<構築>人類学入門

第8回 感情1

2010.02.19更新

「経済」の回でもふれてきた「感情」。
ここで、もう少し掘り下げて考えていこう。

激しい怒りを覚え、悲しみに涙を流し、何かを手に入れたいと欲する。
こうした「感情」が、ほかならぬ自分だけのものであるのは自明のように思える。

でも同時に、ぼくらは感情がひとりでに生じるわけではないことも知っている。
怒りを覚える対象、悲しみを引き起こす出来事、欲望を喚起するモノ。
そうした広い意味での「他者」の存在よって感情は生み出されている。

感情は、いつもどこでも自然に生じるような本能的な現象なのか?
その感情をあなたに感じさせているのは、いったい「何/誰」なのか?

今回は、エチオピアでの経験から話を始めよう。
最初にエチオピアを訪れたのは、12年前のことだ。
ほとんど海外に出たこともなかった二十歳そこそこのころ。
10ヶ月あまりの滞在期間の大半をエチオピア人に囲まれて過ごした。

それまで、自分はあまり感情的にならない人間だと思っていた。
人とぶつかることもそれほどなく、どちらかといえば冷めた少年だった。
それが、エチオピアにいるときは、まるで違っていた。

何をやるにしても、物事がすんなり運ばない。
タクシーに乗るのにも、物を買うのにも、値段の交渉から始まる。
町を歩けば、子どもたちにおちょくられ、大人からは質問攻めにあう。
調査のために役所を訪れると、今日は人がいないから明日来い、と何日も引き延ばされたり、あっちの窓口に行けと、ずっとたらい回しにされたり、話がうまくいったと思ったら最後に賄賂を要求されたり・・・。

言葉の通じにくさもあって、懸命に身振り手振りを交えて話したり、大声で激高してしまったりする自分がいた。

村で過ごしているあいだも、生活のすべてがつねに他人との関わりのなかにあって、ひとりのプライベートな時間など、ほとんどなかった。いい意味でも、悪い意味でも、つねにある種のストレス/刺激に晒され続けていた。

食事のときは、いつもみんなでひとつの大きな皿を囲み、「もっと食べろ」と声をかけあい、互いに気遣いながら食べていた。

まだ電気もなく、食後は、ランプの灯りのもとで、おじいさんの話に耳を傾け、息子たちと腹を抱えて笑い転げたり、真顔で驚いたりと、賑やかで心温まる時間があった。

村のなかにひとり「外国人」がいることで、いろんないざこざが起きて、なぜこんなにうまくいかないんだと、涙が止まらない日もあった。

毎朝、木陰にテーブルを出して、前日の日記をつけるのが日課だった。
ふと見上げると、抜けるような青空から木漏れ日がさし、小鳥のさえずりが聞こえる。
おばあさんが炒るコーヒーのいい香りが漂ってくる。
自分はなんて幸せなんだろうと、心からうっとりするような気分になった。

腹の底から笑ったり、激しく憤慨したり、幸福感に浸ったり、毎日が喜怒哀楽に満ちた時間だった。
顔の筋肉も休まることなく、つねにいろんな表情を浮かべていた気がする。

そんな生活を終えて、日本に戻ったとき、不思議な感覚に陥った。
関空につくと、すべてがすんなり進み、なんの不自由も、憤りや戸惑いも感じる必要がない。
バスのチケットは自動券売機ですぐに買えて、数秒も違わず定刻ぴったりに出発する。
動き出したバスに向かって深々とお辞儀する女性従業員の姿に、びっくりして振り返ってしまった。

人との関わりのなかで生じる厄介で面倒なことが注意深く取り除かれ、できるだけストレスを感じないで済むようなシステムがつくられていた。

おそらく、お辞儀する女性は感情を交えて関わりあう「人」ではなく、券売機の「ご利用ありがとうございます」という機械音と同じ「記号」にすぎなかった。

つねに心に波風が立たず、一定の振幅におさまるように保たれている。
その洗練された仕組みの数々に、逆カルチャーショックを覚えた。

そのうち、自分が、もとの感情の起伏に乏しい「自分」に戻っていることに気づいた。
顔の表情筋の動きも、すっかり緩慢になった(顔つきまで変わっていたかもしれない)。
いったい、エチオピアにいたときの「自分」は「誰」だったのだろうか?
そんなことも考えた。

ただ、日本の生活で、まったく感情が喚起されないわけではなかった。

テレビでは、新商品を宣伝するために、過剰なくらい趣向を凝らしたCMが繰り返し流され、物欲をかき立てていた。それまで何の疑問もなく観ていたお笑い番組も、無理に笑うという「反応」を強いられているように思えた。そんなとき、ひとりテレビを観ながら浮かぶ「笑い」は、「感情」と呼ぶにはほど遠い、薄っぺらで、すぐに跡形もなく消えてしまう軽いものだった。

多くの感情のなかで、特定の感情/欲求のみが喚起され、多くは抑制されているような感覚。
エチオピアにいるときに比べ、自分のなかに生じている感情の動きに、ある種の「いびつさ」を感じざるをえなかった。なにか意図的な感情の操作を受けているようにも思えた。

日本は、「感情」をコントロールしている社会なのかもしれない。
最初にエチオピアから帰国したときに感じた違和感を、いまもときどき思い出すことがある。
たぶん急に学生のひとり暮らしという状況に戻ったことも関係していたと思う。

20年以上を過ごしてきた日本の環境に、わずか10ヶ月のエチオピア生活から戻って感じた「ずれ」は、いったい何を意味しているのだろうか?

エチオピアのほうが「よい」と言っているのではない。
いまもエチオピア北部の田舎にいるのだが、たまには誰とも会わず、ひとり快適な都会のホテルにこもって、映画でも観ていたいと思う。町ゆく人ひとりひとりと、毎回、握手をしたり、挨拶の言葉を交わすのも、面倒なことには違いない。

<構築>人類学は、自分の居場所とフィールドを往復するなかで生じる「ずれ」や「違和感」を手がかりに思考を進める。それは、ぼくらがあたりまえに過ごしている「現実」が、ある特殊なあり方で構築されている可能性に気づかせてくれる。

次回も続けよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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