<構築>人類学入門

第29回 <番外編1> UAE・オマーン調査行

2011.11.25更新

今年の夏、エチオピアの村を訪れたときのこと。
調査でお世話になってきた家族のお嫁さんのラザが、オマーンに出稼ぎにいったと聞かされる。

手渡された紙に書かれていたのは、雇い主の携帯の番号だった。

「エチオピアから電話しています。いつかオマーンに伺いたいのですが・・・」
「ウェルカーム! いつ来るんだ?」
「いゃ、まだわからないんですが、いつかきっと・・・」

いきなりエチオピアから日本人が英語で電話をかけてきて、オマーンに行きたいと言われても、意味不明だったにちがいない。

それでもオマーンに行って、ラザがどのような環境で働いているのか、この目で確かめたいと思った。

エチオピアの村では、3年ほど前から中東への出稼ぎがブームのようになっていた。ほとんどは若い女性たちで、家政婦として働くケースが多かった。

カタールやUAE、シリア、クウェートといった国に、学校を出たての10代の女性たちが次つぎと働きに出ていく。
今年に入り、結婚して子どもがいるような女性も、その流れにくわわった。
そのほとんどが、オマーンに旅立っていった。

あまり村から出たこともないような女性たちが、どんどん海外に行って仕事をはじめる。それは、10年以上、村をみてきた自分にとっても想像をこえる事態だった。

秋休みの1週間、思い切って、オマーンに行くことにした。
ドバイから車を借りて、一路、オマーン北部の都市スハールを目指す。
きれいに整備された道幅の広いハイウェイをひたすら走る。

乾いた砂漠がつづくドバイからオマーンに入国すると、空に雲が広がりはじめる。道路脇にも、緑の木々が目立つようになる。
砂漠のなかに人工的に造りあげられたドバイにくらべると、とても自然な町並みに感じる。

スハールにつき、緊張しながら電話をかける。
「いま、スハールについたのですが・・・」
「今日は、いろいろと忙しいので、明日の午後にでも」
「では、ホテルでお待ちしています」

翌日、昼過ぎからホテルで待機する。
とくに連絡もなく、時間だけが過ぎていく。
日が傾きはじめ、もしかしたら何かあったのかもと不安になっていると、部屋の電話が鳴る。「こちらにミスター・アムルが来られていますが」。

名前を聞いたのは、そのときがはじめてだった。
あわてて、ジャケットを羽織って、1階に降りる。
オマーンの正装である真っ白なディスターシャに、ムッサルという布を頭に巻いた男性がソファーに腰掛けている。

「まずは事情をご説明します」
なぜ自分がエチオピア人家政婦と関係があるのか、そのことでなぜわざわざオマーンまで来たのか、順を追って説明する。

アムル氏は、笑顔をたやさず、うなずきながら聞いてくれる。
彼の運転するトヨタのピックアップに乗り、自宅へと向かう。

彼はスハールの発電所に勤めているという。
「うちは普通の家庭ですから、家政婦もひとりしかいません」
以前は、フィリピン人やインドネシア人の家政婦を雇っていたそうだ。
この街でエチオピア人を雇うのは、まだめずらしいとのこと。

「ここが我が家です」と言われて車を降りると、白壁の豪邸がある。
オマーンでは、800平米の居住地を無償でもらえるという。
ただ、ため息がもれる。

玄関先のテラスで、ラザがオマーン式の衣装に身を包んで待っている。
自然とエチオピア流の頬にキスをする挨拶を交わす。
家の奥さんが驚いた顔をして、離れていくのがわかる。
イスラーム圏では、ふつう男女が身体を触れあう挨拶はしないからだ。

30畳はあろうかという広い居間で、オマーン式のコーヒーやナツメヤシなどの歓待を受けたあと、息子さん夫婦や娘さんも交えて歓談する。

オマーンに来て7カ月になるラザも、少しはアラビア語を理解できるようになったようだ。

長男のサイードに家のなかを案内してもらう。
隣にはもうひとつ西洋風の居間があり、その周りを囲むように夫婦と子どもたちの部屋がいくつもある。どれもきれいな家具が据えられている。

ラザにも、エアコン付きの部屋が与えられていた。
専用のバス・ルームや洗面所もある。
牛糞で固めた土間で生活しているエチオピアとの落差に頭がくらくらする。

しかし、その広い部屋には、ベッドがひとつ置かれているだけ。
ラザの持ち物は、何ひとつない。

冷たい石の床と壁に囲まれ、誰ひとり知り合いも親戚もいないところで、ひっそり眠っているラザを思うと、胸が痛む。

ラザには、8歳と3歳くらいの息子がいた(雇い主には未婚と偽っていたが)。エチオピアの村では、つねに子どもたちに囲まれ、家族や親戚に囲まれ、「孤独」とは無縁の生活を送っている。

彼女は、しきりに「わたしは元気に過ごしているから、そうみんなに伝えてね」とくり返す。

別れのとき、彼女の目には涙が浮かんでいた。
ひとり残される彼女の境遇を思うと、胸が締めつけられる。

後ろ髪を引かれる思いで、軽く手を握り、目配せをして、家を出る。
生まれ故郷から遠く離れた場所で、ひとり家族のために働く。
それは、世界中でずっと以前からくり返されてきたことだ。

日本で生活していると、その現実感は乏しい。
日本に生まれ、日本で仕事をして、老いていくことがあたりまえだからだ。

エチオピアの女性たちのあらたな生の選択をどう受けとめればいいのか。
翌日、村の近所に住んでいた女の子に会うため、今度はアブダビへと向かった。

(つづく)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

エチオピア的

バックナンバー