古代文字で写経

閑話休題 古代文字エッセイ(1)

2014.06.21更新

「古代文字で写経」、お休みしていて申し訳ございません。

 いま抱えている書籍が2冊あり、1冊がすでにゲラの段階、そしてもう1冊が6月中に原稿を仕上げなければならなくなり、「古代文字で写経」の画像ファイルと動画ファイルを作っている時間がないのです。

 というわけで、少しの間、古代文字について、いろいろと軽いおしゃべりをさせていただきます。


北京放送、モスクワ放送、FEN(極東放送)を聴いていた中学時代

 今こそ外国語は大好きなのですが、高校時代、英語はとても苦手でした。

 英単語の意味がわからず辞書を引いても、そこに出てくる日本語がまずわけわかんない。それどころか、あれやこれやと訳語がいっぱい出てくる。ここの「意味」としてどれを採用すればいいのかもわからない。

「文脈で考えろ」なんて先生は無責任なことをいうけれども、文脈以前に文の意味自体が全然わからないわけなので、そんなの無理な話。

・・・って人、少なくないと思うのです。

 先日、ある高校で生徒と話をしたら、いまだにここら辺を解決せずに授業をしている英語の先生がいるようで、そりゃあもうちょっと工夫してもらいたいものです。

 それはともかく、英語は苦手だったのですが、それでも中学時代からチベット文字やロシア(キリル)文字で、恋人と秘密の手紙のやり取りをしていたりして、不思議な文字にはとても惹かれていました。

『あわいの力』をお読みくださった方の中には、僕が千葉県の東のはずれにある銚子市の、さらにその東端にある海鹿島(あしかじま)という小さな漁村で育ったことを覚えていらっしゃる方もいるでしょう。

 ちなみに、ここが実家があったところです(今は空き地)。

©Google

 書店も図書館もないような小さな漁村で、なぜ中学生がチベット文字やキリル文字を知ることができたのか。

 海鹿島は、書店や図書館がないだけではありません。NHKのラジオですらよく入らなかった。FMを聴くにはラジオを持って、坂の上にある別の町にまで出かけなければならない。テレビだって映りは悪いし、週に一度はアンテナにホースで水をかけ、アンテナ掃除をしなければまったく映らなくなる。

 そんな電波事情が悪い海鹿島なのに、海外のラジオ局である北京放送やモスクワ放送、そしてFEN(極東放送)はやけによく入ったのです。

 ちなみにこの3局とも宣伝のためのラジオ局です。

 北京放送は「こちらは北京放送局です。アメリカ帝国主義と日本帝国主義は張子のトラである」というアナウンサーのひと声から始まり、毛沢東をたたえる『東方紅』がかかり、続いて共産主義の素晴らしさを宣伝する放送となりました。

 モスクワ放送も似たようなものでしたし、FENはキリスト教布教のための放送です。

 父が、あらゆる思想や宗教に対して懐疑的だったために(思想的に偏らないようにとうちでは朝日新聞、産経新聞、日経新聞、赤旗を取っていました)、そういう宣伝には運よくあまり乗らなかったのですが(それでも中学時代の愛読書は『資本論綱要』)、しかしモスクワ放送にはロシア語の通信教育があり、北京放送には中国語の通信教育があり、FENには『聖書』の通信教育があり、これまたすべて無料だったので学校の勉強そっちのけで勉強したおかけで、そういう文字を知ることができたのです。

 で、高校になると麻雀から甲骨文字に出会ったということについては『あわいの力』に書いた通りですが、高校時代には古代文字に目覚める、もうひとつの刺激的な出会いがありました。

そ れが当時は中公新書に入っていた『楔形文字入門(いまは講談社学術文庫)』を読んだことです。

「あの不思議な文字が読めるなんてわくわく!」と思って読んだのですが、ところがこちらは甲骨文字と違って、文字を学ぶだけではだめで、アッカド語やシュメール語を学ばなくてはならないと書いてある。

 銚子の書店や図書館を探しても『アッカド語入門』とか『シュメール語入門』なんて本はない。

 で、あきらめて、それから長い間、忘れていたのですが、この数年、アッカド語とシュメール語を学ぶ機会に恵まれて、本当に嬉しいのです。


古代人は、心ではなく耳を向けた

 アッカド語もシュメール語も、現代では全く使われていない「死語」です。

 シュメール語は紀元前2千年紀の始めごろには、ほぼ消滅をしていましたし、それよりは新しいアッカド語ですら紀元100年には使われなくなっているという古い言葉です。

 この2つの言語は使われていた地域が共通していますし、シュメール語が使われなくなってからもアッカド語を使う人たちが、古典語としてシュメール語を使って文章を書いていた(ラテン語のように)ので共通する物語がいくつもあります。

 その中のひとつに『イナンナの冥界下り』というものがあります。

 これはシュメール語のタイトル、でアッカド語ですと、イナンナはイシュタルになります。天と地を統べるという強大な力を持った女神、彼女が冥界に行くという物語です。

 ちなみにイナンナはアッカド語ではイシュタルになりますが、それよりあとの時代ではアフロディーテーと同一化されたり、さらにはヴィーナスになったりもします。

 その最初の文は「天から地へと心を向けた」。

 現代文では「心を向けた」と訳される、このフレーズはシュメール語でもアッカド語でも「耳を定めた」という風に書かれています。まだ「心」という概念が定まらなかった時代、「何かをしよう」というときには心ではなく身体をそちらに向けたのだのです。

 ちなみに「耳」を表す楔形文字はこれです。

これは横書き用の楔形文字ですが、古いものが縦書きだったので、これを縦にしてみるとこうなります。

そうすると、これが楔形文字の古形である「古拙文字」といわれるものから変化したということがわかります。ちなみに古拙文字の「耳」はこうです。

 耳といっても人間の耳ではなく「猫耳」なのです。

「え、イナンナって猫耳だったの?」とも思うのですが、当時の絵を見ると、神様が動物の上に乗っている絵が多いので、自分の乗り物である動物の耳をそっちに向けたのかもしれません。

 神様が動物の上に乗るっていうのも、普賢菩薩が象に乗ったり、文殊菩薩がライオンに乗ったりするのにも似て面白いですね。

 ちなみに漢字で、そちらに心を向けるという意味の文字は「志」。この字の上の「士」は古い字形では「足」です。さらに古い字形には「心」がなく「足」しかないのです。古代中国において「心」を向けるとは「足」を向けることだったのです。

 何かをしようとするときには、心を向けるのではなく耳を向け、足を向ける。古代文字は、とても身体的です。

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催す る。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する 能  ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。

あわいの力

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