<構築>人類学入門

第13回 関係3

2010.07.30更新

これまで「精神」、「経済」、「感情」、「関係」と、いっけんばらばらなトピックで書いてきた。でも、すべてはふたつの問いを考えるための道のりだった。

ぼくたちは、どうやって社会を構築しているのか?
いったいどうしたら、その社会を<構築>しなおせるのか?

誰もが、さまざまな他者とともに社会をつくる作業にたずさわっている。そこでの自己と他者のあり方は、最初から「かたち」や「意味」が決まっているわけではない。

他者の内面にあるように思える「精神」も、自己のなかでわきあがるようにみえる「感情」も、ぼくらがモノや言葉、そして行為のやりとりを積み重ねるなかで、ひとつの現実としてつくりだしているものだ。

脱感情化された交換(経済)の関係も、感情にあふれた贈与(非経済)の関係も、他者にモノをどう与え、受けとり、いかに交換/返礼するか、において生じている。

愛情も、怒りも、悲しみも、自分だけのもののように思える「こころ」も、他者との有形・無形の「やりとり」のなかで生み出されている。

だから、ひとつめの問いへの答えはこうだ。

ぼくらは、さまざまな人にいろんなものを与え、与えられながら、ある関係のかたちをつくりだす。そして同時に、その関係/つながりをとおして、ある精神や感情をもった存在に「なる」ことができる。

つまり「社会」とは、人と人とが関わり合うなかで互いにモノや行為をやりとりしながら、同時にそこで取り結ばれた関係によって「人」がつくられ続けていく場なのだ。

この社会という場をつくりだしている動きの一端は、ぼくらが他者にいかに与え、受けとるのか、にかかっている。

だから、ふたつめの問いへの答えはこうなる。

社会の現実は、ぼくらが日々、他者と関わり合うなかでつくりだしている。
あなたが、いまどのように目の前の人と向き合い、何を投げかけ、受けとめるのか。
そこに「他者」をつくりだし、「あなた」という存在をつくりだす社会という「運動」の鍵がある。

相手に投げかけられる言葉、与えられるモノ、投げ返される行為。そこで見えてくる「わたしーあなた」という関係、「わたし/あなた」という存在のかたち。
そのどれをとっても、一時も動きを止めているものはない。

ぼくらが動かし、動かされ、そのつどある「かたち」を浮かび上がらせている「関係としての社会」。とどまることなく、否応なしに、誰もがこの運動の連鎖のただなかにいるからこそ、ぼくらは、その社会を同じように動かし、ずらし、変えていく可能性に開かれている。

与えよ、受けとめよ。
いま「わたし」と「あなた」をつなぎ、つくりだしている動きを見定めよ。
そして、揺さぶり、ずらし続けよ。

これまでの話からしたら、ずいぶんと抽象的な言い方しかできないのが、いまの自分の限界だけど、とりあえずはこの場所を折り返し地点としておきたい。

次に考えなければならない問題は、もうその先に見えている。
「社会」と「世界」をつなぐもの・・・。
次回は、しばし足をとめて、「社会ー世界」の接続に思いを馳せよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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