木のみかた

第11回 人類史上最大の都市

2013.07.28更新

 青空の下、車のアクセルを踏んで、宮崎から鹿児島へ向かって南進した。

 森からつまはじきにされた気分だった。車窓を全開にして、ラウドなクラブミュージックを大音量に流し、鬱屈した気分を紛らわせながら車を走らせた。
 森の静謐さに比べたら、大音響のビートがまるで子守唄のように優しく感じられた。

 宮崎から鹿児島までの道は、きっと南国情緒溢れる風景が広がっていると勝手に想像していたのに、実際に来てみると、僕が生まれ育った街と何も変わらない風景の連続だった。
 いつになったら変わるのか期待に胸を膨らませながら車道を進みつづけたものの、結局、京都から鹿児島まで、ほとんど何も変わらない風景がつづいた。

 コンビニ、民家、農地、外食チェーン、駐車場、マンション、ショッピングモール、空き地、民家、外食チェーン

 まるで人類史上最大の都市が、車道沿いに網目状となって延々と拡大しつづけているような気がした。
 南九州まで来たというのに、僕がいつも使う便利な店が、いつものように開店している。

 ふと山のほうを見ると森が広がっている。その森へ人が立ち入ることは(ほとんど)ない。
 森には何かがあるはずだと旅を始め、見事にはじき飛ばされてしまった自分にとって、その光景は痛いほど現実味を帯びて横たわっていた。
 人が頻繁に行き交う車道沿いの街と、人が立ち入ることのない森が、はるか彼方まで隣り合っている。


 この状況が、良い事なのか悪い事なのか、僕にはわからなかった。
 今まで誰も経験したことのない事態が進行しているような気がした。


 僕はその光景をただ眺めながら、屋久島へ渡る船が碇泊している鹿児島港へ車を走らせた。
 やがて左手に錦江湾が広がり、煙を上げる桜島が見えはじめた。
 そして、そのはるか南の海上に浮かぶ「屋久島」を思い浮かべた。
 「なんとかなるよ」という声が聞こえたような気がした。

 南へ向かうという行動は、人に宿っている本能のような気がする。
 話が少し逸れるが、「ザ・ロード」という映画をご存知だろうか。
 2009年に公開されたアメリカの映画で、大きな気候変動で地球が細かい塵に覆われ、太陽光が弱まって植物が育たなくなり文明が滅亡した世界の話だ。気候変動の10年後、なんとか生き残っていた父と子が住み慣れた家を離れ、安住の地を求めて旅に出る。
 僕が今まで観た映画のなかで、もっとも救いのない映画だった。
 映画としての完成度は素晴らしかったけど、暗い気分になりたくないとき、ただでさえ気が滅入っているときには、観る事は避けたほうがよいと思う。
 父と子は海を目指し、海岸沿いを南へ向かった。あてのない行動のようだが、僕も同じような境遇に陥ったら、きっと南へ向かうような気がする。
 北国に住んでいる人には失礼な話だが、南へ行くほうがなんとなく食べものがあって、気候も温暖で生きやすいような気がする。
 今回の屋久島行きは、最も濃密な原始の自然が残っていると思った屋久島が、ただ自分が住んでいた京都よりも南にあったという偶然の産物だった。


 僕は鹿児島港から屋久島行きの、白くて大きな船に乗った。
 海原は太陽に照らされてキラキラと輝いていた。

 しばらくすると、屋久島が13年前と変わらない姿で海上に現れた。
 島はどんどん近づいてきて、山ひだも見えはじめた。
 相変わらず、高い山の上は暗い雨雲に覆われていた。
 13年前と同じ光景だったけど、僕の心境は違っていた。
 今回はリュック1つではなく、家財道具を車に積んで来ているのだ。
 数日間の旅で島へ渡ることと、滞在日数を決めないで(もしかしたら永住するかもしれない)島へ渡ることは、ずいぶんとかけ離れた心境だった。

 屋久島は僕を受け入れてくれるだろうか。
 13年前の、ある意味僕の人生を方向づけた神秘的な体験のつづきには、果たして何が待っているのだろうか。
 ドキドキしながら、いよいよ近づいてくる島を眺めていた。

 島に着いてから、とりあえず砂浜にでも行こうと思い、永田浜という広い砂浜へ行った。
 誰もいない砂浜で大の字になって寝転んで、夕日を眺めてから、お世話になる新居へ向かった。

 新居は屋久島空港の近くにある「ライダーハウスとまり木」という安宿だった。
 神戸から来たご夫婦が営んでいて、二人はみんなから「兄さん」「姉さん」と呼ばれていた。屈託のない人柄で、一緒にいると気分が明るくなる素敵なご夫婦だった。
 僕は宿の宿泊客として泊まるのではなく、敷地の屋外にテントを張らせてもらって、洗面、お風呂、トイレや洗濯機など、宿の生活インフラを使わせてもらった。
1カ月の滞在費が2万円で、それは僕が調べた中では最も安い島の滞在手段だった。

 お世話になる宿に着いたのは、日も暮れかけた宵の口だった。
 驚いたことに20代から30代くらいの男女8人が、すでに宿のまわりにテントを設営して住んでいた。
 平屋の宿のまわりは、島のアウトドア生活が何年も続いているテント村のようになっていた。
 最初はすこし緊張したけど、安宿は海外旅行で何度も使っていたから、すんなりと溶け込むことができた。
 テント村の住人たちは、明るい挨拶で僕を迎えてくれた。

 その日の夜は美しい月夜だった。

 着いた次の日の朝に、テントから出て山を見た。
 山には分厚い雲がかかっていて山頂は見えない。
 僕は山へ向かって歩きはじめた。

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三浦豊(みうら・ゆたか)

1977年京都市生まれ。森の案内人、庭師。
日本大学で建築を学んで、庭師になるために京都へ帰郷する。
修行を2年間してから、日本中を巡る長い旅に出た。
2009年の春に京都に帰り、現在は京都府城陽市に住んでいる。

今、ホームページの「日本列島の点」を徐々に増やしている。
点は僕にとって「かけがえのない場所で、いつか日本列島が真っ白になったらいい」と願っている。
よかったら見てやってください。

旅が終わったと言っても、方々へ行きつづけている。それはずっと続けたい。
仕事の傍ら、自宅の庭のお手入れを一人で、人工林のお手入れを仲間とやっている。
古今東西の音楽と落語を聴くのが好き。温泉とラーメンも好き。

三浦豊

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