<構築>人類学入門

第37回 教育3

2012.12.25更新

教育は、単純にモノを右から左へと移しかえるようにはいかない。
それは、教育が商品を交換するような行為とは対極にあるからだ。

大学に授業料を納めれば、授業を受けることはできる。
でも、講義室に座っていれば、自動的に学べるわけではない。
「学び」は、何かの対価として誰かからもらうものではないからだ。

市場でのやりとりでは、お金を払いさえすれば、商品やサービスを受け取れる。
その眼目は、モノを交換することにある。
しかし「学び」は、そのやりとりとは別のところで生じている。

では、単純に与えることができないとしたら、「教える」とはどんな行為なのか。
それは「贈り物」に似ている。
ただ、ちょっと特殊な贈与でもある。

贈り物を渡すとき、その贈られたモノ自体が重要なのではない。
「贈る」という行為によって生じる「関係」や「感情」が焦点となる。

第1シリーズでも書いたように、誰かへの贈り物を選ぶとき、それがほんとうに相手が欲するモノであるかどうかは、はっきりしない。
ぼくらは、よくわからないなりに相手のことを想像し、思いをめぐらせて、贈り物を選ぶ。

以前、小さなお子さんのいる家庭を訪ねたとき、絵本を3冊ほどプレゼントとして持っていったら、どれもすでにお持ちだった。
贈り物にはそんなことがよく起こる。

でもそれはかならずしも「失敗」ともいえない。
贈り物の意義は、モノではなく、贈り物を渡そうとした思いのほうにあるからだ。

もちろん、相手が欲しいと指定する物を贈ることもある。
でもそれは、どちらかといえば代わりに支払いをする、といった意味になる。

どのくらいの金額のものが適切なのか、どんなものだったら喜んでくれるのか、不確定なままであることが、贈り物に特別の意味を付与する。

エチオピアでは、よく「マスタオシャ」をくれ、と言われる。
「思い出の品」といった意味だ。
何がいいのかと聞くと、たいていは「おまえのものなら、何でもいい」と言われる。

その品物が有用であるかどうかは、それほど重要ではない。
人が身につけていたり、日常的に使っていたりする物は、その人を偲ばせる物となる。
それを目にするたびにその人のことを思いださせてくれる「記憶装置」となる。

「贈り物」とは、本来、そういったものだ。

たとえ欲しかったものとは違っても、相手が自分のことをじっくり考えて選んでくれたものには、相手を想起させ、その人との関係をつくりだし、感情を喚起する可能性がある。

相手のなかに目に見えない何かを生み出すこと。
それができるかどうかわからないまま、でもそれを目指して贈ること。
そこに、モノの効用以上の何かが生じる余地が生まれるのだ。

さて、教育が贈り物に似ているという理由は、まずそこで教えられている事柄そのものに、それほど意味はないという点にある。

それなら教壇に立って何を話しても同じかといえば、そうともいえない。
相手が何を望むのか、それがほんとうに伝わるのか、はっきりとわからないなりに、相手にとってほんとうに重要なこと、伝えるべきことに思いをめぐらせる必要がある。

ある学生に授業のことをたずねると、こんなことを言っていた。
「あの先生、とりあえず熱いよねって、友だちと話してました」。

その学生は、授業で話されていたことを、やがて忘れるだろう。
おそらく残るのは、教壇の前で誰かが何かを伝えようとしていた、その「熱」だけだ。

学生のなかで、その「熱」が次の何のエネルギーになるのか、教師の側であらかじめ決めることはできない。

贈り物に込められた思いが、モノを介して間接的に受け取った人のなかになんらかの感情を引き起こすように、授業で話されていることは、予測できない何か別のことが聞き手のなかに生じるための媒介にすぎない。

前回も書いたように、教室にいる学生たちの感性や経験はとても多様だ。
みんなに何かを一様に届けることは、ほとんど不可能に近い。

それでも、相手に目に見えない何かを伝えようとすること。
たぶん、それしかできることはない。

じっさいにはほとんど届いていないかもしれない。
贈ったつもりのないものが届いているかもしれない。

教師の側には、つねに「届きがたさ」だけが残る。
教育とは、この届きがたさに向かって、なお贈り物を贈りつづけることなのだ。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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