喫茶店入門

第7回 お店のコミュニケーション論

2009.10.16更新

国民的歌手の三波春夫が使っていた有名なフレーズ『お客さまは神様です』。
この言葉の本当の意味を、知っていますか?

三波春夫にとって、お客様とは聴衆、オーディエンスのことです。
客席にいらっしゃるお客様とステージに立つ演者、という場で生まれた言葉です。
ですから、商店にいらした買い物のお客様や飲食店のお客様のことではありません。
しばしば誤解される「金を払った客なんだから丁寧にしろ。言うこときけよ。お客様は神様だろ?」や「お客様は神様ですって言うからって、お客はなにしたって良いっていうんですか?」ということではないのです。
(三波春夫オフィシャルサイト(株式会社三波クリエイツ 八島美夕紀氏コメント)より)

今の時代には、お客さんが持っているニーズに素早く、的確に応え、顧客満足を高めることがビジネスに求められています。
しかし、そのことが過度に進んだために、多くのわがままや文句をお店に突きつける"モンスター客"や、払うお金以上のものをお店から引き出そうとする"合理的消費者"を生み出すようになってしまっています。そしてその態度を正当化するフレーズとして、『お客さまは神様です』が便利使いされているのです。

一昔前の多くのお店は、限られた地域のお客さんを対象として、いくらか閉じた商売をしていました。「誰にでも売らなくてもいいお店」だったのです。
それが今では、商売を繁盛させようと人通りのある場所にお店を出し、広告やチラシで告知し、雑誌やテレビの取材を受け、より多くのお客さんを呼び込む努力を続けていくことが、正しい商売の方法論だと考えられるようになっています。

雑誌で喫茶店・カフェの情報が頻繁に取り上げられるようになったのは、80年代に入ってからのことです。

きっかけとなったのは「カフェバー・ブーム」。ポパイ・アンアン・ホットドッグプレス・ブルータスなどの若者向け雑誌が「カフェバー」を取り上げ、その結果、新しいもの好きの若者たちが、大挙してお店に押しかけました。

当時のカフェバーの中には、街外れやビルの地下や階上、裏通りなどにあって、看板が出ていない、外からは店内の様子が分からない、といったお店もかなりありました。こうした「分かりにくいお店」が、雑誌のパブリシティに支えられて、開店後すぐに人気店となったのです。

地元以外のお店に足を運ぶ、デートで行くためのお店を雑誌から探す、という行動パターンが一般的なものになったのはこの時代以降のことです。雑誌で紹介されることでお店の立ち上がりが早くなり、また地元密着でなくてもお客さんを集めることができるようになりました。

そしてこの時代から、"情報"としてお店を消費する人たちが増えてきました。

ある種の情報誌にお店が取り上げられると、1週間、2週間だけ新規のお客さんが殺到して、その後ピタっと客足が止まる、という現象が起こります。掲載誌を持ってやって来たお客さんが、食事をしながら「次にどこのお店に行くか」を話し合っていた、ということが、コモンカフェでも実際にありました。
この「あそこもう行った?」な人たちは、お店に忠誠を誓ってくれるお客さんではありません。

メディアでお店が紹介され、キャパシティを超えるお客さんが来たときには、どうしても対応に不備が出てしまいます。そのことでブログなどに厳しい書き込みをされることもあります。そうしたお客さんは、その後再びお店に来てくれはしないでしょう。
また、すでに常連になっているお客さんも、満席で入れない日が続いたり、客層や雰囲気が変わったりすると、お店に足が向かなくなります。そして一時的な混雑が去った後には誰もやって来ない、ということが起こります。

メディアの紹介は、一種のカンフル剤です。一時的にお客さんが増えても、ずっと続くものではありません。そのことで、お店にとって大事な顧客を失ってしまっては取り返しがつきません。「取材お断り」なお店は、すでに常連客に支えられているお店であることの証なのです。

ところで、街情報を紹介するメディアは、その後いくつかの変遷をとげています。
90年前後には地域情報誌が登場しました。私鉄・JR沿線も含めた地元のお店情報が紹介されるようになり、お客さんがエリア外から電車や車で訪れるようになりました。このことで、都心の高家賃エリアを避け、郊外でお店を始める人も増えてきました。

また2000年前後には、「情報誌の雑誌化」という変化が起こっています。

インターネットが情報メディアとして成長してきたことで、既存情報誌の存在意義は大きく揺らぎました。そしてそのポジショニングを「単なる情報の紹介」から「厳選されたクオリティの高い情報の提供」へと、大きく変えています。この変化は、取材を受けるお店側にとっては、お店の雰囲気や店主のこだわりをきちんと伝える記事が掲載されるようになった、という意味を持っています。

インターネット自体も、お店の動向に大きな影響を与えています。

ネットが一般に普及した時期と、カフェが街に増えた時期は90年代後半で、ほぼ一致しています。近年には、個人によるブログサイトやmixiなどのSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)が普及したことで、店主が自ら情報を発信することが容易になり、またお店に来てくれたお客さんが「とてもいい雰囲気だった」「コーヒーやケーキが美味しかった」とブログに書き、個人レベルで情報を発信してくれるようにもなっています。

クオリティの高いお店の情報が雑誌に掲載され、記事を読んだ人がお店を訪れ、ネット上でクチコミ的情報を発信する。こうしたコミュニケーションの二段階の流れが、今ではスムーズに起こります。そしてあらかじめお店のことを知り、その雰囲気に惹かれ、店主の価値観やこだわりに共鳴した一見さんがお店に足を運ぶようになってきています。

思いを共有する店主とお客さんが、距離を超えて出会いやすくなったことで、立地の制約は少なくなり、また地元ニーズに依存しなくても、お店の経営が成立するようになってきています。そのことで、これまでの飲食店の常道であった一階・路面を外して、あえてビルの上層階やアクセスの悪い山間地など、訪れるのにハードルがある場所にお店を出し、お店を目指して来てくれるお客さんだけを相手に商売をすることも可能になっています。

すべてのお客さんを招き入れるのではなく、共感してくれるお客さんだけに来てほしい。お店に対して愛情が薄く、要求が高いお客さんを受け入れることはしたくない。今の個人経営のお店は、そういう道を歩みつつあります。

ただし、分かってくれるお客さんだけを相手にしていると、店主は成長する機会を失ってしまいます。

『カフェの話。』という本の中には、鎌倉のカフェ「ディモンシュ」のマスター・堀内隆志氏のこんなエピソードが紹介されています。

最初はオシャレで音楽にうるさくて、フランス好きな堀内さんのセンスに共感する人のみぞ知る店、という先入観が持たれがちだった「ディモンシュ」。だが、堀内さんの誠実な経営方針と魅力的なメニュー、そして鎌倉という土地柄もあって、観光客や親子連れという幅広い客層が徐々に増えはじめました。なんだか忙しくなってきたぞ、と堀内さんが感じはじめたのと同時に、彼自身の中でも何かが変わったことに気づいたそうです。

「なんかね、それこそいろんな人が来るわけですよ。デートしているカップルあり、オムライスを食べに来る家族あり、仕事の打ち合わせあり、観光に来たおじいちゃん、おばあちゃんあり......。そんな人たちと話すのが、すごく楽しいってことがわかったんです。だってそんなの普段は話す機会のない人たちだったりするわけですよね。自分とは年齢も感性も何もかも違う人たちと話すことも、実はこんなに楽しいんだな、と思ったんです。それまではどちらかというと、自分とどこか近い人とばかり接してきたわけですけど。そう思いはじめたらなんだか肩の力が抜けたんでしょうね。急にお客さんがたくさん来てくれるようになったんです」

はじめは自分というものを表現したい、何かを提案し、この店から何かを発信したい、という思いも強かったという堀内さん。しかし、心地よい空間をつくることは来てくれる人を受け入れることから始まるんだ、と気づいた今では、「僕にとっての財産は、僕の店に来てくれる人たちだと思う」と言う。「発信」なんてどうでもよいと思うようになったそうです。
(『カフェの話。』2000年 アスペクト café vivement dimanche 堀内隆志氏インタビューより)

思いを共有できるお客さんと出会いやすくなったことで起こる、新たな停滞論。
そこを避けるためには、新しい人を受け入れ、風通しのよい雰囲気を作ることが大事です。

他者を受け入れることで、店主自身が自分の幅を広げ、お店の魅力を増していく。
一見さんはお店を鍛えてくれる貴重な存在である、ということを、ぜひ心に留めておいてください。

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山納洋(やまのう・ひろし)

1971年西宮市生まれ。93年に大阪ガスに入社。神戸アートビレッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、扇町インキュベーションプラザでの勤務を経て、現在は大阪21世紀協会において文化プロデュースの仕事につく。一方で、トークサロン企画「扇町Talkin’About」(2000~)、日替わりマスターによるバー空間維持活動「Common Bar SINGLES」(2001~)、表現空間としてのカフェの共同維持活動「common cafe」(2004~)などをプロデュースしている。

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