木のみかた

第21回 メッセージ

2014.05.25更新

 誰もいなくなった縄文杉のまわりは、圧倒的な静寂に包まれた。
 そよ風が吹くと、木々の茂みが微かに揺れ動く音が聞こえる。
 このシチュエーションで縄文杉から何かメッセージのようなものを受け取ることができたら、どんなに素晴らしいことだろう。
 突拍子もないことが始まりそうな兆候は何もなかったが、僕は縄文杉を眺めつづけた。
 陽が傾きはじめ、茂みの陰影が少しずつ暗くなりはじめた。日没が近づきはじめている。 

 他人の視線がなくなったので、僕は自分が立っているウッドデッキから立ち入り禁止になっている縄文杉の根元へ行ってみたくなった。素足になって巨杉の根元に座り、幹にもたれかけてみたい。12年前と同じように。
 僕は泥だらけの靴と靴下を素早く脱いで裸足になった。
 ところが、いざウッドデッキの外へ下りようと足を中空へ伸ばしてみると、自分がとても卑しいことをしているような気がして、足をウッドデッキに戻した。
 僕は昼間に大勢いた人達のことを思った。縄文杉に直接触れることを我慢していた人もきっといたにちがいない。そんな中で自分だけがルールを破ることができる理由は何一つ見当たらない。自分の欲求に従って縄文杉の幹に直接触れて根元に座ると、自分の中の何かが壊れてしまうような気がした。

 12年前と同じように根元に座って耳を澄ましていると、はたしてどんな心地がするんだろう。目をつぶって12年前の自分と呼吸を合わせるように、息をゆっくりと吸って、ゆっくりと吐くのだ。するとどんな感慨が湧いてくるんだろう。もしかしたら、縄文杉から何かメッセージを受け取ることができるかもしれない。
 胸踊る想像が頭の中を駆け巡ったが、実際に行動する気にはどうしてもなれなかった。
 さすがに5時間以上立ち続けているのも疲れたので、裸足のまま、今度は座りながら縄文杉を眺めた。

 縄文杉は、近づくことができない特別な存在になってしまったのだ。

 そう思うと、今自分が立っているウッドデッキは船のデッキで、縄文杉は海上に浮かぶ神の島のように見えた。
 縄文杉が生えているのが神の島だとすると、どこまでが御神域になるんだろう。
 すると、神の島は僕の認識速度を軽く上回り、ウッドデッキを360°包囲している茂みがブワっと揺れ動き、輝きを放った。
 輝きが風圧と共に僕の体へ届いた時に、僕は感じた。

 そうか。縄文杉というのは1本の木ではなくて、森の一部、象徴だったのだ。

 それは、突然やってきた確信だった。
 昔、縄文杉のような巨木は、いたる所で、ごく普通に生えていた。
 僕が辿り着いたこの場所の、この光景は、ごく普通に広がっていた大地の原風景だったのだ。
 世界はあたりまえのように、美と神秘で満たされていた。
 僕たち人間は、その世界の中で、個人としてではなく、世界の一部として人生を全うしていた。
 そうか。そうだったのか。僕は世界の一部だったのだ。

 だいたい0.1秒くらいでそんなことを感じた。それは揺るぎのない確信だった。

 僕は縄文杉を眺めた。

 すると突然、僕の右隣で「たしかにでけえな。でも使えねえわな」という中年男性の声が聞こえた。
 あまりにも突然だった。自分の体から血の気が引いて、真っ青な顔で右を向いた。
 すると40代半ばくらいの作業服を着た男性が僕の隣に立っていた。
 彼の顔は陽に焼けていて、頭はこざっぱりとしたスポーツ刈りで太い首をした、いかにも屈強そうな男性だった。
 白いタオルを首のまわりにかけていて、左耳の上には短くなった赤鉛筆がはさまっている。
 作業着は汚れていて、左ポケットの上部分には宇田川と書かれた刺繍が施されていた。靴は長靴を履いていた。
 どう見ても観光客には見えない。かといって幽霊にしてはほんわかしすぎている。
 おじさんは僕を見て、「なあ。しかしでっけえよなあ。もうちっとまっすぐだったらなあ。けえるぞ」と言った。僕はいつのまにか彼の部下になっていた。
 唖然と立ち尽くす僕にかまうことなく、彼は何も躊躇しないでウッドデッキを下りて縄文杉の根元まで行き、パンパンと幹を叩きはじめた。
 そして大杉を見上げて「でけえな!」と言うと、縄文杉の奥の茂みへ消えて行った。
 意味不明の出来事だったが、なんとなく祖父の幼なじみに会えたような、不思議なぬくもりを感じた。

 日暮れはすぐそこまで迫りはじめた。僕は縄文杉を眺めた。

 あたりが薄暗くなるに従って、縄文杉の幹と、僕の立っているウッドデッキが白く浮き立ちはじめた。
 すると、次の確信が僕にやってきた。

 それは、「 世界の変動が起こりはじめた 」ということだった。
 変化ではなく変動だ。しかも大が付くくらいの。

 この秘境に人がたくさん来はじめて、巨大なウッドデッキが建造されたのだ。これも何かの前兆だろう。
 僕は屋久島に住んでいて良いんだろうか。もっとやるべきことがあるんじゃないか。
 
 やがて、陽が傾いて夕方になった。
 快晴は夕方までつづき、夕焼けが大空を真っ赤に染めているのがウッドデッキの上空から見てとることができた。

 そして、夕焼けが終わって夜になった。
 夜になっても僕は縄文杉を眺めつづけた。

 やがて月の光が縄文杉の白い樹肌を照らしはじめ、大杉はまるで淡い発光体のように光を放ちはじめた。
 その姿は、まるでこの世のものではなく、あの世からやってきたように見えた。
 そうすると、自分が立っているウッドデッキが客席で、縄文杉が立っている場所が能舞台のように思えた。

 縄文杉は、僕の前で淡い光を放ち始めた。
 
 突然、淡い光がものすごい速度で僕の体に届いた。
 言葉にすることはできない。でも僕は、鮮明でくっきりとした「メッセージ」を受けとることができた。
 なんたる僥倖。
 ただし、それは日本語ではなかった。そしてそれ以前に言語の体を成していなかった。
 もしも言語化をしようと試みると、それは複数回の通訳を必要とする、繊細かつ複雑な記号の集合体だった。
 はたしてそれが、縄文杉が発した僕へのメッセージだったのかどうかもわからない。もしかすると縄文杉からのメッセージは森全体からのメッセージでもあって、そのメッセージと自分の心の声が折り重なって、僕はそれを弦楽四重奏のような形で認識することができたのかもしれない。
 僕はメッセージを、その日の澄みきった夜空に昇りはじめた月の輪郭のように、鮮明にくっきりと感じとることができた。

「 あなたはどういきるか 」

 雲一つない快晴だったので放射冷却が起こりはじめ、気温が急激に下がりはじめた。熱という熱がウッドデッキから夜空へ上昇していく。
 僕は山小屋へ帰ることにした。淡い光を放ちつづけている縄文杉に深々とお辞儀をして、月光に照らされたウッドデッキを後にした。

 青白い月光は山道も照らしていて、ヘッドライトの灯りを付けないで歩くことができた。

 小屋に着いて、寝袋に潜って目を閉じた。自分の脳裏に森が広がった。

「 あなたはどういきるか 」

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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