<構築>人類学入門

第16回 国家2

2010.10.15更新

エチオピアは、政治的な統制が強い国だ。
前回も書いたように、自由で公正な選挙が行われているとはいいがたいし、新聞やテレビの報道への規制も厳しい。

今年の総選挙のあと、アメリカに拠点をおく現政権に批判的なグループが、衛星放送で政治番組をはじめた。すぐに多くの市民が熱心に番組を視聴するようになった。
首都のアジスでは、放送開始直後からパラボラ・アンテナを買い求める人が殺到して、値段が跳ねあがった。それが、わずか2カ月で突然、視聴できなくなった。
政府が中国の技術協力で受信を妨害したのでは、と噂されている。
テレビの地上波は、いまだ国営の放送局だけだ。

そんな国のコントロールが強力なエチオピアでも、「戸籍/住民票」は存在しない。

日本では、子どもが生まれると名前をきめて国に届け出ることがあたりまえになっている。
でも、エチオピアには、その仕組みがない。
税金を徴収するために世帯主や事業主の登録はしても、国は国民ひとりひとりの出生や死亡の情報をまったく把握していないのだ。

当然ながら、親はすぐに子どもに名前をつける必要もない。
両親や祖父母は、生まれた子どものことを、好き勝手な名前で呼んだりしている。

おじいちゃんは、肌の色が黒くて南部の他民族のようなので「ドゥカモ」と呼び、お母さんは、そんな名前はいやだからと「アジャイボ」と呼び、父親はまた別の名前で、といったように、複数の名前が同時に使われつづけることも、めずらしくない。

地域によっては、さらに成人/結婚した男女に幼名とは別の名前がつけられる。
人によって呼び方が違うこともあるし、自分で好きな名前を名乗ることもある。
この成人名が「尊称」となるが、親族や友人などのあいだでは幼名も使われつづける。

「名前」は、その人の「アイデンティティ」とイコールの単一のものではない。
むしろ、社会的な関係や状況に応じて変わったり、同時に複数が併用されたりする。
相手をどの名前で呼ぶかによって、その人との関係が示されることにもなる。

そんなエチオピアの農村部でも、最近、若い女性が中東などに家政婦として出稼ぎに行くようになって、パスポートを取得する人が出てきた。
それには、もちろん「ひとつの」名前が必要になる。

ただ、「正式」な戸籍上の名前が存在しないので、そこでも柔軟な使いわけがなされる。
たとえば、キリスト教徒がイスラームの国に出稼ぎにいくときには、ビザが下りやすいように、適当にムスリムの名前にしてパスポートを申請したりする。

エチオピアでの「名前」は、ひとつの固定したものではない。
「戸籍」というつねに参照される典拠がないので、個人の同一性にもとづいたパスポートなどの国家の制度も、するりと身をかわされてしまう。
「名前」は、「わたし」という存在の外部にあって、つねに操作可能なのだ。

一方、ぼくらは、幼い頃からひとつの固定した名前を前提に育ってきた。
テストの答案用紙や自分の持ち物、いろんな書類などに、出生後に国に届けられたひとつの名前をくり返し記入してきた。
ふつうはそこで複数の名前を使いわけることなど思いも寄らない。

この「記名」は、同時に、出生時にきめられた「性別」を表明しつづける行為でもある。
わたしの存在が「名前」を導くのではなく、国家に登録された「名前」が「わたし」のあり方を定め、かたちづくっていく。
いつの間にか、すっかり「名前」→「わたし」になる。
それが学校教育にしても、結婚にしても、固定した性別にもとづく社会制度を可能にする。

ひとりにひとつのきまった名前がある。
ひとつの名前が、その人の同一性を保証する。
こうして、「わたし」は、つねに「わたし」でありつづける。

個人の同一性と単一性。
それが、国家が政策を遂行する基盤になる。

エチオピアと日本の国のあり方にみえるねじれ。
国家の「支配」とか、「権力」というと、とかく表向きの統制の強さだけが想起される。
けれど、それは内面化/身体化の度合いとも深くかかわっている。
その制度があたりまえであればあるほど、国家が関与する密度は増す。
だから日本人が、エチオピア人よりも国の体制から自由であるとは限らない。

社会の「あたりまえ」が国に支えられ、ぼくらのあたりまえの行為が国を成り立たせる。
ぼくらの「からだ」や「こころ」は、こうして「国家」とつながっている。

「社会」と「世界」のつながり方。
このつながりを可視化してみる。
まずは、ここからはじめてみよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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