木のみかた

第9回 屋上庭園と屋久島

2013.05.21更新

 屋久島から京都に帰って、中学3年生の新学期がはじまった。

「あの不思議な感覚は一体何だったんだろう」
「木はどうしてあんなに大きくなれるんだろう」
「深い森だったな」

 もしもあの時の感動と疑問を持ちつづけていたら、僕は10年早く森の案内人として活動していたかもしれない。
 しかし京都に帰ってからの生活は、それほど悠長なものではなかった。
 受験勉強、部活、狭い世界の完結した人間関係。毎日がただせわしなくすぎていった。
 授業の光景、日々のもやもや

 森のことを思い描くことは悠長で怠惰な事だと僕は次第に悟った。そんな暇があったら勉強を頑張って、自分の夢を見つけなければならない。
 僕はあの色と音に満ちていた世界のことを、記憶の底へ沈めることにした。
 森への関心は、たくさん勉強をして、たくさん働いてから、老後の楽しみとして大切にとっておくことにした。日本中に生えている巨木巡りをするのだ。日本にはどんな巨木が生えているんだろう。想像するだけでワクワクした。

 僕が森の入口と出会ったのは東京だと以前に書いたが、もしかしたら自分の記憶の奥底に沈み、もうほとんど思い出すことのなかった屋久島の躍動が、縄文杉の感触が、僕に絶えず働きかけていたからこそ、街中にいても茂みに焦点を当てることができたのかもしれない。

 しかし、東京に住んで植物たちの魅力に気がついたときも、京都に帰って庭師の修行をしていたときも、屋久島での神秘的な体験と繋がることに抵抗があった。
 「自然にはかなわない」「自然がすべてを教えてくれる」
 などと分かったようなことを口にする人を時折見かけても、僕はそんな人のことを馬鹿にしていた。
 自然の素晴らしさを語るなんて、あまりにもそのままではないか。
 そんなことを、どうして偉そうに言うことができるのだろう。
 自然の理を語れるほど立派な人に出会ったことはなかったし、「自然」という言葉だけが、たくさんの人に都合よく使われて摩耗し、一人歩きをしているような気がした。

 僕はどこかで本当に無垢な自然と向き合い、無垢な森の中へ入る事を怖がっていたのかもしれない。
 それは僕の(今まで誰も体験した事がないような)新しい空間を創造したいという意欲を、そして愛しい日々のもやもやを、なんの躊躇もなく帳消しにしてしまう破壊力を秘めているような気がした。

 でも、自分にとって、あの屋久島へ行かないと前へ進まないと認識したとき、自分の中には膜があって、それが上の部分と下の部分を仕切ろうとしていたけれど、その膜が薄くなってきて、上下がじわりじわりと行き来をし始めていることに気がついた。

 ここは思い切って、膜を消さなければならない。

 思い立ったが吉日。すぐに京都を出て屋久島へ向かおうかと思ったけれど、そうはいかなかった。兄から声をかけてもらった庭の仕事がまだ残っていたから、それを終えてから行く事にした。
 庭の仕事が終わったのは、2003年の晩秋だった。
 すぐにでも屋久島へ行きたかったけれど、僕はあることをしないといけないと思った。
 それは実家の屋上に庭を作ることだった。

 「よい庭とはなにか」なんて、浮世離れしている疑問を持ちながら悶々と過ごしている僕を、両親は何も咎めないで見守ってくれていた。

「仕事を中断して屋久島へ行く26才。無垢な自然に身を置いてみたい。」

 こんなつっこみどころが満載の息子に、両親はネガティブな言葉を一言もかけなかった。
 京都にはいつ帰ってくるのか分からなかった。もしかしたら、もう二度と帰ってこないかもしれない。僕を育ててくれた両親に何かプレゼントをしてから行かないと、恥ずかしくていたたまれなくなった。
 それでは、今の自分が両親にプレゼントできることは何なのか。

 僕の実家は、京都市内の大通りの交差点にある鉄筋コンクリートの細長いビルで、両親はそのビルで生活していた。
 両サイドに大きなビルが建っているので、陽射しが入ってこない部屋も多かった。
 ただ屋上だけは、北欧の人が号泣するくらいの陽射しが朝から晩まで照りつけていた。
 そこには打ちっぱなしのコンクリートで洗濯物の物干し竿があるだけだったので(それはそれでキリコの絵みたいで好きだったけれど)僕はそこに緑溢れる庭を作ることにした。

 広さにしたら10坪くらいだろうか。
 屋上に土を入れて本格的な庭にしようと思ったけれど、それはあまりに大規模な工事と予算がかかるのであきらめることにした。

 そこで、コンクリートの上にウッドデッキと芝生を張り、植物を植えた鉢植えを並べる庭を作ることにした。
 森みたいな庭になってほしいと思った。
 大通りの交差点に面した細長いビルの屋上に、まるでアフロヘアーみたいな茂みがあったら笑えるし、きっと両親の癒しの場になるに違いないと思った。

 まず最初に、鉢に植える植物を探しに京都市内外の園芸屋やホームセンターをまわった。
 そこで僕は大きな現実に直面することになった。

 できるだけ自然な森みたいにしたかったので、日本に自生している草木を探したのだが、どの園芸屋やホームセンターへ行っても、日本に自生している草木はほとんど売られていなかった。そこにあったのは人間の都合の良いように作り替えられた巨大な花や大げさな実を付けた園芸植物ばかりだった。

とても不思議な現象だと思った。日本には自生している植物が非常に多く、グリーンは良いと方々で喧伝されているのに、在来種がほとんど売られていないのは何故だろう。

 山へ入って草木を取るのは嫌だったので、仕方なくホームセンターの園芸コーナーで売られている植物の中から、ワイルドっぽい草木を選んで植えることにした。

 庭を作っていた自分の心境を今振り返ってみると、両親のためということもあるが、いよいよ無垢な自然と向き合わなければならない高揚感と恐怖心もあったと思う。
 見て見ぬふりをしていた、あの茂みの王国へ行くのだ。
 自分はほんとうに「何か」を得て、再び街へ戻り、「これからの庭」を作ることができるのだろうか。
 僕は再び街へ帰ってくるのだ。そして森みたいな庭を作る庭師になるのだ。という心意気を示してから森へ行きたかったのかもしれない。

 屋上の庭が完成したのは翌年の春だった。

 4月19日に屋上庭園が完成して、
 4月20日に家財道具を車に積んで、お世話になった人たちに手紙を書いて、
 4月21日に、いよいよ屋久島へ向かって出発する時が来た。
 父は仕事で不在だったけれど、母親だけが見送ってくれた。
 母親と僕は号泣しながら別れた。
 人前で泣いたのは小学生以来だった。
 自分は恵まれているとばかり思っていたのに、その一方で、この時に初めて自分の境遇の悲しみを思い、これからの道行きの長さを思った。

 雲一つない青空の下、泣きながら京都の街を後にした。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

バックナンバー