<構築>人類学入門

第2回 精神1

2009.08.21更新

これからいくつかのテーマにわけて、
ぼくらがいかにこの社会/世界を構築することに
関わっているのか、考えていきたい。

そうして構築されている社会/世界は、
同時に、ぼくらの手でつくりかえることもできる。

最初のテーマは、精神。

京都のうちの近所で、よく出会う初老の男性がいる。
北山周辺でしか見かけたことがないので、
勝手に「北山のおっちゃん」と呼んでいる。

おっちゃんは、身長が180cmくらいあって、とても大柄。
私が乗っているバスに、どかどかと乗ってきたり、
また、どかどかと降りていったりする。

近所のスーパーにあらわれては、店内を大股でぐるぐると
歩きまわって、お総菜などを買って、足早に出ていく。
いつも、何かに追われるかのように、急いでいる。

おっちゃんは、たぶんあまり風呂に入っていない。
服もほとんど洗濯している様子がない。
だから、すこし臭う。

スーパーに入ってくると、店員たちは、
顔を見合わせて、目配せしながら苦笑いする。

おっちゃんは、いつもひとりだ。
どこで、どうやって生活しているのか、わからない。

あるとき、いつものスーパーで買い物をしていると、
おっちゃんが入ってきた。

店内をきょろきょろと見渡し、すごい勢いで、
商品の棚のあいだをまわりはじめる。

ちょうど店内には、ベビーカーをおした外国人の家族づれがいた。
おっちゃんは、その奥さんの前で立ち止まると、
唐突に英語で話しかけはじめた。

"Where are you from?"
"I am from Canada!"
"Oh, Canada! Tronto?"
"No, Vancouver!"
"Oh! Nice!"

おっちゃんは、笑顔で Thank you! Bye!というと、
レジでお金を払って、急ぎ足で出て行った。

私が驚いたのは、おっちゃんが英語を話せたことではない。
ふたりの会話が、あまりにも自然に行われていて、
そこに何の違和感もなかったからだ。

ぼくらが外国に行っても、
陽気なおっちゃんに、突然、「どこから来た?」なんて
話しかけられることはよくあることだ。
その人がおかしいとは思わない。

いつものスーパーでは、店員はこそこそと笑い、
客は、おっちゃんの存在に気づかないように目をそらす。
そこでのおっちゃんは、いつも「変な人」だった。

でも、その「おかしさ」をつくりだしているのは、
おっちゃん自身ではなく、周りにいるぼくらなのかもしれない。
何ごともなかったように買い物を続ける、
外国人の家族を見ながら、そう思えてしまった。

人が精神を病む。
それはその人ひとりの内面だけの問題ではないのかもしれない。
もしかしたら、ぼくら自身が、
人の「正常」や「異常」をつくりだすのに、
深く関わっているのかもしれない。

次回も、続けよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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