木のみかた

第16回 全方向的な

2013.12.29更新

 4日目の朝は大きな雨音で目が覚めた。
 山小屋の引き戸を開けて外を見てみると、まるで滝のような雨が降っていた。
 僕は深い溜め息をついた。寝起きにこの光景はきつい。この滝のような雨の中へ、今から重いリュックを背負い、疲弊した体で歩いて行くのは、非常に気が滅入ることだった。
 濡れた体のまま山小屋の固い床に直で眠ったので、体が芯まで冷え固まっていた。
 しかし山小屋の入り口で立ち止まっていてもどうしようもない。純粋に森を歩くことだけができる日々は、明日でいよいよ最後なのだ。
 明日の夕方になっても温かい木漏れ日のようなハッピーエンドが来そうにないことは、うっすらと見えてきた。
 でも最後の気力を振り絞って、今日も里に戻らず、より奥地にある山小屋に泊まることにした。
 まずは腹ごしらえだと思ってリュックのファスナーを開けた。リュックの中には、予兆があったものの見て見ぬふりをしていたことが起こりはじめていた。それは食料がなくなりはじめたことだ。主食のフランスパンが30センチくらいの長さしか残っていなくて、あとは板チョコが1枚残っているだけだった。フランスパンを口に入れて、まるでガムのようにたくさん噛んで、水をたくさん飲んで、自分の満腹中枢をなんとかごまかした。3日前におじさんが食べていた熱いカップヌードルが夢のように思えた。荷物がいっこうに軽くならなくて、むしろ重くなっているような気がしているのも大きな誤算だった。少し考えてみたらわかりそうなものだけど、荷物の中は寝袋と着替えと水の入ったペットボトルが多くを占めていて、どれも途中で捨てられないものばかりだったのだ。それらは森の湿気をたくさん含んで、より重みを増しはじめていた。

 その日の雨足は、いつまで経っても弱まることがなかった。
 僕は今まで雨というものを一括りにしてきたけど、雨にもじつにいろんな形状があることを屋久島に来てから学んだ。この日の雨は、人をまったく寄せつけず、まるで地上が海原へ回帰することを促しているみたいだった。
 誰とも会わなかった。そういえば丸々2日くらい人と会っていない。この大雨の中、深い森の中を歩いているのは僕だけなのかもしれない。もしかしたら暴風警報とか大雨注意報とか、そんなのが下界では発令されているのかもしれないな。
 
 自分の体が思うように動かなくて、カチコチに固まった紙粘土みたいになってきた。
 あの満天の星空を見上げたのが昨日なのか一昨日なのかよくわからなくなってきた。
 
 強い雨に打たれながら、もうまわりを見る余裕もなく、ただ足下と前方6mくらいを見て、ヨタヨタになって進んだ。急斜面の登りを少し進んだ所で、ついに体が動かなくなってしまった。
 顔をうなだれると、目から涙が出てきた。なぜ涙が出てきたのかわからなかったけど、徐々に感情が湧いてきた。ただ苦しくて、自分が惨めだった。
 体が冷えきっていたので自分の涙が温かかった。
 うつむいていてもどうしようもないので、「おおー」とか「ああー」とか声を出しながら斜面を登りはじめた。声を出すと体が動きやすくなった。
 歩いても歩いても斜面が緩やかになることはなく、雨足もまったく弱まることはなかった。道のくぼんだ部分が小川になっていた。
 世界ははこれほど水だらけだというのに、僕の気力と体内は水気が絶たれたカラカラの雑巾みたいになっていて、その雑巾をふり絞るように、体を一歩ずつ前へと進めた。
 あのとき、僕はどんな顔をしていたんだろう。
 今まで抱いたいろんな感情が、スピードを上げて駆け巡りはじめた。それはまるで、なにかを目前にした頭の中の前夜祭みたいだった。
 がんばった。歯を食いしばって、声を上げながら斜面を登った。
 でもついに、そのときが来てしまった。
 万事休す、もうあかん無理。ゆっくりと荷物を下ろして仰向けになった。横たわった体にゴツゴツした岩が当たって痛かったけど、その岩をよける気力もなかった。
 斜面は泥でぬかるんでいたけど、僕の体も雨と泥と汗と涙で半魚人みたいに濡れていたので、もう何も気にすることはなかった。
 豪雨に打たれながら、大の字になって目を閉じた。
 気絶するように意識が落ちて、気がつくと雨が止んでいた。どのくらい時間が経ったんだろう。まわりを見回してみた。まだ明るかったので少しほっとした。

 僕が横たわっていた場所から3メートルくらい離れた所に巨大な杉が生えていた。杉は大きな枝を悠々と伸ばしていた。
 こんな斜面に生えているのに、木は堂々と生きていた。
 
 冷静になって考えてみた。今の自分は雨に打たれながら急斜面を登りつづけて、心と体が疲れているだけなのだ。もしもここがなだらかな地面で、やわらかい日差しが温かく降り注いでいる麗らかな春の日だったら、僕はきっとこの大杉のように悠々と歩き「ああ、自然って美しい。森って素晴らしい」と感じるだろう。
 じつに都合の良い話だ。晴れか雨か、平地か斜面かで、自分の心はこれほど変わるものなのだ。
 この杉は、雨の日も晴れの日も、眩しい朝も真っ暗な夜も、枝葉を悠然と伸ばしながら、ただ生きている。
なんだか、あいだみつをさんや立松和平さんのような文体になってきたけど、ほんとにそう思った。森の中の小屋に連泊したことで、1日の半分が夜だという事実が体感的に分かったことも大きかった。
 もしも木と話ができたら、この木は僕に、どんなことを語りかけてくれるんだろう。
 
 大杉を地面から見上げながら、ふと思った。
 庭と森の距離を、僕は何も分かっていなかったのだ。
 庭は人がこしらえたもの。あるいは概念。だから人にも理解ができる。
 でも森は人が作っていない。それは、昨日か一昨日に見上げた夜空に浮かぶ星の数のような生き物たちが、何十億年もかけて営々とつないで来たものなのだ。
 
 たとえば、庭の神様と森の神様がいたとする。
 庭の神様は、ときには人に寄り添ってくれる。悩みの相談にも耳を傾けてくれて、場合によってはアドバイスもしてくれる。いわばお地蔵さんのような存在だ。
 でも森の神様は、もっと広くて深淵で、人間がどうのこうのというよりも、もっと圧倒的なまでに全方向的な気がした。

 振り返ってみると、今までの自分は何かを求めてただ前に進んでいる、将棋に例えると歩のようなものだった。
 前に進むだけでは、森では何も通用しないのだと、この1カ月を振り返ってみて徐々にわかってきた。
 そんな森から何かを得るためには、僕はもっと大きな心を持った人にならないといけない。例えば入江さんのような。
 1カ月かそこらで歩いただけで、何かを得ようなんて無謀だった。
 もう、森を歩きつづけることは止めよう。
 いや、ただ歩き続けることはやめて、森の近くで、もっと肩の力を抜いて、リラックスした生活を送りながら、おおらかに森と向かい合っていくことにしよう。こんな風に自分を追い詰めないで、もっと毎日の生活を楽しもう。友達も欲しいし彼女も欲しい。
 今から山を下りて、入江さんの家に行って、弟子入りをさせてほしいとお願いをしに行こう。入江さんのガイドの助手でも、農作業のお手伝いでも、家の掃除でも、指示されたことは何でもしよう。そう思うと体が軽くなってきた。
 
 あれこれ考えながら大杉を見上げていると、驚くべき事実がわかった。
 それは長い間、心を静かにして、1本の木に的を絞って見つめ続けないと感じられないことだった。
 大きな杉は、細かな葉先から太い根元まで、微細な風を受けながら、全身を揺らしていたのだ。
 それを感知してからまわりの草木をあらためて眺めてみると、みんな、多様な振れ幅と時間間隔で揺れていた。
 森全体が揺れていた。
 揺れることと、悠然と生きることの間には、なにか重要な共通項があるような気がした。
 この感覚は、以前にも味わったことがあるのを思い出した。最近のことではない。もっと記憶の奥に沈みかけた、ずっと前のことだ。

 そして僕は、あの木のことを思い出した。思い出したというよりは、あの木の気配のようなものが、まわりの草木の揺れと共に僕の意識へやってきた。
 その木は縄文杉だった。
 僕は屋久島に1カ月以上滞在しながら、島の森の長老である縄文杉に、まだ会いに行っていなかった。
 なぜかというと、テント村や出会った人々の中で、あの杉のことをよく言う人が一人もいなかったからだ。入江さんでさえ話題が縄文杉になると少しだけ苦そうな顔をしながら微笑んで、「大きな杉だよね」とだけしか言わなかった。
 中学2年のときにあの杉の根元に座り、万象としか言いようのないものと通じ合った僕にとって、みんなの口コミは心が痛むものだった。
 縄文杉は今では日本全国からたくさんの人が押し寄せる観光名所になっていて、木の周辺が人に踏み固められないようにウッドデッキが建てられていて、そこから杉を眺めることになっているらしい。
 縄文杉の現在の状況を聞けば聞くほど、なんとなく僕は耳を塞ぎたくなった。現状を聞けば聞くほど、中学2年のあの体験を、過ぎ去った過去のものにしないといけないような気がした。
 だったらもう、会いに行かなくてもよいのかもしれない。そしたら12年前の体験は、永遠に僕の中に宿り続けて、けっして損なわれることはないのだから。

 でも、自分の上空で体を揺らせている大きな杉が「会いにいってはどうか」と優しく諭してくれたような気がした。
 僕は、自分の人生に大きな影響を及ぼしてくれた縄文杉に対して不義理をしていると思った。
 明日で、森を歩くだけの毎日は幕を閉じようとしている。
 森を歩きつづけることを中断する前に、縄文杉へ挨拶をしに行くことにした。
 ということは、これからのルートを変えないといけない。
 僕は勢いよく立ち上がり、手首にはめている腕時計に目をやって、リュックにしまっていた屋久島の地図を広げて縄文杉への道筋を目で追い、ここから縄文杉への行程を確認すると、今まで登ってきた急斜面を、まるで水源の水が流れはじめたように下りはじめた。

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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