<構築>人類学入門

第26回 公平3

2011.08.23更新

公平さというバランスを取り戻すために、ぼくらは現実についての認識をずらしたり、物や財を動かすことで対応している。

モノを動かす動かし方には市場での交換、非市場的な贈与、そして国家による再分配があった。

それぞれに一長一短があって、万能な方法があるわけではない。
それらを組み合わせながら公平さを目指すしかないし、現にそうやっている。

では、<構築>人類学にできることは何なのか?

まず、知らないうちに目を背けたり、いろんな理由をつけて正当化してしまっている不均衡に光をあてること。
そして、ぼくらのなかの「うしろめたさ」や「負い目」を起動させること。

他者とのあいだの格差に対してわきあがる「うしろめたさ」や「負い目」といった感情は、公平さをとりもどす動きを活性化させる。
そこに、ある種の「倫理性」が宿る。

ぼくらは「これが正しいのだ!」とか、「こうしないとだめだ!」なんて真顔で正論を言われても、それを素直に受け入れることができない。

でも、目の前で圧倒的な格差や不均衡を見せつけられると、誰もが何かしなければという気持ちになってしまう。
心と身体に刻まれている公平さへの希求が起動しはじめる。

エチオピアの物乞いの老婆が通行人に「ほれっ」と腕を突き出すように、<構築>人類学はそれまで覆い隠されていた格差や不均衡の在処を指し示す。
そして、そこから目を背ける理由に根拠がないことをあきらかにする。

もうひとつは、交換、贈与、再分配の各領域の境界を揺るがし、越境を促すこと。

市場・非市場・国家は、経済・社会・政治という別々の領域のように思われている。
しかし、「市場」や「援助」のところで書いたように、市場と国家も、市場と非市場も、非市場と国家も裏で癒着している。

交換、贈与、再分配、どれかひとつだけではうまくいかない。
それでも、境界を踏み越えてはならないという空気がつくられ、まるでそんなことどこにも起きていないかのような強固な境界のイメージが定着している。

<構築>人類学は、その境界線を引きなおしつづける。
その線の引き方に、いくつもの可能性があること、それらを組み合わせたり、越境することに、よりよい社会/世界に近づける手がかりがあることを示す。

市場と国家の垣根を取り払うことで、途中でつながりが分断されている国家の再分配への個人の関わりを可視化できる。
関係を解消させる市場交換に関係をつくりだす贈与を差し挟むことで、感情あふれる人のつながりを生み出せる。

もう少し具体的に言おう。

社会の格差を是正したり、公平さを回復することは国家の仕事だとされる。
個人は市場で働いて稼ぎ、国はそこから税金を集めて再分配を行う。

この「あたりまえ」の市場と国家の境界の引き方が、公平さをつくりだす個人の責任を見えなくしている。
税金を払っているのだから、あとは国がなんとかすべきだ、となる。
その論理が公平さをとりもどす責任への個人の無関心を正当化する。
市場と国家をつなぎ、個人の日々の営みと格差や不均衡とのつながりに光をあてれば、きっと無関心ではいられなくなる。

社会で「働く」ことは、労働力の「交換」だと説明される。
この「あたりまえ」の理解によって、「働く」ことが社会への贈与(会社への贈与ではない)でもあることが忘却される。

家庭で「働く」ことが家族への贈与であるように、市場にもどこかでその労働の成果を受け止め、生きる糧としている人がいる。
市場交換によって途絶され、隠蔽された労働の贈り手と受け手とのあいだをつなぎなおすことで、倫理性を帯びた「感情」を呼び覚ますきっかけが生まれる。

どのようにしてやるのか?

<構築>人類学は、さまざまな差異をもつ社会を並べ、比較する。
すると、そのどれもが特権的でも、あたりまえでもないことがわかる。
そのずれから、別の組み合わせやあらたな線の引き方の可能性を示す。

市場、非市場、国家、いずれも表向きは別の領域にあると公言されている。
でも、その分断された領域は特定の目的のためだけに裏でつながっている。
そのつながりを表面にあぶり出し、領域を超えることがけっして不当ではないこと、そしてつなげ方によっては、公平さのバランスをとりもどす契機になることを示す。

たぶん、社会/世界を根底から変えることはできない。
まったくあたらしい手段をみつけて、すべてをつくりかえることはできないし、おそらくそれはよりよい社会/世界に近づく道でもない。

ぼくらにできるのは「あたりまえ」の社会/世界を成り立たせている境界線をずらし、いまある手段のあらたな組み合わせを試し、隠されたつながりに光をあてること。

それで、少なくとも社会/世界の見え方を変えることはできる。
「わたし」が生きる現実としての社会/世界を変えることができる。

まだぼんやりとしたままだけど、とりあえずここで一区切りをつけよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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