木のみかた

第17回 揺れてます

2014.01.26更新

 スイッチが切りかわったような速さで僕は急坂をくだった。
 ついさっきまで鉛のように重かった自分の体が、一転して、風と一緒にふわりと浮きそうなくらいに軽やかに感じられた。

 身軽になった1番の理由は、体ではなくて心だった。
 森を歩きはじめてから僕をもっとも苦しめていたのは、これから先、自分がどこへ向かったら良いのかまったくわからない不安だった。
 「京都に生まれ育つ」→「東京に住む」→「庭師になる」→「自然の只中へ行こう」
 「自然の只中へ行こう」の次には、一体何があるんだろう?
 日がたつにつれて、それは自分が想像していたよりもはるかに広大なことのように思えた。
 まるでそれは、数日前に遭遇した星空を、1点1点、点描で描いていくような、はてしなく気が遠くなることのように思えた。
 そんな中で幸運なことに、僕はすごい人に出会うことができた。入江さんだ。
 入江さんに弟子入りしよう。
 ここ数年の生活を初めて思い描くことができて、心が少し穏やかになった。
 安易で結構。もう1人で森を歩きつづけるのはいやだ。
 森から直接なにかを学ぼうなんて芸当は、自分の身の丈に合わないことだったのだ。
 そんなことを思いながら、ついさっきまで自分が登っていた急坂を颯爽と駆けおりた。じつに爽快な気分で。

 そしてもうひとつ、驚くべき変化が自分の体に起こっていた。
 森全体が揺れていることを、僕はくっきりと認識できるようになっていたのだ。

 森が揺れている。
       
 坂を駆けくだって谷底に着いた。
 谷底には小川が流れていて、僕は自分の顔をバシャバシャと洗った。あのときのまるで氷のような冷たさは今でもよく覚えている。源流の水は限りなく澄んでいた。あじをしめた僕は、顔だけではなく、頭、両手、両腕、カッパとシャツを脱いだ裸の上半身、ズボンをまくり上げた膝下をバシャバシャと洗った。もしも川が大きかったら、きっと体ごと飛び込んで水風呂のように浸かっていたと思う。あまりの冷たさに体中がキーンとなって意識が少し飛びそうになったけど、今までの自分が少し死んで、新しい自分が少し生まれ変わったような気がした。

 服をゆっくりと着ていたときに背後からの視線を感じた。
 振り返ってみると15メートルくらい離れたところに丸くて大きな石があって、1人の人間がその石に座ってこちらを見ていた。2日ぶりに目にした人だった。僕は無性にここ数日の体験を語りたくなった。人恋しかった。たった2日間でも1人で森を歩くのは寂しかった。
 僕は大きな丸石へ歩み寄り、笑みを浮かべながら「こんにちは」と石に座っている人に声をかけた。
 30代半ばくらいの、イラン人と日本人のハーフみたいな顔立ちをした女性だった。
 彼女は僕を見るなり、顔を少しだけ引きつらせて「ああ」と声を漏らした。明らかに怯えている。
 それはそうかもしれない。泥まみれの男が山から颯爽と下って来て、川で体を洗いはじめ、無精髭の伸びた顔で満面の笑みを浮かべながら近寄ってくるのだ。僕だって怖い。
 近づくのはやめておこうと思って、僕は彼女との距離が4メートルくらいになったところで立ち止まった。
 そのとき、僕は不思議な違和感を覚えた。
 それは久しぶりに人と会ったからでも、彼女の愛想がよくなかったからでもない。
 森はみんな揺れているというのに、その女性は揺れていなかったのだ。
 彼女が腰掛けている大きな丸石も、石なりに揺れているというのに、彼女はまったく揺れていない。まるで薄い陶器で作られた彫像のようだった。僕のほうを見てはいるけど微妙にピントが合っていないような眼差しでこちらを見ている。
 もしかしたら、彼女はとても辛いことがあってここへ来たのかもしれない。
 僕はついさっきまであれほどたくさん語りかけたかったのに、今度は何と声をかけたらよいのかわからなくなってしまった。少し時間をかけて言葉を選び、「お元気ですか」と語りかけた。見るからに元気ではないのに。
 彼女はなにも反応しなかった。僕は少しお辞儀をしてその場を離れ、再び山をくだりはじめた。
 もしかすると、あの人は幽霊だったのかもしれない。
 
 僕は快調に山をくだりつづけた。
 自分の心にゆとりが生まれてきたからなのか、森全体がちょっとしたお祭りみたいに揺れているような気がした。みんな揺れている。

 西日が夕陽になりはじめたころ、山小屋に着いた。
 僕が山小屋に着いたとき、10人くらいの人が小屋前の広場で夕飯を食べていた。
「こんにちは」と僕が言うと、「こんにちは」「こんにちは」と木霊のように返事が返ってきた。人がたくさんいるだけで、ほっとひと安心だった。
僕は背負っていた大きなリュックを地面へ下し、沢で汲んだペットボトルの水を飲んで、残わずかになったフランスパンをかじりながら広場を眺めた。
 すると、今まで見たことがあるようで見たことのない光景が目の前に展開していた。
 見た目は人々が静かに夕飯を食べているだけの何の変哲もない光景だったけど、広場にいる人たちが、みんなおおいに揺れていたのだ。

 風に揺れるススキの穂のようにゆらゆら揺れている人
 枝先の小枝みたいに小気味良く揺れる人
 地中の根のようにじわじわ揺れる人
 山石のようにガチガチ揺れる人
 流れる水のようにすらすら揺れる人
 湯気のようにもわもわ揺れる人

 僕は頭がおかしくなったんだろうか。
 それにしても、じつに興味深い光景だった。十人十色という四文字熟語があるが、あのときはまさしく十人十揺(じゅうにんとゆれ)だった。
 同じ人でも時がたつにつれて、揺れかたが微妙に変化していくのもおもしろかった。
 もしかしたらご縁の正体は、お互いの揺れが共鳴し合うことなのかもしれない。
 僕は広場に座っている人達の揺れと、僕たちを取り囲んでいる森の揺れを交互に眺めた。
 響き合っていたり、微妙に反発し合っていたり、まるで溶け込んでいなかったり。
 まるで世界の縮図のようだった。

 広場を観察していると少し薄暗くなってきた。
 この日のために購入したんだろう。みんな小綺麗なアウトドアブランドの服を着ていた。みすぼらしい格好をしているのは僕だけだった。
 そういえば僕はいくら持っているんだろう。自分のリュックサックの奥に入れていた財布を取り出してみた。黒い合皮の財布は数日間の湿気で少し柔らかくなっていた。財布の中を開いて紙幣を数えようとすると、水気のために紙幣同士がくっついてぶ厚い1枚の紙になっていた。はがそうとするとどちらか片方が破れてしまいそうだった。テント村に帰ってからドライヤーで乾かさないといけない。

 ぶ厚い1枚紙になったわずかな紙幣の束を財布に戻そうとしたとき、千円札の野口英世と目が合った。
 僕はふと手をとめてお札を眺めた。そういえば、こうやってじっくりと千円札を見たのは初めてだ。紙には緻密かつ精巧な印刷がなされている。まるで国の威信をかけた工芸品のような出来映えで、その完成度は作り込みすぎと思うくらいだった。それにしても、よくできている。
 紙幣そのものが揺れているのかは、よくわからなかった。

 まわりはいよいよ暗くなってきて、一番星が光りはじめそうだった。広場にいた人たちは次々と山小屋に入って寝支度をはじめた。
 僕は飽きることなく紙幣を手に取って眺めていた。
 4日間ずっと自然の中にいて、目にするのは森と空だけだった。
 そんな中、ふいに手に取って眺めてみた紙幣は、まるで違和感の結晶みたいだった。
 べつに文明批判とか貨幣経済の病理とか、そんな感慨が湧いてきたわけではない。
 ただ紙幣という紙は、僕を取り囲んでいる大自然の営みとはおよそかけ離れていて、万物と馴染み合うことはなく、風化を拒み、これからいよいよ暗くなっていく森の中にあっても闇にあらがおうとしているようだった。紙からは「揺れるのではない。ここからまわりを揺らすのだ」という気概を感じた。
 屋久島に来てからの僕は、自分の残金が気になってしかたがなかった。
 減る一方の財布の中身を横目でのぞいては、少なからず動揺していた。
 でも、ここ数日の森のトレッキングでお金を使うことはなく、当たり前だけど財布の中身は4日間で1円も減っていなかった。
 「なんだ、こんなものか」と呟きたくなった。

 少しだけ寒くなってきた。気がつくと広場にいるのは僕だけだった。僕は財布を再びリュックの中に入れると、ゆっくりと体操をして体をほぐし、汚れた衣服を脱いで少しでも汚れの少ない衣服に着替えて、青みがかった黒い空を見上げた。一番星が夜空の真ん中で輝いていた。

 僕は山小屋に入り、寝支度を整えて寝袋に入った。小屋の中では早くも寝息が聞こえていた。
 いよいよ明日で、森を歩きつづける毎日と別れることができる。
 もしも入江さんに断られたらどうしよう。
 でも、きっとあの夫婦は僕を受け入れてくれる。あんな素敵な人たちにはおそれ多いけど、夫婦と僕の揺れは共鳴し合っているような気がした。

 明日はいよいよ縄文杉との再会だ。杉はどんな姿になっているんだろう。僕は疲れていたのに、なかなか寝つけることができなかった。

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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