<構築>人類学入門

第15回 国家1

2010.09.17更新

ザンビア南部の田舎町にいたときのことだ。
ゲストハウスの居間にあった地元の新聞をひらいて、目を見張った。

"The Japanese Prime Minister Resigns(日本の首相が辞任)"
太字の見出しに、首相の会見の写真が大きく載っている(それは鳩山さんでも、麻生さんでも、福田さんでもなく、安部さんのとき・・・たった3年前のことだ)。

突然の辞任劇が予想外というのもあったけれど、ザンビアで日本の首相の辞任が大きく報じられることに、まず驚いた。

ただ、そのとき遠く離れた外国にいて、首相がかわって日本という国がどうにかなってしまう、という感覚はまったくなかった。少なくとも、日本では、国家=統治者という図式は成り立たない。

アフリカでは、大統領などの元首や政権が交代するとき、きまって大きな混乱を経験してきた。
エチオピアでも、1974年には軍部によって皇帝が廃位されるクーデタが起き、1991年には数年にわたる激しい内戦をへて現政権が樹立された。
公正な選挙によって、平和のうちに権力が移譲されたケースは、まだめずらしい事例だといえる。

日本では、誰もがその揺るぎなさを信頼している「国家」という枠組み。
あまりに暮らしのなかに浸透しすぎていて、それなしの生活を想像できないほどだ。

ある日、国家という仕組みがなくなってしまったら、どうなるか。
もちろん役所や警察はなくなるし、それに関わるすべての制度(たとえば運転免許とか、医師や弁護士などの国家試験とか、パスポートとか)が意味をなさなくなる。

もちろん婚姻届を出す場所もないのだから、「結婚」だってできない。
どうしてだか、いまや「結婚」が「婚姻届を出すこと」とイコールになっている。
役場に婚姻届を出して、窓口で「おめでとうございます」とか言われると、それで正式に結婚したような気になる(なぜか自分は市役所の前で記念写真まで撮った・・・)。

ぼくらは、結婚したとき、引っ越したとき、子どもが生まれたとき、すべて役所(国)に届けることを強く内面化されている。それによって、はじめて国は「国民」の実態を把握でき、さまざまな政策を遂行できるようになる。

最近、よく高齢者の所在不明について報道されている。
これは、国民ひとりひとりが家族の生死や転居について、きちんと自発的に届け出をしないと、戸籍や年金などの国の制度がうまく機能しないことを示している。

国家という制度は、かならずしも上からの「権力」によって押しつけられているだけではない。
ひとりひとりが、意識するしないに関わらず、日々のさまざまな行為でその機能を内側から支えている。

「結婚」が国家の仕組みを前提としているように、生活のあらゆる現実が国という制度を織り込み、そしてそうすることで、さらにその制度を確固たるものにしている。

ぼくらは、こうして「国家」とつながっている。

そんな「国家」のあり方も、エチオピアからみると少し違ってみえる。

エチオピアでは、今年5月に総選挙が行われた。
結果は、与党が97%の得票率ともいわれる圧倒的な多数で勝利した。
国会で、与党以外の議席はわずか1議席に過ぎなかった。

なぜ、このような結果になるのか。
海外からは選挙の不正を指摘する声もあがった。
しかし、あからさまな不正という以上に、統治機構の仕組み自体が大きく異なっている。

エチオピアでは、国や地方の公務員の役職者には、与党の党員でないとなれない。
日本でいうところの県知事や、市の農業局の局長といった行政組織の幹部たちは、すべて与党の人間で占められている。

これはアフリカでは、めずらしいことではない(たとえば、複数政党による選挙で政権交代を成し遂げたとされるザンビアでもそうだ)。

一番トップに首相(党首)がいて、末端の行政村のレベルにいたるまで党の組織に組み込まれている。
だから、選挙事務だって与党組織がとり仕切っていて、中立な選挙という以前の状態なのだ。

日本で首相や政権がかわったところで、大きな混乱が起きるとは思えないのは、国の仕組みの多くが政治的な権力闘争とは切り離された場所で粛々と進められているからでもある。

しかし、エチオピアでは、首相がかわる、あるいは政権交代が起きるということは、国家という枠組み全体が大きく揺らぐことになる(ちなみに、1991年以降、ずっと同じ人が首相を務めていて、あと5年はやると言っているとか)。

エチオピアも、5年前の総選挙では都市部を中心に野党が多くの支持を集めたことで、混乱が起きた。
与党勝利の結果を認めない野党支持者たちによる暴動に発展し、それを鎮圧しよとする治安部隊とのあいだで流血の事態になった。
野党の指導者たちは、選挙後、民衆を扇動した罪で拘束され、ほとんど活動できない状態にさせられた。

次から次に首相が交代しても秩序が保たれている国と政治的な緊張が国全体の混乱を招いてしまう国。

日本とエチオピア、おなじ国という制度でありながら、違いは大きいように思える。
まずは、そこに浮かび上がる差異や類似性から「国家」とは何なのか、考えていこう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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