木のみかた

第23回 テントファイアー

2014.07.27更新

 僕の車は、真っ暗になった海岸沿いの道を走った。
 空を覆っていた雨雲が次第に薄まっていき、漆黒の夜空が広がろうとしている。
 右側に広がる海へ目をやると、月が海原の上で強い光を放っていた。
 
 たかだか6日間だけど、テント村のみんなと久しぶりに会うような気がした。
 車がテント村に着こうとしたそのときに、テント村の方向で、真っ赤な光があたりを照りつけているのが見えた。赤い光は形を変化させているのか、まわりの陰影がざわざわと動いている。
 赤い光は煙を出していて、それが炎だとわかった。
 一瞬、火事かと背筋が凍った。炎はテント村の一番広けた場所で燃え盛っている。
 アクセルとブレーキを強く踏んでテント村に到着すると、みんなが炎のまわりに座っているのが見えて、ほっとした。
 僕の顔を一番最初に見つけた宿屋のご主人が「おかえりー」と大きな声で言ってくれた。そして炎を囲んでいるみんなが、まるで木霊のように「おかえり」「おかえり」と言ってくれた。炎を囲んでいるのは10人くらい。「おかえり」という言葉は温かかった。
 ちょっと大げさだけど、自然界から人間界に帰ってこられたと思った。

 暗闇の中、炎だけがあたりを照らしていた。はたしてその光量が明るかったのか暗かったのかはわからない。炎というのは不思議な存在で、照らす部分は第二の太陽みたいに照らすが、その反面、照らさない闇の深さを一層際立せる。

 みんなで炎のまわりを取り囲むのは、16年前の林間学校以来だった。
 一人一人の顔はよくわからなかったけど、僕を見た西口君が「おお。すこし痩せたねえ」と言った。
 僕は何かを言い返そうとしたが、何も口にすることができなかった。
 言葉が見当たらない。たった6日間で、少し痩せた理由を話しはじめる最初の言葉が見当たらなかった。
 僕はこの6日間で体験したことを、みんなに語りたくなった。
 しかし6日間の経験には輪郭がなく、どこから話をしたら良いのかわからない。

 今になって振り返ってみると、あのとき話したかった内容がよくわかる。僕は森で何を体験したのかを。
 でもあのときは、終わったばかりの体験をうまく伝えられそうになかった。
 だったら開き直って、抽象的な詩を詠ってみても良かったのかもしれないし、楽しい歌をみんなと歌ったり、ギターを弾いたり太鼓を叩いて踊ることが良かったのかもしれない。

 明日になったら山川くん、西口くん、木村くん、中山くんと宮下さんの5人がテント村を離れるので、今晩はその送別会らしい。
 森では今日も雨の一日だったけど、ここでは昼前から雨は止んでいたらしい。そういえば地面がカラカラに乾いている。屋久島は不思議な島だ。

 座る場所は、みんなが少しずつ詰めて開けてくれた。僕はオオバコが茂る草原に座った。座ってみると、炎が目の前でパチパチと音を立てながら勢いよく燃えているのがよく見えた。全身が火照って熱くなった。

 すこしの沈黙があって、田中くんが沈黙を破るように話をしはじめた。
 「だから俺的には、その仕事は自分には合わねーって思ったわけ。自分を殺してまでそこにいたくねえっつうか」

 僕の帰りで中断された話が再開されたようだ。少しの沈黙があった。

 僕の隣にいた木下さんが「わかるよそれ。もっと自分らしさみたいなの、こだわっていきたいよね」と言った。
 すると、間髪を入れずに炎の向こうの誰かが言った。「 つーか、おめえら甘いんだよ。自分らしさ? 仕事はそんなに甘かねえよ」

 テント村には暗黙の了解があった。それは、ここまで来た事情をあまり深く詮索し合わないということだった。
 みんな様々な事情を抱えていそうだった。
 そもそも順風満帆の人生だったら、ここがいくら自然溢れる世界遺産の島でも、こんな離島で長いテント生活を送る事にはならないだろう。
 でも、順風満帆ってどんな状況のことを指すのだろう? 僕にはよくわからなくなってきた。

 そのルールは今夜破られようとしていた。明日になったら5人もテント村を離れるのだ。この夜になって、みんなの間にあった薄い幕のようなものが、炎の熱で溶けはじめているのを感じた。
 僕はみんなの話に聞き入った。

 「 でも、仕事って、自分らしさって、何やろね」
 「 そんなの考えること自体が甘いんだよ。俺なんか製薬会社に勤めてたときは、それはもう無我夢中で働いたよ。毎日が必死で、常に真剣勝負だった」
 「 だから鬱になったんじゃねえの 」

 ノーガードの打ち合いだ。

 「 結果じゃなくて、過程の中で、自分がどれだけ夢中になれるかが大切だと思うな」
 「 あ、それ、どっかで聞いたことある」
 「 よくわかんねえけど、お前らこれからどうすんの? ここ来て、貯金も減る一方だろうよ。だから黙って仕事見つけて働けばいいんだよ。それでコツコツ金貯めて、ここ来たみたいに、また好きなことやればいいんだよ 」
 「ガキができたら、そんなこと言ってられねえだろうな」
 「そもそも、夢ってよく聞くけどさ、それはほんとにてめえで描いた夢なわけ? 俺今まで生きててさ、なんか、聞いたことあるような耳障りのいい夢しか聞いたことねーんだけど」
 「そんなおめーに夢はあるわけ?」
 「ねーよ。ねーから生きづれえんじゃねえか」 
 「ていうか、夢とか人生の目標とかさ、なんなの?そ んなの、自分の内側から沸き上がってくるもので、他人がとやかく言うもんでもないっしょ」
 「夢があったら、こんな所でぐずついちゃいねえし」
 「ごちゃごちゃ考えないでさ、もっとシンプルに生きてえな」
 「若いっていいよな、俺もあーだこーだ、いろいろ考えたもんよ。まあ40にもなったらわかると思うけどよ、夢なんて、コロコロ変えて楽しめばいいんだよ」
 「ま、とりあえず、まあ俺も含めてだけど、みんなちゃんと働こうぜ」
 「そんなこと言ってもさ、引きこもってるやつは、外に出るだけでも大変だぜ」
 「一生二次元で生きてたらいいんじゃねーの」 
 「自分のことで精一杯よ。気にしてられっかよ」
 「部屋にこもってようが、ここでだべってようが、社会的にはあんまり変わらねえんじゃねえの」
 「そんなことねえよ。内と外では大違いだよ。ここは屋久島だぜ? 大自然だし」
 
 会話の一つ一つが刺さった。まるでみんなが僕を責めているような気がした。
 ろくに働きもしないで、森ばかり歩いている僕は、社会的には価値がないような気がしてきた。
 僕は炎を見つめながら、話に一言も加わることはなく、みんなの話に聞き入っていた。
 ここ数日の疲れと眠気のために、このあたりから、誰が何の話をしたのかよくわからなくなってきた。

 「大自然がどうしたの? それって、生きることと関係あんの?」
 「ねえよな。そんなもんネットかテレビで見ればいいよ」
 「おまえら、根っこの部分で間違ってるで。大自然あっての人間やろ。生かされてる感謝の気持ちを忘れんなや」
 「瀬戸内寂聴あたりから聞くとありがてえかもしんねえけどよ、ここに来て森もろくに歩いてねえ奴から聞いても、なんも響かねえよ」
 「俺かて歩きたいよ。でも金ないやんけ。だからせっかくここまで来たのに、やりたくもないレジ打ちばっかりや。ほんま、いやになるわ」

 次第に、テント村の住人たちの会話というよりも、現代に生きる人々の言葉が、目の前で燃え盛っている炎から、次から次へと飛び火しているような気がしてきた。

 「 さっきから、けなし合ってばっかりやんけ。なんかささくれ立ってきたわ。明日で5人もここを離れるわけやし、三浦っちも帰ってきたことやし、もっと楽しくやろうや」

 沈黙がしばらくつづいた。
 炎というのは不思議なもので、沈黙が気まずくなかった。まわりを見てみると、みんなも燃え盛る炎をじっと見ている。僕の右斜め前にいた山川くんが、的確なタイミングで薪を炎に入れて、炎の中で燃えている木々を的確な位置に微調整していた。
 「 でもよ。よく考えたら、テント村の住人、あと1週間後くらいで、ほとんどいなくなるよな」
 「 そやな。1週間後に残るの、平田さんと三浦っちだけやね」
 「はあ。なにしにここまで来たんだか。灰色の街生活に逆戻りか」
 「さえないこと言うなよ。俺はこんな退屈な島より、都会のほうがよっぽど楽しいよ。こんなとこ、気が向いたらぱっと来て、見たいもん見て、うまいもん食いに来たらいいんよ」
 「さっきから話聞いてるけど、俺には夢あるし。いつか俺の絵で、世界中の人々を幸せにするっていう夢なんだよね」

 会話が途切れた。誰も何も言わない。

 「はあ。おいしい仕事ねえかな」
 「だよな。みんな口ではいろいろ言ってもさ、やっぱ金だよ金」     
 「たしかに、金で解決できること多いもんな」
 「金がなんぼのもんやねん。そんなんは手段であって、目的には絶対ならへんで」
 「札束持ったことあんの? えらそうに言ってよ、稼げるもんなら稼いでみろや」

 この言葉は効いた。いよいよ所持金が0になろうとしている自分には、容赦なく突き刺さる言葉だった。
 あいかわらず、僕は一言も会話に入る事ができなかった。

 僕は、ここでは自分の事を「庭師」と名乗っていた。庭というものに一定の見切りをつけて屋久島に渡ってきたというのに、その庭師という肩書きを、まるでお札のように自分に貼付けていた。何者でもない自分をさらけ出すのが怖かった。
 テント村には「今はなんにもしてませーん」と言っている人が3人いた。彼らの心の強さと広さが羨ましかった。
 
 たった今、日本中の飲み屋で交わされているであろう会話と、この屋久島で交わされている会話が異口同音に感じられる。それはとても不思議な現象のような気がした。 
 この話の流れの中で、僕がもしも「自分が経験した森の6日間」のことを話しはじめると、どんな空気になるだろう。だいたいの察しはついた。きっと、さっきの夢のカミングアウトみたいに、会話する価値のないものとして流されるような気がした。
 
 場の空気というのは、じつに不思議なものだ。
 テント村の住人たちは、自然というものに対して、ある程度開かれた意識を持っている人たちばかりだった。でもその自然への意識は、こと「生活する」ということに関しては、ほとんど何も関与していないように思われた。少なくとも、このテント村の炎の前では。

 たしかに、生きる事は周囲の自然を感じていられるほど、のんきなことではないのかもしれない。
 僕たちの世界は、僕たちが気がつかない間に、なにか大きな悲しみを宿しているような気がしてきた。その悲しみは大きくて分厚い。僕たちは悲しみのすぐ側にいるというのに、何も感じることなく、日々の生活を送っている。
 巨大な悲しみは一体何なのか、うまく掴むことはできなかった。気配と違和感はたしかにある。でもそれが一体何なのか、うまく掴めるようになったのは、もっとずっと後のことだ。

 「まあ、働こうぜ。みんなそうして苦労して、なにかを掴むんだよ」

 そうだ。僕の旅も今晩で終わったのだ。 
 明日は自分の居場所を決めるのだ。入江さんの所へ行って弟子入りをさせてもらおう。
 そして、仕事を求めて動きはじめよう。
 
 「ここに来れてよかったよ。大自然をいっぱい感じることができた」 
 「そうだな。また来年、ここで会おう」

 この会話が実際に交わされたのか、自分の夢の中で交わされたのかは、うまく思い出せない。

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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