僕はただ座り続けている。
風通しを良くするために窓を開けよう。
そんな気分だった。

仕事を休んで病院へ行き、3件目の病院の2回目の検診で、自分の症状がようやく判明した。
どんな症状かというと、
「僕は先天的に踝(くるぶし)の骨の一部が身体の骨格から離れていて、筋肉によって繋がっていた。今まで使っていなかった足の筋肉、とくに土踏まずの筋肉を木や脚立に登ることで頻繁に使ったために、その筋肉が発達し、ある夜中に何がしかの境界を越えた。そのため筋肉によって固定されながら身体と繋がっていた踝(くるぶし)の骨はぐらぐらと動くようになり、身体との間にある筋肉が摩擦しはじめた。骨と骨によってこすられた土踏まずの骨は足底腱膜炎(そくていけんまくえん)という症状を起こした。」

あまり判例のない複雑な症状で、筋肉に傷がつかないように踝(くるぶし)の骨を除去する手術をしなければ痛みは治まらないらしい。件数が少ない手術なので、成功率は50%くらいと聞かされた。
「成功しなかったら、君はその痛みと共に生きていくことになる。」と、手術をしてくれるお医者さんから告げられた。
会社の親方に報告をすると、「君という人間は好きだが、これから満足に歩く事ができるのかわからない人を雇う事はできない。」と言われ、25才でリストラされた。
3年は修行をさせてもらいたかったので困惑した。

けれど、これから何か新しいことが始まるような気がした。
たとえ歩く事ができなくなったとしても、庭の冒険を続けようと思った。

木のみかた 見えるものと見えないもの

捨てる神あれば拾う神あり。庭の神様は、より躍動感を持って僕の所へ招待状を送ってきてくれた。
足の手術をして退院をしてから、建築家の兄と、兄の師匠の大工の親方さんから、うちの仕事を手伝ってみないかと声をかけてもらえた。
兄の会社(木造建築の設計と施工管理)は順風満帆で、じつにたくさんの依頼を受けていた。

依頼を受けた建物には庭がつきものみたいで、僕は足のリハビリをしながら、兄の会社の庭づくりに携わらせてもらえることになった。
ミシュランの星に入っている大阪の日本料理屋さんの坪庭、岐阜市の美容院さんの建物まわりの植栽、京都市内の住宅の庭園など、プランから施工までをさせてもらった。
修行を1年しかしていないのに、僕は恵まれていた。
直属の上司がいない不思議なポジションだったので、ひとりで段取りを自由にさせてもらえた。

1年しか修行をしていない僕は滅茶苦茶な段取りのまま、チャンスがなかなか巡ってこないような庭づくりの経験をさせてもらえた。
それはほんとうに「ありえない」境遇だった。

早いもので、あれから10年が経った。
兄も大工の親方も、僕には未だに何も言わないので心中はわからないが、行き場を失った僕に手を差し伸べてくれた彼らには、一生頭が上がらない。
それがどれほどありがたいことか、今になってしみじみと感じている。

足の痛みはいっこうに止むことはなく、満足に歩けるようになるには程遠い状態だったけれど、歯を食いしばって働いた。

木のみかた 見えるものと見えないもの

夏になって、東京の表参道にある外資系の靴屋さんから、ショップデザインの依頼が来た。
ファッションに感心がある人なら誰でも知っている靴のブランドで、緑のカーペットに靴を置きたいという依頼だった。
僕は本物の苔を敷くことを提案し、その提案は受け入れられ、ひとりで山中に入って苔を採取することになった。

山へ入ると、たくさんの苔が視界に入ってきた。苔目線で野山を歩いたことがなかったので、その鮮やかな光景に驚いた。森は僕が思っていた以上に荘厳だった。

そういえば、森のことなんて何も知らないで生きてきた。

手入れの行き届いた日本庭園や深い原生林へ行かなくても、たくさんの苔が生きていることを初めて知った。
山を歩きまわり、手のひらサイズの原生林みたいな苔を採取してまわった。

木のみかた 見えるものと見えないもの

2日間かけて4畳半くらいの苔を集めた。これが東京表参道の超有名ブランドのショップの中にあると思うだけで、僕は抑える事のできない高揚感に酔いしれた。

店内で苔を敷いてみると、有り得ないほど魅力的で、メガポップな空間になった。
もちろん店内の雰囲気は内装に携わった人たちの力量によるものだったけれど、僕が山から採ってきた苔の存在感は、その中でも際立っていた。
靴屋さん達は、みんな大喜びだった。

人は生きている間、何度かのチャンスに恵まれるらしい。あの時はまさにそうだった。
京都に息苦しさを感じていた僕に、東京の乾いた空気は居心地がよかった。
巡ってきたチャンスが早すぎたのか実感が湧かなかったけれど、茂みたちと一緒に面白い仕事ができて嬉しかった。
意気揚々と、東京の仕事を終えた。
足は相変わらず痛かったけれど、痛いと思っても仕方がないので、びっこをひきながら歩きつづけた。

苔を敷いて1カ月くらいが経ってから、靴屋さんから電話がかかってきた。
「苔の元気がよくありません」と、店長さんから曇った声で言われた。

慌てて東京へ行ってみると、苔たちはカラカラに干涸びていた。
山で出会った時の鮮やかな姿は、見る影もなくなっていた。
苔はほぼ死に絶え、靴が置かれる場所にふさわしくなくなったことは誰の目にも明らかだったので、僕はすぐに苔を撤去した。
空調が行き届いた店内は僕が予想していた以上に乾燥しているのだと、苔が枯れて初めて実感した。
靴を置く場所をそのままにしておくわけにはいかないので、苔の変わりにセダムという植物を植えることにした。
彼らは乾燥にとても強いので大丈夫だろうと思った。
出来上がったときは、苔とはまた違うご機嫌な空間になった。

これで一件落着。と思っていたら1カ月後、セダムも枯れたという電話がかかってきた。
行ってみると、セダムたちは茶細く干上がり、枯れていた。
僕はとても惨めな気持ちになりながら、セダムたちを撤去して京都へ帰った。

野山でたくましく生きている苔やセダムたちは、空調が効いて密閉された空間では1カ月も生きることができなかった。

僕はたくさんの苔とセダムを殺してしまった。
彼らには、ほんとうに申し訳ないことをしてしまった。
そして靴屋さんと兄の会社にたくさんの迷惑をかけてしまった。
穴があったら奥深くまで入りたい気分だったけれど、この失敗から学ばなければならない。

まず、苔とセダムの身になって考えてみた。
観察をすればするほど、彼らが自然界のなかで生きている場所と靴屋さんのショップは、完全に異質な空間だということを強く認識した。
その違いを埋めるためには、多くの施工技術を学ぶ必要があった。
しかし施工技術を会得したとしても、上辺だけを取り繕って何になるのだろうか。
自分は、もっと根本的なところから、ずれているような気がした。

ある時、自分は目に見えるものだけを意識していることに気がついた。
目に見えない存在を意識したことなんて一度もなかった。
目に見えない存在は、じつは僕たちの世界を支配している。
空気、どんな風が吹いているのか、太陽の光、心など。

「彼ら」は微細なのか広漠なのか、把握することさえできない。
そして、長い長いあいだ「目に見えない彼ら」と関わり合いながら、苔は森の中で生き続け、セダムは岩場で生き続けてきた。
「彼ら」の活動を著しく遠ざけた密閉空間に苔やセダムを連れていっても、苔やセダムが生きていけるわけがない。

僕は何もわかっていなかった。
もっとまじめに観察をしないといけない。

気がつくと、足の痛みは少しずつ消えはじめていた。

木のみかた 見えるものと見えないもの

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

バックナンバー