<構築>人類学入門

第17回 国家3

2010.11.19更新

国家にとって、国民の同一性を担保するのに「戸籍」が必要だとしたら、国の同一性を保証するには「国境」の画定が不可欠となる。

国と国との領域を定める境界。
この「国境」の防衛こそが国家の最大の使命でもある。

私が最初にエチオピアを訪れた1998年。
エチオピアとエリトリアとのあいだで国境紛争が勃発した。

もともとエリトリアは、1993年までエチオピアのひとつの州だった。
91年に新政権が樹立されたあと国民投票を行い、エチオピアから独立したのだ。

民族的にはエチオピア北部のティグライと同じような人びとで構成されている。
60年におよぶイタリアの植民地支配(エチオピア本土は5年間のみ)のあと、エチオピアに強制的に併合される歴史をへて、地域としての独自性がつくりあげられてきた。

紛争が始まったとき、私は国境からはずいぶん離れた田舎町にいた。
隣国との戦争状態とはいっても、人びとの生活自体は平穏そのものだった。
ただ、乗り合いバスに乗ると、古い銃を手にした男性が街に向かう姿を何度も目にした。
前線に行って国のために戦おうとする志願兵だった。

まだあどけなさの残る若い少年兵と南部の町からのバスで一緒になったこともあった。
エチオピアで広く通じるアムハラ語で話しかけても、彼は理解できなかった。
おそらく辺境の少数民族の出身だったのだろう。

当時、エチオピアは30万人ともいわれる兵力を国境地帯に送り込んでいた。

調査を始めた村からも何人もの若者が兵士となって戦場に赴いた。
トラックの荷台に乗った若者たちを、人びとは歓声をあげて見送った。
同時に、兵士たちの待遇のよさが噂になった。
その月給は、ふつうの農民が稼ぐのに一年はかかるほどの額だった。

ラジオでは、エリトリアを侵略者として非難し、前線で戦う兵士を称揚する番組が続いた。テレビでは、人びとが兵士への義援金を贈る映像がくり返し流された。

村でも、しだいにエリトリアへの敵対心や愛国的な雰囲気が高まっていった。
村のコーヒー農園では、エリトリア出身のオフィサーが追放されることになった。
私が間借りしていた長屋のとなりに住む一家だった。

エチオピア国内には、40万人ものエリトリア出身者が暮らしていたといわれる。
その多くが拘束されたり、財産を没収されて国外追放になった。

紛争では戦闘機や攻撃ヘリが使用され、都市部への空爆も行われた。
(両国ともにロシアやヨーロッパから最新の兵器や技術者を調達していた)
国境地域では、多くの人が住む場所を失い、数十万人規模の難民が発生した。
2年間の紛争での死傷者は、7万から10万人にも及ぶとされる。
村から出征した何人かの若者も戦場で命を落として帰らぬ人となった。

紛争の最大の焦点は、砂漠地帯の小さな田舎町の帰属だった。
天然資源の存在も噂されたが、どうやらそれが理由ではなかった。

何もないひとつの田舎町をめぐって、数万の命が失われ、数十万人が住む場所を追われた。
開戦によって、日本をはじめ国際社会からの援助もストップし、貿易も停滞した。
新政権のもとで経済の自由化が進められ、街にたくさんの海外商品が並ぶようになっていた矢先のことだった。

世界で最貧国とされる両国が何百億円もの戦費を費やし、多くの命を犠牲にしたにもかかわらず、現在でも国境の画定は進んでいない。

国境をめぐる争いに、国家は威信をかけ、国民は命をかける。
なぜ「国境」は、こんなにもぼくらを揺さぶり、駆り立てるのか。

そこには国家と国民のあいだの二重の運動がある。

「戸籍」に記載された「名前」は個人のアイデンティティとなり、身体の同一性を支える。国民の身体は、こうして国家の制度によって「かたち」をえる。

一方、国民ひとりひとりは国の領土を自分の「身体」そのもののとしてイメージする。
たとえどんなに小さな無人島であれ、何もない砂漠の田舎町であれ、国境の侵害は、自分自身の身体を陵辱される行為として想起される。

それは、まさに国民にとってアイデンティティ=同一性の危機となる。

国家の制度がぼくらの身体の一部となり、遠く離れた国境で囲まれた場所をぼくらは自分の身体の一部として想像する。

「社会」と「世界」は断絶していない。
「わたし」の身体は「国家」の制度によって受肉され、「国家」の領域は「わたし」の身体の延長として存在する。

この二重の運動のなかで「わたし」が生まれ、「国家」が実現する。
でも、だからこそ「わたし」は「国家」を動かす可能性にも開かれている。

次は、「市場」について考えてみよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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