木のみかた

第14回 森で働くと、素敵な人になります(たぶん)

2013.10.26更新

 残りの所持金がいよいよ5万円を切って、森へ通うだけの生活があとどのくらい続けられるのか計算してみた。テント村の家賃が月2万円、1日の食費が700円で車のガソリン代が1回5000円くらいとして、余裕を見て10日間だと思った。
 仕事を探そうかと思ったけど、せっかくここまで来たのだから、残りの10日間は、めいいっぱい森を歩くことにした。

 僕は何を求めていたんだろう。
森の中で、これからの自分の行き先を示す「啓示みたいなもの」と出会えることを、最後の最後まで期待していたのかもしれない。

 森で人とすれ違うときは挨拶をする。
それは都会で生まれ育った僕には新鮮な習慣だった。
清々しい気分になるので、自分から率先して挨拶をするようにした。
挨拶をすると自ずと相手の顔を見ることになり、ほんの少しずつだけど島民の顔見知りも増えてきた。
 
 いやになるくらい雨が降り続いていたのに、残りの森歩きが10日間になった初日は、珍しく雨が降っていなかった。
 その日も朝から森へ行き、お昼になって、明るく開けた平地の倒木に座りながらおにぎりを食べていると、大きなリュックサックを背負った初老の男性がやってきた。
 彼は「こんにちは。今日は雨が降っていませんね」と穏やかな口調で僕に語りかけ、大きなリュックを地面に下し、その中から木でできた弁当の器を丁寧に取り出して、地面にゆっくりと腰を下ろし、お昼ご飯を食べはじめた。
 彼の顔を見てみると、森で何度かすれ違ったことのある人だった。
 身長は170センチくらいで小太り、紺色のフリースを着てチノパンを穿き、右の頬の真ん中には大きなホクロがあった。

 その人の気配や動作が森に馴染んでいて、僕は少し見とれた。今まで出会ったことのない人種のように感じられたのだ。
 森の人。そんな表現がぴったりとあてはまるのかもしれない。

 どちらが話しかけることもなく僕たちは話をしはじめた。
 やがて彼が自己紹介をしてくれた。
 入江 昌邦さん(仮名)という人で、名古屋で自動車メーカーに務めていたけれど、還暦を前に早めの退職届を出して、8年前の55才のときに憬れていた屋久島へ移住してきた。
 屋久島では自宅の横にある畑を耕しながら、依頼があれば島のガイドをしているらしい。
「大きな旅行会社の下請けでね、なかなか自分が案内したいペースではお客さんと一緒に歩けないけど、楽しいよ」
と、笑みを浮かべて話してくれた。
 2分に1度くらい、彼はキラッと輝くような笑顔になって、それがとても素敵だった。
 仕事の合間に、こうしてゆっくりと森を散策するのが日課らしい。

 雨の多い屋久島で、その日は久しぶりに雨が降っていなくて、僕たちがお昼ご飯を食べていた平地には、うっすらと木漏れ日が射していた。

 彼とは50分くらい話をした。取り留めのないことから、この島のことや、お互いが森で最近発見した事について話をした。
「庭師の仕事を中断して森を歩くことにしたんですけど、何も身に入ってこなくて。自分の中に溜まっている想念のようなものが渦巻くばかりで、苦しいです」
「お金がなくなったので、そろそろ仕事を探そうと思ってます」
という、自分の胸中を占めている悩みは口に出せなかった。
 ひさしぶりに浴びた木漏れ日のような出会いの時間を、切実な私情で塗りつぶしたくなかったのかもしれない。

 柔らかな木漏れ日を浴びながら世間話をして、僕は今まで感じたことのないような懐かしさを覚えた。まるで前世の恩人と再会できたような気分だった。

 僕たちは連絡先を交換して別れた。彼は携帯電話を持っていなかった。
すてきな人と出会った後の森は、いつもより少しだけ明るく感じた。

 初めて出会った次の日の夕方に、僕の携帯電話に彼から連絡があった。今晩はご馳走だから食べに来ないかというお誘いだった。
お金がなくなって常に空腹状態だったので、僕は喜んでお伺いすることにした。

 島で3番目に大きな集落から県道を車で15分ほど走った所に森があって、その森を抜けると彼の家があった。
 真っ暗な森の中には月明かりに照らされた200坪くらいの平地があって、そこに小屋が建っていた。
 まるで宮沢賢治の童話に出てきそうな、森の中の小さなお家だった。
 家の横にあった畑は30坪くらいの広さでお世辞にも広いとは言えなかったけど、一家で自給していくにはこのくらいで十分なのかもしれない。
 窓からは温かいランプの灯りが漏れていて、玄関先には紫陽花が大きな青い花を咲かせていた。紫陽花の花や葉は色つやが妖艶に輝いていて、まるで地球から直接栄養を吸い取っているみたいに元気だった。その木は今にも動き出して僕にお辞儀をしそうだった。
 家のドアに近づくと、入江さんが「やあ、いらっしゃい」と言いながら玄関のドアを開けて迎えてくれた。

 50代半ばくらいの少し小太りな女性が彼の隣に立っていて、僕に微笑んだ。幼稚園の園長先生みたいな雰囲気の人で、彼女が入江さんの奥さんだった。
 木のテーブルには魚の刺身や山菜の天ぷら、ふんだんに盛られたサラダが置かれていて、勧められた木の椅子に腰かけると、奥さんは僕の前にあったお椀に具沢山のシチューをたくさん注いでくれた。
 どの料理も、思わず目を閉じてしまうくらい美味しかった。
なんでもない話をしながら3人で食事をしていると、またあの木漏れ日の下で入江さんと出会ったときのような温かい気持ちになった。

 家には物が少なかった。
 テレビや冷蔵庫をはじめ、電化製品が何も見当たらなかった。
 入江さんは屋久島に8年も住んでガイドをしているだけあって、森のことは大変詳しかった。森に詳しい人と食卓を囲んだことがなかったので、僕は興奮した。聞きたいことがありすぎて、どこから尋ねたらよいのかわからず、結局なにも質問できなかった。

 彼が話す言葉は端々まで温かく、角が立たずに丸まっていた。
 そして良いことと悪いことの区別や許せないことなど、何一つジャッジをしなかった。
 静かな夜に飲む40度くらいのミルクティーみたいな温かみが、彼の言葉には宿っていた。
 食事が始まって2時間くらいが経ったときに、話の流れとまったく関係のないタイミングで、僕は思わず「すごいなあ」と口にしてしまった。
 あきらかに意味不明の一言だったのに、彼はその言葉の意味を問うこともなく、僕の心中を見透かしたような笑みを浮かべるわけでもなく、ただ穏やかに微笑んだ。
 よくわからないことがあっても、この人はとりあえず微笑む人なのだ。
 奥さんは話の内容よりも僕にお腹いっぱいになってほしいみたいで、テーブルとキッチンを行き来しながら、たくさんのご馳走をふるまってくれた。
 僕は「おいしいです」という言葉を、まるで九官鳥みたいに繰り返した。30回は口にしたと思う。

 ぬくもりの正体は一体何だったんだろう。
 今になればよくわかる。大げさかもしれないが、入江さんは自分をとりまいている万物に、無償の愛情を注いでいたのだ。
 偉人級の人に出会えたと思った。
 森に通い、森に親しみ、そして森そのもので働きつづけると、もしかしたら彼みたいな人になれるのかもしれない。僕は嬉しくなった。
 自然が豊かな場所で、地に足の着いたスローライフを送るということに、僕は構えすぎていたのかもしれない。夫婦はいたって普通の人で、ごく普通に毎日を過ごしているように思えた。
 今まで感じたことのない安らぎを覚えて、僕は入江さんのお宅を後にした。
 すごい人と出会った後の帰り道は、自分を顧みずにはいられなかった。
 自分と入江さんは何かが根本的に違う。それは一体何なのだろう。
 振り返ってみると、僕は今まで「インパクト」ばかりを気にしていた。
 プロレスみたいに、大きな攻撃を受け、大きな攻撃を仕掛けることが格好いいことだと思っていたのだ。
 そこには「回復」という概念が抜け落ちていた。
 入江さんは回復系の人だと思った。

 それから僕は夫婦の家へ連日お邪魔し、たくさんのお食事と、余韻が残るようで残らないような、でも単純に英気を養える時間を過ごさせてもらった。
 彼らは嫌な顔一つしないで僕を迎えてくれた。
 ときには焼酎をご馳走になって、泊まらせてもらうこともあった。
 僕が泊まるのを予測していたのか、布団は干されていて、太陽の香りが滲みついていた。
 静かな森の夜は、まるで深海へ沈んでいくように眠ることができた。
 朝になると、野鳥の鳴き声で目が覚めた。
 最初に来たときは夜だったので気がつかなかったけど、家のまわりの森は、まるでバトミントンができるくらいに明るくて開放的な空間で、森というよりは林みたいだった。
 林が明るくて開放的なのは、入江夫妻が木々を薪として使うために間引いているからだった。夫婦は薪で火を起こして調理をして、お風呂も薪をくべて湧かせていた。
 入江さんは自動車メーカーでハイブリッドカーの開発に携わっていたと言っていたが、そんなハイテクの最前線にいた人が、今は薪を伐り、畑を耕し、釣りをして生活をしているなんて、なんだか雄大なサイクルの四コマ漫画を見ているような気がした。
 お風呂に入れてもらったことがあるが、身体が芯まで温まって、ガスで湧かせたお湯とは全く感覚が違った。
 回復系の入江家は僕にとってはインパクトだらけだったが、そんな中でもとくに印象的なことがあった。それは「入江」と書かれた小さな表札と郵便受けが、玄関から歩いて5分くらいかかる林の入口にあったことだ。
 当の本人たちは「郵便屋さんが楽でしょ」と真顔で言い、受けを狙っている訳ではなさそうだった。
 林は彼らの庭であり、生活の一部だったのだ。

 自分に残された森の10日間の前半は、はからずも入江夫妻のお宅へホームステイに来たような形になった。
 彼らは僕に、たくさんの話をしてくれた。
 自宅の菜園で採れる新鮮な野菜の美味しさについて。
 谷が一つ変わるだけで水の味も変わること。
 お米は隣の集落で育った新米をもらえるし、魚も海でたくさん釣れる。
 伐っても伐っても芽吹いてくる林の草木の力について。
 植物たちの個性について。
 森を歩くと、いつもたくさんの発見がある。
 屋久杉(屋久島では樹齢が1000年を超える杉を屋久杉と呼び、それ以下の杉を小杉と呼ぶ)は、いつ対面しても大きくて、彼らへの敬意は色あせる事がない。

 まさに僕がぼんやりと描いていた「ザ・オーガニックな生活」をしている代表みたいな人が目の前にいた。
 2人は名古屋のサラリーマン時代のことをほとんど語らなかった。
 そして驚くべきことに、愚痴や社会への憤りも、一言も口にしなかった。
 都会から島へ来て8年、彼らは自分をとりまく環境に満足していて、もうすっかり屋久島の住人になったようだった。

 一度、森で10人くらいのお客さんを連れてガイドをしている入江さんを見かけたことがあった。彼は優雅に解説をしているように見えた。仕事の邪魔をしたくないので声はかけなかった。

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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