<構築>人類学入門

第33回 大学2

2012.08.29更新

前回書いたように、大学での「学び」は、高校までの勉強とは方向性が違う。
正解を知っていたり、問題の正しい解き方を憶えることは、かならずしも重要ではない。
食い違う情報のなかから、みずから問いをたて、複数の視点やアプローチを試しながら、自分なりの「答え」を探ることが求められる。

でも現実は、学生の多くがその学びの意味をとらえそこねている。
教員が求めていることと、学生がこれでいいだろうと思っている水準に大きな溝がある。

レポート課題を出すと、ネットからのコピペや文献のまる写しがたえない。
自分の意見と人のアイディアがごちゃまぜになった文章を書く。
課題に「具体例をあげて」とあると、「どんな例ならいいんですか?」と質問がくる。

コピペは、倫理的や法的に問題だからダメだというわけではない。
ソースの違う複数の情報をきちんと区別して、それらの確からしさや前提条件の違いをふまえながら相互に位置づける作業がなによりも大切だからだ。

具体例をあげることは、自分で問いたてる最初の一歩でもある。
自分なりの問いを考えるのに適切な事例とは何か、自力で情報を収集し、そこから独自の「答え」への道筋を導き出すことが求められている。

たぶん、こうした課題の意図が学生には伝わっていない。

考える力は、さまざまな情報や考え方を複数の次元から立体的にとらえる力だ。
具体的な事例/情報のレベルから次元をあげて抽象化し、一般化可能な考え方をとりだす。
それをまた違う事例にあてはめたり、他の考え方に照らし合わせて、別の理解の構図を描く。
さまざまな要素が複雑に絡み合う現実に対応するために、必要不可欠の能力だ。

受験勉強では、ひとつの次元で問いと答えを一致させることが求められる。
テストで点をとるには、設問がどの次元の答えを求めているかをすぐ察知しないといけない。

それも必要とされる能力のひとつではある。
限られた時間で与えられた課題を効率よくこなすには、重要かもしれない。
そこでは自分で問いの次元を設定したり、次元を変えながら考える必要はない。
前提となる枠組みを問わないことで、ある種の効率性が可能になる。
その感覚を引きずったまま大学生活を終えてしまう学生も多い。

この大学の「学び」をめぐる意識のずれは、かならずしも学生自身の問題ではない。
社会全体として、大学の役割をどのように位置づけるのかが混迷しているからだ。

いまだに多くの人が「名前」で大学を選ぶ。
有名大学に入れば、待遇のいい大企業に就職できると信じている。
大学は、何かを学ぶ場ではなく、卒業証明をえる手段でしかない。
そこで成長したり、自身を変革しようという意欲は乏しい。

大学側も、学生の就職率をあげるために躍起になっている。
1年生から就活セミナーなどを開いて、就職指導に力を入れる。
4年生になると、就職率を左右する内定者の把握に必死になる。
こうして「就活支援業者」としての社会の要請に応えようとしている。

よい企業に就職させたいという意識は、有名大学に入ればいいというマインドと連結している。
大学側も、学生が名の通った企業から内定をもらえれば、役割を終えた気分になる。
社会も、そうした就職の「実績」のある大学を評価する。

現実には、名だたる企業が倒産し、外国資本の傘下に入り、大規模リストラを行っている。
すでに大企業神話は崩壊してひさしいはずなのに、社会の意識は変わっていない。

そもそも「就職」は、入り口にすぎない。
新入社員の3割が3年以内に辞めるともいわれるなかで、なお就職という入り口のために、大学という入り口が選ばれている。

社会全体がそれらの入り口をくぐり抜けることに向けて、子どもたちの背中を押す。
「とりあえず入ってしまえばなんとかなるのよ」と。
学生の大学に対する意識は、その素直な反映にすぎない。

入り口を通ったあと何をするのか、何ができるのか、そこには一片の思慮もない。
就職して社会の入り口にたつと、次は何を目指すべきか、誰も答えを用意してくれなくなる。
まさに自分で課題をみつけ、答えを探し出さないといけない。
頼りになるのは、それまでに磨いてきた自分で考えるセンスだ。

この社会のなかでどのような役割を果たし、いかなる社会を構想し、生きていくのか。
社会も企業も、そうした問題意識を感じ、考えられる学生を求めているはずだ。
その成長の機会を与えられるのは、広い意味で(「学校」とは限らない)の「教育」しかない。

それでも、大学教育の「なかみ」への期待は低い。
その教育の軽視が、若い人たちが本来もつ成長の可能性を閉ざしている。

大学での「学び」は、みずからが敷いた受験勉強/効率性というレールと、社会から求められている就職支援/経済性という役割にはさまれ、やせ細っている。

こうした状況で、大学に身をおく者は何をなすべきなのか。
もう少し掘り下げていこう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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