<構築>人類学入門

第18回 市場1

2010.12.17更新

前回まで、ぼくらがどう「国家」と関わりあっているのかを描いてきた。

それは、「わたし」という小さな存在がいかに手の届かないような「世界」とつながっているのか、その手綱のありかを探しだす試みだった。

「わたし」が「世界」を動かし、揺さぶるためには、そのふたつがどこでどう結ばれているかを知らなければならない。

「わたし」を変えることが「世界」を変えることになる。
たぶん、ぼくらには、その実感をきちんとつかみなおす必要がある。

もうしばらく、その感触を求めて旅を続けよう。

エチオピアは、1974年から1991年まで、軍事独裁政権による社会主義体制下にあった。

それまで国のトップにいた皇帝を廃位し、国土の大部分を所有していた貴族や大地主から土地を取りあげ、小作農民に分配した。
土地はすべて国有とされ、土地の売買や貸借も禁止された。

この1975年の土地改革は、当時、アフリカでもっともラディカルな社会主義政策だといわれた。

1980年代には各地にソビエト型の集団農場がつくられ、農産物の流通も国が一元的に管理するようになった。

人びとは、自分の土地や地主の土地を耕す「農民」から、集団農場や国営農園で働く「労働者」になった。

村人は、きまって複雑な思いで当時を振り返る。

それまでの地主と小作という圧倒的な社会的格差は解消された。
多くの人が自分の家屋敷や畑を与えられ、教育も受けられるようになった。

しかし、国軍の兵士や未亡人の土地を村人総出で耕したり、公共事業にかり出されるなど、日々、過酷な労働奉仕を強いられた。

村ではユニフォームを着た労働党の幹部たちが実権を握り、生活のありとあらゆることを取り締まりだした。

彼らは宗教を否定し、公の場での一切の宗教行為を禁じた。
やがて多くの人が断食や礼拝をしなくなった。
「村から宗教が消えた」。人びとはそう振り返る。

ある政党関係者が死んだとき、村ではその埋葬が問題となった。

人びとはイスラームの指導者に尋ねた。
「彼をムスリムとして葬ることはできないのか?」
指導者は「礼拝も何もしていない者に葬送の儀式はできない」と拒否した。

結局、何の宗教的な祈りも捧げられず、亡骸は林の片隅に埋められた。

今のぼくらには社会主義や計画経済下の生活を想像すること自体が難しい。
でも、そこから自由主義的な市場経済について眺めてみると、世界を動かしている「市場」とは何なのか、その輪郭をつかめるかもしれない。

「市場」について社会主義時代のエチオピアから考える。
次回も続けよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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