古代文字で写経

サンスクリット語で般若心経 第2回

2014.04.12更新

般若心経というタイトル

 前回の写経、やってみましたか? 読むだけではイマイチな連載ですので、ぜひプリントアウトをして写経をしてみてください。

 実際に手を動かして文字をなぞってこその写経です。ご自分でのプリントアウトですので何枚プリントアウトしてもいいし、毎朝の写経の習慣なんていうのもいいかも。

 さて、今日は前回の「ガテー、ガテー」のあとにくる部分を写経してみましょう。『般若心経』のタイトルの部分です。

第2回

 でも、その前に・・・。

 前回は文字の説明ばかりしていて『般若心経』についてほとんどお話をしなかったので、今回からは少しだけ『般若心経』の話もしていきます。

 あの・・・、最初にお断りしておきますが、僕はお坊さんでもないし、宗教学者でもないので超テキトーですから、ちゃんとしたことは近所のお坊さんに聞いたり、本を読んだりしてくださいね。くれぐれも『般若心経』や宗教に関する質問はしないようにっ!

 さて、前回、『般若心経』というのは呪文のお経で、「ガテーガテー」を唱えるだけで、もうOK! なんてことを書きました。

「え~、仏教って、ちゃんと修行をして、ちゃんと戒律を守って<悟り>を得るのが目標なんじゃないの」

 ・・・という方。たしかにそういう考えもあります。日本の仏教では禅宗などがそうですね。この「自分で努力して悟らなきゃダメだよ!」という人たちを中心とした仏教は、日本よりもタイやミャンマー、スリランカなどの東南アジアを中心に広まっています。

 上座部仏教と呼ばれるもので、むかしは「小乗(小さい乗り物)仏教」などという、ちょっと差別的な呼び方がされていました。「へ~んだ。お前んちの車、ちっちぇえんだ」みたいな呼び方です。ひどいですね。実はこちらの方がお釈迦さまの教えに忠実なんだそうです。だのにヒドイっ。

「小乗」なんていう、ひどい呼び方がされていたのはなぜかというと、日本や中国の仏教を「大乗(大きな乗り物)仏教」というからです。「へ~んだ、俺んちの車、でけえぜ」っていうやつです。

 なぜ「でけぇ車」なのかというと、大乗仏教は「自分が悟るよりも、まずは人を救おう」という考えの仏教で、「他の人も乗せてやっからよお」ってなわけで、ほかの人も乗れるように「大きな乗り物」、大乗なのです。

 で、「なら、乗せて、乗せて~」という人、仏教的にいうと「自分は修行とかできないし、戒律なんて守る自信もないし、悟りなんてとんでもないけど、それでも救って~」という大きな車の同乗希望者も、大乗仏教の信者になれちゃう。車が大きいので、誰でもOKなのです。

 いいでしょ、気楽で。日本で流行ったわけが、よくわかります。

 で、そうするともっと横着な人も現われて、「お経とかも字ィ覚えんの面倒だし、お布施するお金もないから、なんかこう、ちゃっ、ちゃって救ってくれるのない? 呪文とかさぁ」という人に「はい、はい」と答えたのが、この『般若心経』なのです。

 実は、こんな横着な人に応えてくれたのは『般若心経』だけでなく、浄土宗や浄土真宗などでは「南無阿弥陀仏」と唱えれば、阿弥陀様が極楽に連れていってくださると約束をされてますし、日蓮宗はお経の題名である「南無妙法蓮華経」を唱えればいいとか、まあ、いろいろあるわけです(あの~、何度も言いますがテキトーですから、あまり信じないように)。

 この連載が好評で何年も続いたら、『阿弥陀経』とか『観音経』などもサンスクリット語で写経してみたいですね。


紀元前1,500年に起源があり、今なお公用語のサンスクリット語

 あ、そうだ。

 前回からサンスクリット語、サンスクリット語って書いていますが、これについても全然、お話していませんでした。

 サンスクリット語はインドの言葉です。で、いつごろからある言葉かというと、その起源は紀元前1,500年ほどだともといわれる超古い言語です(でも言語に起源ってあるのかなぁ・・・。まあいいや、そこら辺のことは)。

 ふる・・・。

 でも、サンスクリット語も時代によって変化をしていて、いまサンスクリット語と呼ばれているのは紀元前5世紀から4世紀くらいに文法が整理された比較的新しい言葉だといわれています。

 それでもじゅうぶん古いですね。

 で、そんなに古い言語なのに、なんと「死語」ではなく、現代でもインドの憲法によって定められている公用語のひとつなのです。すごい!

 そしてサンスクリット語を記述するのに用いる文字は、デーヴァ※・ナーガリー文字です。この文字は、現代インドのヒンディー語を記述するときにも使われています。

 前回にもリンクをしましたが、ミシマガジンでは松樟太郎さんの連載『究極の文字を求めて』の中でデーヴァ・ナーガリー文字について書かれていますので、どうぞ~!

 このデーヴァ・ナーガリー文字は案外新しい文字で、10世紀くらいの成立といわれています。それより前にはアショカ王の時代の文字といわれる「ブラーフミー文字」や、「グプタ文字」、そして日本でもお墓などでよく見かける梵字に近い「悉曇文字」、そして「ナーガリー文字」を経て、現代のデーヴァ・ナーガリー文字に至っています。

 サンスクリット語仏典の多くが、このデーヴァ・ナーガリー文字によって書かれているので、今回はこの文字を使って写経をすることにしました。

※現代のヒンディー語では「デーワ」に近い音で発音されます。


題名のない「無名のお経」

 さて、素人があまりぐだぐだお話をしていても仕方がないのでそろそろ写経にいきましょう。今回写経するのは『般若心経』の題名そのものです。

・・・といっても、このお経の題名は本当は『般若心経』ではありません。題名のない「無名のお経」なのです。ただ、前回に写経した「ガテー、ガテー」云々の呪文のあとに・・・

「・・・と、般若波羅蜜多の心が完結される」

・・・と書かれているので、そこから『般若心経』という名前で呼ばれるようになりました。

「般若(はんにゃ)波羅蜜多(はらみった)」という言葉、聞きなれませんね。

「般若はいいけど波羅蜜多(はらみった)なんて聞いたことない」という方、「波羅蜜多」という言葉の説明はあとでしますが、実はこれ、深入りすると面倒なコトバなのです。だからあまり気にせずにスルーしましょう。僕は子どもの頃にお笑いの人が「はんにゃ・はらへった」とかいっていたので覚えています。

 ちなみに玄奘さんの漢訳では「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶。般若心経」となっている(赤字)部分です。

 さて、では今回はこの『般若心経』と訳された「般若波羅蜜多の心」のところを写経しましょう。なんと全部が一本の「インド線(松さん命名)」で結ばれています。

第2回

※「プラジュニャー」はヒンディー語では「プラギャー」に近い音で発音されますが、前回、朗誦でお手本にしたニテャーナンダ・トウドウ師は「プラジュニャー」と発音されているので、「プラジュニャー」にしました。


使用する文字

 今回、新たに使う文字は(基本的には)以下の5つです。おお、たった5つ!

第2回

 で、「基本的には」と書いたのは、今回も結合文字があるからですが、まずは基本の子音文字の練習をしておきましょう。


書き順と子音練習


結合文字

 今回の「結合文字」は以下の2つです。

 今回の結合はちょっとやっかいというか、わかりにくいですね。前回の「sva」ように前と後ろをくっつけただけではありません。でも、まあ、あまり細かいことは気にせず、書いちゃいましょう。

第3回

※「なんでこうなるんだよ」と怒りたくなる気持ちはわかりますが、まあ、まあおさえて。ラ(ra)が結合文字になると、いつもちょっとやっかいなのです。

第3回

 これもちょっと変ですが、この二字の結合の仕方、なんとなくわかるような、わからないような...。

これは書き順も紹介します。
第3回


母音「リ」

 今回も母音記号は、前回にもやった「エ」と「アー」が中心ですが、実は今回は、ちょっと変わった母音記号があります。

 それは「リ」という母音です。こんな字です。ローマ字にするときには「r」の下に点をつけます。文字化けをするので、以下「ri」と書きますね。あ、それからこの文字は難しいのですが、書けなくても問題はないので、ちらっとだけ見て無視してしまいましょう。

第3回

 さて、ふつう母音というと「あ・い・う・え・お」ですね。ところが、サンスクリット語には「リ」という母音があります。発音は「リ」と読まれたり「ル」と読まれたりしますが、一応、ここでは「リ」にしておきますね。

「リが母音だなんて変だ~」

 そうお思いだと思います。でも、これ現代の英語などにもその名残があります。たとえば「triangle(トライアングル=三角)」の「tri」。これは「3」を現しますね。トリオ(trio)やトリプル(triple)などもこれです。これなどは「tri」で一音なので、「ri」を母音と考えた方がすっきりするでしょ。

 で、この「リ」が今回は「ハ(ha)」について「フリ(hr)」のような発音になります。でも、「trio」なんかと同じ仲間ですので、「tri」というようなつもりで、「フ」は子音を発音せずに「hri」と発音してくださいね。

第3回


単語と文の説明

 では、これらの文字を組み合わせて単語を作りましょう。
第3回
プラジュニャー(般若):智慧。知識ではなく深い智慧をいいます。※本稿最後の雑談参照。

第3回
パーラミター(波羅蜜多):完成、あるいは彼岸に至る

※「パーラ(彼岸)」は前回にも出てきましたね。実はこの「パーラミター」、文法的にはいろいろあるのですが、話がややこしくなるので「彼岸に到る」と理解しておいてください。詳しく知りたい方は岩波文庫や講談社学術文庫の『般若心経』でどうぞ~。

第3回
フリダヤ(心):心

 全体の意味は「般若(智慧の)波羅蜜多(完成・到彼岸)の心」です。

 う~ん、今回もよくわからない訳ですね。ま、気にしないことにしましょう。


では写経・・・の前にちょっと

 さて、ここで写経にしてもいいのですが、もうちょっとだけ「おまけ」で写経してしまいましょう。今回、写経したのは『般若心経』の最後の部分で、以下の赤字の部分です。

「・・・と、般若波羅蜜多の心が完結される」

・・・となると、この赤字以外の部分「・・・と」と「完結される(受動態)」を写経すると、一応、お経は完結するし、朗誦もしやすいので、これも一緒に写経しちゃいましょう。「おまけ」なので細かな手順は省略します。

第3回

 では、写経をどうぞ!


読誦してみよう

 今回の読誦は、音の上がり下がりがほとんどないので簡単ですね。前回のものに続いてどうぞ!

第3回


おまけの映像

 今回は初音ミクちゃんに舞を舞ってもらいました。ネイティブアメリカンのみなさんも参加です!


英語版はこちら

※ミクちゃんに持たせるのは「扇にしようかな」とも思ったのですが、お約束どおりの「ネギ」にしました。また、ネギが洋服を突き抜けていますが、これもピボットポイントを変えればいいということはわかっているのですが、いまちょっとそのヒマがなく、すみません、このままで失礼します。

※英語版の訳は鈴木大拙師を基本とします。ただし、鈴木大拙師は漢訳からの英訳なので、漢訳にない部分はマックス・ミュラー訳を参考にしています。


雑談です

 般若波羅蜜多の「般若」で思い出すのは、能面の「般若」です(お笑いの「はんにゃ」の方だというかたも多いかも知れないけど・・・)。

 般若の面というのは、角があって、目が金で、牙みたいな歯があって、ちょっと怖い顔をしたアレです。あれがサンスクリット語の「智慧」だというのは、ちょっとびっくりです。

 般若の面を使うのはたとえば能『葵上(あおいのうえ)』。光源氏の正妻である葵上に対する嫉妬を、無意識のうちに閉じ込めている六条御息所が、生霊として葵上を殺しにやって来る場面で使います。普段は表に出さない女性の嫉妬心の象徴があの面なのです。

 能『道成寺(どうじょうじ)』でも、般若の面は女性の内に隠れている執心の象徴です。

 ですから般若の面は、よく見ると悲しい顔をしています。ただの怒りではありません。

 しかし、『黒塚(くろづか)(安達原)』や『紅葉狩(もみじがり)』では鬼女の姿だし、やっぱり「プラジュニャー(prajñā)=智慧」の持つイメージとは、だいぶかけ離れていますね。

 あの面がなぜ「般若=智慧」と呼ばれるのか。実は本当のところ、よくわかっていません。サンスクリット語の「智慧」とはあまり関係がないようですが、一応いわれているのは「般若坊」というお坊さんが最初に打った(能面では彫ることを「打つ」といいます)からではないかとかなんとか・・・。

 まあ、でもよくわかっていないというのが本当のところじゃないかな~。でも、単なる怒りではない、深い感情を内包した表情であることはたしかです。

 そうそう。能の海外公演やワークショップなので、今まで25くらいの国の子どもたちに能のお話をしてきていますが、般若の面を見せて「これ男だと思う? 女だと思う?」と聞くと、子どもたちはだいたい「おんなっ!」と答えます。男の先生が怒った顔よりも女の先生が怒った顔に、お父さんが怒った顔よりお母さんが怒った顔に似ているといいます。

 ただリトアニアだけは違っていました。

 リトアニアでは、結婚や同棲をしていて、愛想を就かして出て行くのはだいたいが女性なのだそうです。で、女性が出て行った暗い部屋で男がひとり沈んでいると、やがて男の額に角が生えてくるという話があるとか。

 そんなんで「この面は絶対、男だっ!」と言ってました。

 日本の古典には「人待つ女」なんてコトバがありますが、リトアニアでは「人待つ男」なんですね。

 リトアニア航空の機内誌のお笑いコーナーでも、女性が浮気をしているんだけれども男性がそれに対して何もいえない...みたいな小話がいくつも載っていました。日本では「浮気は男の甲斐性」なんていいますが、リトアニアでは女の甲斐性なのかも。

 もう15年くらい前の話で今は変わっているかも知れませんが・・・。

 ちなみにサンスクリット語とリトアニア語って似ているんです。

 では、また次回に~。

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催す る。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する 能  ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。

あわいの力

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