<構築>人類学入門

第6回 経済2

2009.12.18更新

日々の生活のなかで、ぼくらは、いろんなモノを人とやりとりしている。
言葉や表情なども含めると、つねになにかを与え、受け取りながら生きている。
前回、そうしたモノのやりとりには、「経済=(商品)交換」と「非経済=贈与」とを区別する「きまり」があると書いた。

ひとつ注意すべきなのは、そのモノのやりとりで、「お金」が介在すれば、つねに「経済/交換」になるわけではない、ということだ。

結婚式のご祝儀や葬儀の香典、お年玉などを想像すれば、わかるだろう。
お金でも、特別の演出(祝儀袋/新札/袱紗/筆ペン)を施すことで「贈物」に仕立て上げられる(結婚式の受付で、財布からお金を取り出して渡す人はいない)。

なぜ、わざわざそんな「きまり」を守っているのか?
じつは、この「きまり」をとおして、ぼくらは、二種類のモノのやりとりの一方には「何か」を付け加え、他方からは「何か」を差し引いている。
それは、「思い」あるいは「感情」と言ってもいいかもしれない。

「贈物」である結婚のお祝いは、お金をご祝儀袋に入れてはじめて、「祝福」という思いを込めることができる(と、みんなで信じている。少なくともそうしないと失礼になるので、誰もそのきまりを破らない)。

一方、経済的な「交換」の場では、そうした「思い」や「感情」はないものとして差し引かれる。
マクドナルドの店員の「スマイル」は、けっしてあなたへの「好意」ではない(と、みんなわかっている。たまに勘違いしてしまうかもしれないけど)。

「経済/非経済」の区別は、こうした「思い」や「感情」をモノのやりとりに「付与/除去」するためにつくられた装置なのだ。

レジでお金を払って商品を受け取る行為には、なんの「思い」も込められていない。
みんなでそう考えることで、それとは異なる演出がなされた結婚式でのお金のやりとりが、特定の思いや感情を表現する行為となる。

それは、光を感じるために闇が必要なように、どちらが欠けてもいけない。
経済の「交換」という脱感情化された領域があってはじめて、「贈与」に込められた感情を際立たせることができる。だから、バレンタインのチョコで「思い」を伝えるためには、「商品」ではなく「贈物」であることが必要なのだ。

この区別は、じつは人と人との関係を意味づける役割を果たしている。
たとえば、「家族」という領域は、まさに「非経済/贈与」の関係として維持されている。
家族のあいだのモノのやりとりは、店員と客との経済的な「交換」とはまったく異なる、と誰もが信じて疑わない。

レジでお金を払ったあと、店員から商品を受け取って、泣いて喜ぶ人などいない。
でも、日ごろの家事や子育てのお礼として、夫から不意にプレゼントを渡された奥さんが感激の涙を流すことは、なにもおかしくない。このとき、女性の家事や子育てを経済的な「労働」とみなすことも、夫の渡したプレゼントをその労働への「対価」とみなすことも避けられる(そうみなすと、レジでのモノのやりとりと変わらなくなってしまう)。

同じように、母親が子どもに料理をつくったり、子どもが母の日に花を贈ったりする行為は、子どもへの愛情や親への感謝といった「思い」にあふれた営みとされる。母親の料理に子どもがお金を払うことなど、ふつうはありえない(そんな家庭は、それだけで「愛がない」と非難されてしまう)。

子育てとは無償の愛情であり、夫や子どもからのプレゼントも日ごろの労働への報酬ではなく、心からの愛情や感謝の印である。それは、店でモノを買うような行為とはまったく次元が異なる。ぼくらはそのようにしか考えることができない。

家族のあいだのモノのやりとりが徹底的に「脱経済化」されることで、愛情によって結ばれた関係が強調/演出され、それが人びとの関係をめぐるひとつの「現実」をつくりだしている。

家族という間柄であれば、誰もが最初から愛にあふれているわけではない。
それは、脱感情化された「経済/交換」との対比において(なんとか)実現している。

「家族」にせよ、「恋人」にせよ、「友人」にせよ、人と人との関係の距離や質は、モノのやりとりをめぐる「経済/非経済」というふたつの領域の区別にそって、みんなでつくりだしているのだ。

でも、ぼくらがその「きまり」に縛られて身動きがとれないのであれば、あたらしい社会/世界をつくりだすことはできない。<構築>人類学は、どういう視点から、それをずらそうとしているのか。

次回、ふたたびエチオピアの事例に戻ろう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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