<構築>人類学入門

第40回 研究3

2013.03.22更新

大学教員が授業のために勉強しているというと、意外に思われるかもしれない。
自分がしてきた研究の話だけで授業ができる人は、たぶん少ない。

研究者は、ふつう一人前と認められるために、博士論文を書いて博士号を取得する。
この博士論文のための研究は、かなり絞られたテーマに関するものだ。

特定のテーマに精通していても、その分野全般についての基礎知識があるわけではない。
たとえば「文化人類学」という分野のなかで、ひとりの人間が直接研究できる範囲はごく限られたトピックや地域のことにすぎない。
人類学の学説史や理論について、すべてきちんと理解しているわけではない。

大学の研究者は、多かれ少なかれ、そんな中途半端な状態で教壇に立つ。
学生にいろんなことを学んでもらうには、教員だって勉強しないと追いつかない。

ただし、この授業のための「勉強」が、研究者としての能力を高めることにもつながる。

それまでは学会などその分野に詳しい人の前で、自分の話をすればよかったかもしれない。
でも大学では、そもそも自分も専門ではないトピックについて、ほとんど知識のない学生にわかるように話をしなければならない。

つまり、より高い理解力と表現力が求められる。

「わかっている」は、言葉などかたちにして、はじめて「わかっている」ことになる。
誰にも伝えられなければ、それを「わかっている」とは言えない。

研究者として「わかっている」はずのことをいかに言葉にし、伝えられる「かたち」にするか。
授業のための「勉強」の過程で、研究者は自分の研究分野への理解度を試される。

大学で学んでいるのは、学生だけではない。
教えているはずの者も、そこで学びつづけている。

つねに未完成の研究者が「伝える」ために「伝えるべきこと」の欠落を埋めようとする。
大学とは、そんな終わりのない追究の場だ。
教える者が研究者である必要性もそこにある。

教える側の「学び」は、授業の準備だけではない。
授業のなかで、学生の反応にいろんな発想をもらうことがある。
ゼミで学生が調べてきた事例から、あらたな知見をえることもある。
学生からの率直な質問にたじろぎながら、自分の理解の浅さを突きつけられることもある。

学生という対話の相手がいることで、自分の研究の深さや幅を再確認できる。
まだ足りない何かを知ることができる。

研究とは、けっしてひとりだけでできるものではない。
つねにアイディアを伝え、受けとる「相手」がいる。

じっさいに自分自身も、フィールドで調査したり、部屋にこもって論文を書く時間ではえられない刺激を学生から受けとってきた気がする。
もちろん容易には伝えられないという葛藤も含めて。

この学生という一筋縄ではいかない対話のパートナーの存在は、研究者にとって試練であり、また恵まれた環境でもある。

大学で講義をしている人が街角でマイクを片手に話して、どれだけの人が足を止めて聞いてくれるだろうか。
ネットで講義を配信して、熱心に視聴してくれる人はどれくらいいるだろうか。
そう考えると、大学のなかでの伝えることの困難さは、まだ生ぬるいようにも思う。

おそらく音楽を志す人でも、文学や芸術を志す人でも、伝えるべき相手の存在は、つねに表現を駆動するエンジンとなる。

目的や思いはさまざまであれ、学生という一般市民を前に表現する機会があり、その反応を感じられることは、研究の水準を高めるひとつのモチベーションになりうる。
それが、教育と研究との理想的な関係だろう。

それに伝えるべき「学生」とは、特定の大学に所属している者だけではない。
それは学びをとおして、いま手にしていない何かを求めている人すべてだ。

研究者が大学という場で生きることを許されているのは、その広い意味の「学生」に対して、より多く伝えられる「かたち」をつくりだすためなのだと思う。

ここまで第2シリーズでは、大学での教育や研究について考えてきた。
でも、これはいわゆる「教育論」や「大学論」ではない。

むしろ、「わたし」がつながっている社会や世界の一部を構築する見取り図のようなものだ。
その意味で、実践的な<構築>人類学の具体例のひとつでもある。

いま「わたし」にできるのは、自分が身をおいている大学という現場で、既存の枠組みをずらし、あらたに線を引きなおしていくこと。
そこに人類学的な思考のエッセンスを投入していくことだ。

<構築>人類学の第一歩は、つねに「わたし」が身近に接している「あなた」にどう向き合うかにかかっている。


4月から『ミシマガジン』もリニューアルされるようなので、いったん今回で<構築>人類学入門の連載も終えようと思います。

それこそ最後まで見通しのきかない連載におつきあいいただき、ありがとうございました。

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松村圭一郎(まつむら・けいいちろう)

1975年、熊本生まれ。立教大学社会学部・准教授。エチオピアやザンビアなどアフリカの農村部を中心にフィールドワークを続ける。富の所有や分配、貧困や開発援助の問題などを研究。主著に『所有と分配の人類学』(世界思想社、2008)、『基本の30冊 文化人類学』(人文書院、2011)。
KYOTO的では、28回にわたって「エチオピア的」を連載した。

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