木のみかた

第39回 原始の森の王

2016.11.17更新

 森を案内する時は、できるだけ新鮮な気持ちでいたいと思っています。だから僕は今のところ自分のホームグラウンドのような場所を持っていません。依頼があったら日本全国どこにでも伺います。
 そうは言っても、足を向けて寝られない場所が1カ所だけあります。
 それは京都市内にある糺の森( ただすのもり )です。

 僕はこの森のすぐ近くで生まれ育ちました。今でも年に数度は案内をさせてもらっています。

 糺の森は、平安京の鎮守だった下鴨神社の境内に広がっている森で、京都市街地の中にありながら、東京ドーム約3個分の広さがあります。
 この森がさらにすごいのは、その植生にあります。
 平安京が誕生する遥か以前、京都盆地を覆っていた原始林が、当時に近い状態で残っているのです。
 これはたいへん貴重なことで、世界中を探してみても、都市の只中に原始的な森がこれだけの規模で残っている場所は、僕が知るかぎり他にありません。

 僕が通っていた下鴨中学校は、そんな奇跡すぎる糺の森の隣にありました。
 近隣住民たちは、さぞ日々敬って森に接していたと思われるかもしれませんが、残念ながら僕は神様を身近に感じたことはなかったし、糺の森に対して、敬虔な姿勢で接している大人も見たことはありませんでした。
 ほとんど誰からも気にされることはなく、森は薄暗く静まりかえっていました。
 
 そんな森に、太古から生きつづけている植物が生えていて、どうやらそれがピンチらしいという噂を中2の秋に聞いたことがあります。太古という言葉に一瞬ゾクっとしました。
 でも、それがどんな種類で、なぜピンチになっているのか教えてくれる人は誰もいなくて、学校の授業やクラスの友人たちとの間で話題に上ることもありませんでした。
 僕の近所の森へのほのかな興味はすぐに消えてしまって、15年以上、実家のすぐ近くにあるその森が、気になる存在になることはありませんでした。
 そこは僕にとって自転車で通り抜ける「 木がたくさん生えている場所 」でしかなく、そこで何かをする場所ではありませんでした。下鴨神社へ行く用事といえば年に2回で、正月の初詣と、お盆に開催される古本祭りくらいでした。

 糺の森のすごさに初めて気がついたのは、30歳の春のことです。
 日本中をめぐった5年間の旅から京都の実家へ帰ったばかりだった僕は、せっかくだから久しぶりに下鴨神社に行って、なかなか過酷だった旅から無事帰ってこれた報告とお礼をしに行くことにしました。
 生まれてこのかた、神仏に対して手を合わせる気持ちなんてかけらもなかったのに、数年間の旅は僕をすっかりと変えてしまいました。

 ふらりと立ち寄った久しぶりの糺の森で、僕はあまりの感動に目眩を覚えました。
 実家から眼と鼻の距離にあって、物心がついた時から見慣れていたはずのその森は、僕がめぐったどの森とも違う植生と美しさを湛えた、唯一無二の場所だったのです。

 大学を卒業してから6年かかって、僕は自分の審美眼ならぬ審森眼を養いました。そしてようやく、自分のすぐ身近にあった森の魅力を感じることができたのです。それは人生の僥倖でした。







 僕は興奮して、下鴨神社や糺の森の歴史を調べはじめました。
 神社の境内にある森のことを正式には杜と書くのも、その時に初めて知りました。
  
 糺の杜には、今でもひときわ立派な木が生えています。
 その木は、80年くらい前までは池だった大きな窪みの淵に、雄大な枝葉を広げて生えています。
 おそらく糺の森の中で1番大きな木だと思います。
 その木は、椋木( むくのき )です。







 樹齢は、若く見ても300才はありそうです。

 京都盆地の原始的な植生が残っている糺の森の中で、もっとも大きな木だということは、太古の京都盆地を覆っていた原始林や湿原の中でも、もっとも大きな木だったということになります。

 椋木( むくのき )は、日本では関東以西の地方に自生をしています。
 川が数十年に一度の大洪水を起こすと呑み込まれてしまうような川岸や、岩が露出した斜面で巨木になっているのを見かけます。
 しょっちゅう川に呑み込まれるような場所ではなくて、数十年に1度くらいの大洪水が起こったときに、川に呑み込まれる所が好きなようです。

 そんな椋木は、京都盆地を覆っていた原始林では、他のどの木よりも大きく、王様として君臨していました。

 その森は、きっと息を呑むような美しい場所だったことでしょう。

 椋木は、10月に入ると1cm程度の黒い実を実らせます。
 この実はとても美味しくて、まるで熟した柿みたいな味がします。個人的な感想では、ほどよく熟した椋の木の実は、柿よりも格段に美味しいです。







 鳥たちは好んでこの実を食べ、果肉だけを消化し、親木から遠く離れた「 どこか 」で種を排泄します。

 それから椋木( むくのき )をはじめとした多くの木々は、京都市内では11月の中旬くらいから葉を黄葉、紅葉させて落としはじめます。
 森の中ではその落ち葉が、排泄された種の上にやさしく降り積もります。
 また種は、鳥が排泄する時に他の排泄物とも混じっているので、それらが肥料にもなります。なんとも合理的な生存戦略です。

 森や街を飛び交う鳥は所かまわず排泄をするので、街中( ただし関東以西にかぎる )でも椋の木の赤ちゃんが芽生えているのを見かけます。
 ただ、なんといっても太古の森に君臨していた森の王様の末裔なので、芽生える場所はどこでも良いわけではありません。

 陽がよく当たって、土もわりと肥えていて、水分もそれなりに豊富な所で芽生えます。
 街中でこの3つを満たす場所は、それほど多くはありません。
 僕は椋の木の赤ちゃんを見かけたら、その芽生える所はどんな所かチェックをするようにしています。そしていつも「 ああ、ここなら芽生えるね。たしかに。 」と納得して、太古からつづく椋の木の世代交代を思います。







 人が本格的に定住を始める5世紀以前の京都盆地には、大小無数の川が流れ、あちこちに様々な形をした泉や池があって、深い原始林と湿原に覆われていました。
 椋木は、そんな中でひときわ巨大に生えていました。

 そんな太古の原生林から、5世紀頃には、優れた土木技術と多くの人的資源を持つ秦氏や加茂氏が京都盆地へやってきて開拓を行いました。そうして田畑が造成されて人が定住できるようになり、1222年前の794年には日本の首都に。現在、京都市には約140万人が暮らしています。







 京都で一番の繁華街、四条河原町から歩いて3分くらいの所にも、大きな椋木( むくのき )が、建物とアスファルトの道の間から生えています。

 深い原始林だった頃から環境が変わっても、椋木は、街の中で生きつづけています。







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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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