<構築>人類学入門

第19回 市場2

2011.01.21更新

エチオピアが社会主義体制にあったとき、なぜ宗教行為までが禁止されたのか。
祈りも捧げられず林の隅に埋められた遺体は、何を物語っているのか。

その答えは「社会主義」の中心的な信念と関わっている。

社会主義を駆動していた原理は、人間の合理性への過度の信頼であった。
さまざまな政策を決定し、実行する意志決定の合理性への過信。
人間の欲求や思考、労働や身体、生や死に至るまでを適切に矯正、配分できるという確信。

この信念から、社会主義国では、意志決定を担う中央の国家権力が増大する結果になった。

エチオピアでは、農産物の流通や商品価格、土地の開発や配分など、すべてが国家の計画にもとづいて実施されるようになった。
中央の決定を末端まで徹底しようとすれば、必然的に一党独裁の体制になる。
村でも党の幹部にすべての権限が集中し、人びとの営みのあらゆる意志決定を担う主体となった。

村人があの時代を複雑な思いで振り返る理由は、そこにある。

農民たちは耕す土地を手にし、誰もが学校に通えるようになった。
小作人や使用人だった者も、自分の家や畑を与えられ、対等な立場で発言できるようになった。
すべての世帯主が農民組合に入り、貧しい「よそ者」だった移民たちも村の正式な一員となった。

しかし、一方で、誰がどこの土地をどれだけもらえるのか、どういう立場でどんな仕事をするのか、すべては権限をもつ者たちの決定にゆだねられていた。

その「決定」は、けっして合理的な計算や整合的な計画にもとづくものではなかった。
重要なのは、結局、権限を握る者たちとの縁戚関係だった。
しだいに「腐敗」が蔓延し、恣意的な権限の濫用も目立つようになる。

行政村の議長のなかには、自分や親族の土地を拡大していく者がでてきた。
村人があらたな土地の配分を受けるには、議長に賄賂を渡さなければならなかった。

特定の人間に集約された意志決定の権限は、人びとの満たされない欲求を増大させていく。
そして、その不満の矛先は、意志決定を担う中央へと向けられる。
不公平な配分は、それを決定した側の責任となり、人民はその被害者となる。
社会主義体制を維持する困難さは、ある意味、この中央集権的な構造自体に起因している。

「土地を耕作者へ」というスローガンで始まったエチオピアの革命も、結局、適正な資源の配分を達成することはできなかった。
1991年、軍部主導の独裁政権は、結集した反政府勢力によって打倒され、17年で幕を閉じる。

自由主義的な市場経済でも、人間の合理性への信頼は重要な意味をもっている。
それは市場経済が「国家」という中央集権の仕組みを維持していることからもわかる。

ただし、市場経済において、この意志決定の集約は、一部、放棄されている。

市場では、財やサービスの適正な配分の大半が個々の消費者の決定にゆだねられる。
誰が何をよいと感じ、どれくらい手に入れるか、それは個人の選択にまかされている。

収入に見合わない高価な車を買って、ローンの返済に苦しむのは、その人の計画性のなさや思慮の浅さのせいであって、他の人には何ら責任がない。

逆に車が好きでたまらない人が車に大金をつぎ込むのを、誰も止めることはできないし、止めるべきでもない、とされる。

個人は、能力にもとづいて仕事を獲得し、それにふさわしい報酬を手にする。
たとえ報酬が少なかったとしても、それは自分たちの努力や能力の結果でしかない。
だからこそ、それぞれの家庭は、子どもの教育に手にした資源の多くを投入する。

病気や失業などのリスクも、市場では、原則として保険や貯蓄で個々に対処することが求められる。
不摂生を続けて病気になるのは、その人の日頃の健康管理が至らないから。
その人の健康を維持するためのコストを、他人が負担する理由はない、となる。

すべて自分で決めたことなので、生活をめぐる不満の矛先は自分自身に向かうほかない。

社会主義において、意志決定の合理性への信頼は、決定権の集約につながった。
市場経済では、その権限と責任の多くが個々の消費者へと移譲されている。
国家にとって、それは自身に向けられる責任追及のリスクを分散させることでもあった。

いっけん正反対でまったく相容れないような社会主義経済と市場経済。
その差異は、意志決定をめぐる権限/責任の割り当てのバランスにねざしている。

意志決定を中央に集約させ、統制された計画的な資源配分を目指すのか。
決定権を個人に分散してゆだね、結果的な配分を公平なものとして受容するのか。

「市場」という仕組みの正体は何か。
その背後に見え隠れする「国家」との関係をどう考えるのか。
さらに考察を続けよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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