古代文字で写経

サンスクリット語で般若心経 第10回

2014.08.12更新

意味より、文法より、何より「音!」

 長い間、お休みをしてしまいました。

 さて、今回はサンスクリット語による『般若心経』の最終回です(次回に全体の復習をします)。

 今回の部分は、サンスクリット語版『般若心経』の中でも、もっとも「音」の響きのいいところのひとつです。あ、「ひとつです」というのは、最後の呪文も含めてあと数箇所あるからです。

・・・というわけで、もし音を出しても大丈夫な環境にいる方は、最初にこのページのラストに飛んで動画を観ていただくのもいいと思います。

<...と、動画をご覧いただいたことを前提に...>

 ね、いいでしょ。

 意味なんてもうどうでもいい感じです。しかも、今回は説明すべき文法もほとんどない。

 意味より、文法より、何より「音!」という感じのところです。

 全体を通して聴いても、ここ、かなり耳に残るところです。


意味がよくわからないくらいがいい

 よく「聖書は何が書いてあるかがちゃんとわかるからいいけど、お経はお坊さんがごにょごにょ言ってるだけだからダメだ」なんていう人がいます。

 それは大きな間違いです。

 私たちが何かを受容するのは「意味」からだけではありません。

 洋楽(って言葉古いかな)を聴く時って、意味を考えずに聴く人、多いでしょ。意味は全然わからなくても、それでも感動する。

 それが音楽です。

 お経も同じ。

 お葬式で、何を言っているのか全然わからないけれども、あの音と声の響きで「ありがたい」ものに感じるのです。

 生前は、あんなに憎らしいヤツだったのに、なぜか徳があった人に思えてしまう。成仏だか往生だか、どっちでもいいけど死後も安楽に暮らしてほしいと思ってしまう。時々は会いに来てほしいとすら思ってします。

 これみなお経の、あの意味がよくわからないけれども何となくありがたい「ごにょごにょお経」の功徳です。

 実は「やはりお経も意味がわかった方がいいんじゃないか」ということで、現代語訳のお経も作られたらしいのですが、やはり不評ですぐにやめたそうです。

「存在するものはすなわち空虚であり、空虚がそのまま存在なのである」

・・・なんてお葬式でいわれたらちょっと、でしょ。

 ちなみにうちの宗派は真言宗なのですが、そこでは『理趣経』がお経として読まれますが、これを現代語にすると・・・

「エッチして感じたい!」
 おお、これは清浄な言葉であり、しかも菩薩の位である(妙適清浄句是菩薩位)。

「あの人を触りたい!」
 おお、これも清浄な言葉であり、しかも菩薩の位である(触清浄句是菩薩位)。

「エッチしてイキたい!」
 おお、これも清浄な言葉であり、しかも菩薩の位である(適悦清浄句是菩薩位)。

・・・なんて、神妙なお葬式の場で読まれたら、ちょっと笑っちゃうし、「喪服未亡人どうのこうの」みたいな話になっちゃう(あ、ちなみに上の訳は正確ではありませんので)。

 意味がわからないほうがいいこともあるのです。

 むろん、この「音を大事にする」というのは仏教だけではありません。

 カトリックの典礼だって、今でこそ日本語で行われていますが、少し前まではラテン語で行われていました。

 グレゴリオ聖歌を日本語で歌うのってやっぱり変です。やはり典礼や聖歌には、それにあった言語というものはありますし、意味がよくわからないくらいがいいのです。

・・・というわけで、今回は何よりも「音」をお楽しみくださいね。


「色」は「空」である

 さて、今回のこの部分は漢訳では・・・

「受想行識亦復如是」

のところです。

 前に「五蘊(パンチャ・スカンダ)」はすべて「空」であるということが示されました。

 五蘊とは「色・受・想・行・識」の五つです。

 それから弟子の舎利子に向かって、五蘊のひとつである「色」が「空」であることが繰り返し、繰り返し述べられています。

 漢訳でいえば・・・

色不異空
空不異色
色即是空
空即是色

 とシツコイほど説明しています。

 で、今回は五蘊のほかの4つ「受・想・行・識」も同じなんだということを言っているところです。


単語の意味

 今回の単語の意味は次のようになります。

 evam eva エーヴァム エーヴァ 如是(そのように)+強意
 vedanā ヴェーダナー 「受」、感受作用、知覚
 saṃjñā サンジュニャー 「想」、表象作用、知識
 saṃskāra サンスカーラ 「行」、意志作用
 vijñāna ヴィジュニャーナ 「識」、認識作用
※vijñānāni(ヴィジュニャーナーニ)ヴィジュニャーナの複数形。

 全体の意味は:まさにこのように「知覚」や「知識」や「行」や「認識」もある。


リズムを大事にする翻訳

 今回は文法はいいですね。ただ単語を続けているだけです。

 あ、一応、ふたつだけ。

 最初の「エーワム」と「エーワ」はくっついて「エーワメーワ」と読まれます。

 それと最後の「ヴィジュニャーナーニ」は複数形です。これが複数形になっているのは、「受想行識」の4つをひとまとめで複合語にしているために、最後に複数語尾をつけているのです。まあ、これは写経にはどうでもいいからスルーしましょう。

 それより音です。

 サンスクリット語の読みを聴くと、これが意味ではなく、音のかたまりで3つのフレーズに分けられていることがわかります。

※以下、いつも通り、読みでは「va」行は「ワ」行で読みます。

1.エーワメーワ(実にまことに)・ウェーダナー(受)
2.サンジュニャー(想)・サンスカーラ(行)
3.ウィジュニャーナーニ(識)

 頭韻、脚韻を取り混ぜた、なかなかすごい音韻です。

 これを漢訳しようとした玄奘法師は、このリズムを何とか漢訳にも活かしたいと思ったのでしょう。

「受・想・行・識」の四語に対応する四語を作り、四語、四語の対句を作ろうと思い、最初の「エーワメーワ(evam eva)=まさにこのように」に「亦復如是(また、またかくの如し)」という訳語を当てました。

 これで四語+四語の・・・

受想行識
亦復如是

・・・が実現されたのです。

 ちなみに僕たちは漢詩というと「五言(一行が五語)」とか「七言」とかをよく知っていますが、「四言」というのは紀元前1,000年くらいの周の時代からの伝統で、現代にまで受け継がれている中国人なら超馴染みのある音律なのです。

 玄奘さん、さすがですね。

 翻訳のときに意味だけではなく、リズムをとても大事にしています。これはほかのところでもそうです。

 というわけで今回は今までの中でもっとも簡単でした~。

 次回に復習をします。


芳一のからだに書かれたのは梵字?

 で、最後に今回の分とは関係のない話をちょっと・・・。

 今週の木曜日、お盆の真っ最中の8月14日(金)に、凱風館で『耳なし芳一(小泉八雲)』を、浪曲の玉川奈々福さんたちと語ります。

『耳なし芳一』では、芳一のからだ中にお経を書くと、なんとその姿が見えなくなるというお話になっています(耳だけ書き残してしまったのはご存知の通り)。

 で、芳一のからだに書いたそのお経が『般若心経』なのです。

『般若心経』を書くとなぜ姿が見えなくなるのか。それを小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は・・・

このお経は「色即是空」のお経。すなわち存在(色)が「空」になるお経だからだといいます。

「なるほど!」

 ちょっと単純すぎる論理だけれども、日本人にはなかなか気づけないことかも。

 ちなみにラフカディオ・ハーンが引用しているのはマックス・ミュラー版の『般若心経』。そしてミュラーのそれはサンスクリット語版からの英訳なのです。

・・・となると芳一のからだに書かれたのは漢字ではなく梵字の般若心経だったのかも。

 それは、それで怖いですね。


朗誦もどうぞ~

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安田登(やすだ・のぼる)

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、麻雀とポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。高校教師をしていた25歳のときに能に出会い、鏑木岑男師に弟子入り。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を東京(広尾)を中心に全国各地で開催す る。また、公認ロルファー(米国のボディワーク、ロルフィングの専門家)として各種ワークショップも開催している。著書に『能に学ぶ「和」の呼吸法』(祥伝社)、『身体感覚で「論語」を読みなおす。』(春秋社)、『異界を旅する 能  ワキという存在』(ちくま文庫)『本当はこんなに面白い「おくのほそ道」』(実業之日本社)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。

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