<構築>人類学入門

第27回 <社会>をつくりだす力

2011.09.07更新

今年の夏も、エチオピアに来ている。

ここにいると、いろんな感情がわきおこる。
宿の目の前で朝から晩まで大音量で音楽を流しつづけるテープ屋。
毎年、私をみつけると、詰めよってきて叱責するような言葉を投げかける青年(援助してくれていた「外人」と連絡が途絶えたあと、精神的におかしくなったと聞いた)。
ひび割れた足の裏を見せながら、「靴を買うお金をくれないか」という農民の男性。
外人をみると、意味もわからず「マニー、マニー」と連呼する幼児。

そして昨日も、農村部をいっしょに歩き回った少年と町で出会った。
彼は、田舎にいると何も稼ぎ口がないから町に出てきたという。
トラックなどの荷物を運ぶ手伝いをしたり、遣いっぱしりをして小銭を稼いでいた。
彼に「昨日は紅茶とパンの食事が1回だけだった」といわれ、今日は、思わずリュックに村でもらった蜂蜜とか、もともと多すぎてたいして着てもいない服を詰め込んでいった。

日本にいると覆い隠されてみえない「格差」を突きつけられる。
自分が健康であること、ホテルの宿代が少年が1年かけても絶対に稼げない額であること、いつでも簡単に空腹を満たせること、すべてが「うしろめたさ」を喚起する。

「うしろめたさ」をずっと感じていると、とても正気ではいられない。
なんとか正当化して、「格差」がなかったことにしようとする。
それでもくり返し、突きつけられてしまう。
エチオピアでは、いろんなものが「はみ出している」からだ。

それで何かをしなければおさまりがつかなくなる。
そのとき引き出される行為は、自分の「うしろめたさ」を埋めるものでしかない。
結果的に公平さにつながるかわからないまま、行為せずにはいられない。

ある種の贈与は「結果」や「効果」にもとづいてなされるわけではない。
そうするしかない状況で、他者に投げかけられる。
「効果」があるとしたら、その他者との「つながり」が生まれることだけだ。

私が少年によって喚起された感情、そして、おそらく私の行為によって彼に生じた感情は、私と少年とをつなぎとめる。

それが公平さへの第一歩となる。
なぜなら、公平さを覆い隠しているのが「つながり」の欠如だからだ。

市場や国家という制度によって分断され、覆い隠されている「つながり」を、その線の引き方をずらすことで、再発見すること。
それが、この連載でたどりついたひとつの結論かもしれない。

もちろん、その線をずらして越境行為をすることは、もうすでにいろんな場所で、たくさんの人によってなされている。

個人が自分のできる範囲で国家の責任とされる「再分配」を引き受けること。
市場の論理ではなく、他者への贈与として「労働」をとらえなおすこと。
「消費」という行為を拡張して、生産者とのつながりをつくりだすこと。

しかし、おそらく人にはそれぞれに線のずらし方がある。
たぶんいまの自分なら、「言葉」をつむぎ出すことなのだろう。
教壇にたってマイクを握るとき、パソコンに向かって文字を打つとき、それができれば越境的な行為であれと願う。

もちろん、贈与の世界はユートピアではない。
贈与は、最適な結果をもたらすことはない。

ただ、そこで意図せずに生まれた「つながり」が、次の行為への掛け橋となる。
その行為の重なりが、「わたし」とは切り離された<世界>のなかに、「つながり」の場としての<社会>をつくりだしていく。

贈与がどんな結果をもたらすのか。
公平さを生むのか、役に立たないのか、むしろ害を及ぼすのか(これもよくあること)、ぼくらは事前に知ることはできない。
しかし、可視化された「つながり」が次の感情と行為を喚起する足場となる。

「つながり」は、とてもめんどくさい。
近代社会は、それを避けるように、行為を「市場」や「国家」の線引きにそって割り振り、社会のなかに垣根をつくりだしてきた。
これは市場の話、これは国家の仕事(あるいは他国の話)、個人の私的な領域はここまで、といった具合に。

いまは、これまでせっせと築いてきた境界線を引きなおしていく時代なのだと思う。
市場や国家を否定するわけではない。
むしろ、ひとりひとりの越境行為によって、それらにあらたな意味を付与し、別の可能性を開いていくことが重要なのだと思う。

<構築>人類学と銘打ってきたけれど、これは何も人類学に限った話ではない。
願わくば、つづってきた言葉が「学問」の垣根を超えた行為となることを祈りつつ。
でも、うまく言葉にできずに終える「うしろめたさ」も感じつつ・・・。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

エチオピア的

バックナンバー