古代文字で写経

閑話休題 古代文字エッセイ(2)

2014.06.28更新

 原稿やらゲラやらの締め切りラッシュがまだまだ続いているので、今回も古代文字で写経はお休みです。すみませ~ん。代わりといってはナンですが、またまた古代文字エッセイをお届けします。

 古代文字の原稿も、そしてこのエッセイも、書くこと自体はどんなに原稿ラッシュでも大丈夫なのですが(これはいま東京から福岡に向かう飛行機の中で書いています)、写経のほうは画像作成と動画作成に時間がかかって、ちょっと無理なのです。

 そちらだけでも誰かに依頼しておけばよかった。


マリリン・モンローのお尻

 さて、前回のエッセイでは、世界最古の言語であるシュメール語による『イナンナの冥界下り』の話をしました。今回もその続きを。

 天地を統治する女神イナンナが、なぜか冥界にも興味を示した。冥界は「行った者は帰らぬ地」=「帰らざる地」とも呼ばれているような地です。

 ちなみに「帰らざる地」、シュメール語では...

「クル(kur=地)・ヌ(nu=not)・ギ(gi=帰る)」

・・・で、英訳は「The land of no return」です。

「The land of no return」って往年の西部劇『帰らざる河(The river of no return)』を思い出しますね。

「The land of no return」と「The river of no return」。

 マリリン・モンローとロバート・ミッチャムという、よきアメリカを代表する二人による映画。マリリン・モンローがギターを爪弾きながら歌う「帰らざる河」の歌が、これまたいい。

 映画界にシネマ・スコープという横長の大画面が開発され、迫力のある映画作成が可能になった。この大画面で何を作ったらいいか、という時に、ひとつは『聖衣』などの歴史大スペクタクル、そしてもうひとつがマリリン・モンローの大きなお尻をどーん! と出しとけ、という何とも素敵な発想で作られた映画なんだそうです。

 なんてことで、さらに野坂昭如の『マリリンモンロー・ノーリターン』も思い出しつつ、飛行機の中でiPhoneで野坂昭如の歌を聴いたりしつつ、でも今日はそんな話ではないので話を進めます・・・が、マリリン・モンローのお尻、ちょっと関係もあるのです。


悲しみは「目」や「鼻」や「お尻」にあった

 さて、女神イナンナは、そんな「帰らざる地」に行くわけですから、さすがに「ひょっとしたら戻れないかも知れない」と思った。そこで大臣であるニンシュブラを呼び、次のように伝えます。

「私が冥界に下っていくその日に、私が冥界に進んでいくその日に、
廃墟の上で私のために嘆きなさい。
シェム(太鼓)を私のために玉座で叩きなさい。
私のために神々の家を取り囲みなさい。
私のためにあなたの目を掻きなさい。
あなたの鼻を私のために掻きなさい。
誰とも話すことのない場所で、私のためにあなたのお尻を掻きなさい。
何も持たない人のように、私のために一つしかない衣服(喪服)に身を通しなさい」

 そしてこのあと、自分が戻らなければ神々のところに行って、かくかく伝えて助力を求めよ、というセリフが続くのですが、それはちょっと措いておき、上記のセリフの「掻きなさい」のところについて、今回はちょっと見てみましょう。

「掻く」はシュメール語では「フル(hur←本当は「h」の下に符号がつきます)」です。

 この「フル」は名詞ですと「穴」という意味。ですから動詞にも「穴を掘る」という意味もありますが、「引っ掻く(to scratch)」というのが辞書でも一番最初に出ています。

悲しみ、喪失の表現として「胸、掻きむしられる」というものがあります(辞書には載っていないので、本当はそういわないのかも)。英語では「ハートを掻きむしる(tear at someone's heart)」。

 ところがシュメール語で掻きむしるのは・・・

「目」
「鼻」
「お尻」

・・・なのです。

 前回、現代日本語で「(冥界に)心を向ける」と訳す部分がシュメール語では「耳を定める」であると書きました。意志は「心」ではなく「耳」にあった。

 今回は悲しみの部位です。

 現代は「胸」や「ハート」ですが、シュメールでは「目」や「鼻」や「お尻」だったようです。

「目」は「みる」という動詞を取る主体的(subjective)感覚器官、「鼻」は「きく(香りを聞く)」という動詞を取る客体的(objective)感覚器官。主客両方の感覚器官に「悲しみ」が宿る。

・・・で、おそらくそれだけではなく目からは涙という液体が、鼻からは鼻水という液体が、悲しみや喪失の時には流れるからなのかもしれません。


ふたたび、お尻を考える

 さて、ここで問題になるのは「お尻」です。

・・・って別に問題にしなくてもいいのですが、せっかく先ほどマリリン・モンローのお尻の話が出てきたので・・・。

 さて、ここで「お尻」と訳したシュメール語は「ハシュ・ガル(haš4.gal)」です(←またまた本当は「h」の下には符号がつきます)。

「ハシュ」と「ガル」から成る語ですが、「ハシュ」自体に「下腹部、お尻、太もも」などという意味があり、それに「大いなる」を意味する「ガル」がついている言葉です。

 お尻に「ガル(大いなる)」がついても意味は基本的には変わらないのですが、もうひとつ「性器のエリア」をも意味するようになります。

 ちなみに、イナンナに命令される大臣ニンシュブラは女性です。ですから彼女が掻きむしるのは「女性器」なのです。

 で、ここで『あわいの力』をお読みくださった方は思い出していただけるのではないかと思うのですが、シュメール語で「あわれみ」を表す語、「アルフシュ」は「子宮」をも意味しました(ちなみにアルフシュの語源は、下腹部のルート)。

『あわいの力』にも載せましたが、「あわれみ=子宮」の古拙文字です。

 女性を表す三角の上に「ここだよ!」という横線があります。この文字が「子宮=あわれみ」を表します。

「あわれみ」や「悲しみ」は子宮にあったのです。

 だからこそニンシュブラは悲しみのあまり「女性器」を掻きむしるのでしょう。

 女性器も、目や鼻と同じく液体を秘蔵する器官です。涙も、鼻水も、ふだんは垂れ流すことなく秘匿しておき、溢れるべき時に、自分の意志とは関係なく溢れ出ます。女性器の液体も同じです。ふだんは秘蔵している液体が、自分の意志とは関係なく溢れ出る。

 ニンシュブラが掻きむしる「目」も「鼻」も「お尻(女性器)」も、同じ性質をもった器官なのです。

 涙という液体を秘蔵する「目」、鼻水という液体を秘蔵する「鼻」、そして羊水や愛液を秘蔵する「女性器」。

 喪失の悲しみの時には、そこを掻きむしる。

・・・ってことを考えていると「胸を掻きむしる」という行為が、とてもソフィストケートされた行為である気がしてきました。

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催す る。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する 能  ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。

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