<構築>人類学入門

第39回 研究2

2013.02.26更新

大学の教壇に立つとき、多くの新米教員が陥る罠がある。
それは、授業の準備をしすぎるという罠だ。

何を話せばよいかわからず不安なので、話すべき事柄を前もって全部調べて、パワポや配付資料などに細かくまとめてしまう。

そうやって準備されたシナリオ通りの授業をやると、学生の反応がすこぶる悪い。
逆に予定していない話をはじめると、うつむいていた学生が顔をあげたりする。
自分も数年の試行錯誤のなかで、やっと気がついた。

誰だって、資料を読めばわかる、どこかに書いてありそうな話に知的興奮は覚えない。

それは学生の身になってみれば、容易に想像できることだ。
人は立場が変わると視野が転換して、後戻りできない。
自分の視野が変わっていることにさえ、気づかない。

思ってもみなかった「問い」をつきつけられ、その問いの背後に考えるべきたくさんの事柄が絡まっていることが、しだいに明らかになる。

「おもしろい」講義ができる人は、たとえ丁寧に準備をしていても、謎解きのプロセスのように、学生がみずから問いを考えていけるような授業を展開しているのだと思う。

大学で教えられていることをそのまま覚えれば、何かの役に立つわけではない。
教員の話を一字一句ノートに書き写したところで、かしこくなるわけでも、(かならずしも)テストでいい点数がとれるわけでもない。

そうやって学んできた高校までの学習とは違う次元を、大学の教育は目指している。
そのひとつが「思考」というダイナミックなプロセスを身につけることだ。

教壇に立つ者が研究者である必要性もそこにある。

学生にとって、授業がダイナミックな知的探究になるためには、最初から結論が出ていないことが重要になる。

予定調和的で書いてあることをなぞるような講義であれば、図書館でその人の本を読んでいるほうがよっぽど意味がある(じっさいそんな授業も多いかもしれない)。

そうならないためにも、「教育」が「研究」の一部となる必要がある。
授業が、話をする者にとっても考えるべき「問い」の追究の場であれば、おのずと聞く者を「思考」の道程に巻き込むことができる。

本来、研究とは論文を書くことでも、学会発表することでもない。
ああでもない、こうでもないと考えをめぐらせ、試行錯誤するプロセスだ。
結果としての研究成果は、その膨大な過程の一部にすぎない。

最初から「答え」がわからないからこそ、そこに考える技法が求められる。
それが「知性」であり、大学教育が「研究者」によって行われる理由でもある。

でも、このことが大学の教員と学生との「すれ違い」も生んでいる。

「何が言いたいのかわからない」、「結論がない」、「ちゃんと答えを教えてほしい」・・・。
教員に投げかけられる言葉は、学生と教員が同じ土俵に立てていない現実を示している。

人が「むずかしい」と感じるとき、ただ理解できないというより、話の水準がかみ合わっていないことが多い。

レポートでコピペをしたり、自分で考えた言葉ではなく、ありきたりなことを書けば、ふつうに認められると思っている学生にとって、そもそも答えがはっきりしない問いを考えるよう求められていることなど、想定外なのかもしれない。

でも、大学に存在意義があるとしたら、なんとかして、その閉じた世界から学生を引きずりおろさないといけない。

高校までの仮想の学習から、リアルな思考の現場に降りてもらわないといけない。
だって、現実の世界には答えがあらかじめ決まっていることなど、ほとんどないのだから。

「研究」は、浮世離れした現実的でも実用的でもない道楽だと思われているかもしれない。
でも、容易には答えがみいだせない、複雑怪奇な「現実」にちゃんと向き合って考えることこそが、「研究」に課されている使命だ。

日頃、誰もそんな悠長なことはやってられないから、仮の答えを頼りに生きている。
考えることをスキップして、常識や限られた経験をもとに日々を乗り切っている。

でも、それがほんとうに確かなのか、ほかに考えうるよりよい道はないのかと、たぶん考える者が世の中にはいたほうがいい。

できれば研究者だけでなく、多くの人の知恵を集めて考えていくほうがいい。
大学が研究と教育の場であることの理由は、そこにあるのだと思う。

研究とは、教育のためにある。
そして、教育も、研究のためにある。

次回、まとめよう。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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