へなちょこ古代史研究会

第8回 蘇我は天皇だったのか?!――その壱の巻 高瀬レポート③

2012.02.08更新

「蘇我は『天皇』だった!」。

前回のレポートで、そう書いた。言ったのは私、ではない。作家、坂口安吾である。
自称「歴史探偵」。探偵というのがいい。「非専門家のお気楽さで大胆に推理するからね」みたいなニュアンスがどこかに含まれていて、「へなちょこ」と相通ずるものがありそうだからだ。というと安吾さんに失礼かな。ともあれ、安吾探偵は大胆な物言いをしている。ちょっとドキリとする。だが、本気なのだ。

その話に行く前に、なぜ、私がこのクーデターの話から話を始めたかについて、少し触れておきたい。
それは、古代世界への入り口として、これ以上ない、興味を引くできごとだからである。

舞台は、明日香(飛鳥)。「大和は国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和し美し(うるはし)」。ヤマトに大きな勢力はあるものの、まだ日本という国の呼び名も定まっていたかどうか怪しげな、日本史のあさぼらけ。万葉集の時代とも重なる時代。多くの人が、その風土、景観とともに、どこかしら懐かしさを覚えるに違いない。だが、その頃のことを調べるほど、古代ロマンを感じさせるイメージからはどんどん遠ざかる。むしろ、そこは血ぬられた、謀殺に次ぐ謀殺と権力闘争渦巻く政治の都。その中心に猛々しく君臨していた「王家」がいた。蘇我一族だった。

そもそも、歴史探偵・安吾が「天皇」とまで言い切った蘇我とはいったい何者だったのだろうか。
歴史はどうも苦手だったという人も、蘇我と言う名前ぐらいは、どこか頭の片隅に残っているだろう。それぐらい、この一族の名は知られている。
前回、伝飛鳥板蓋宮の話を少し書いたが、あそこで殺害されたとされる入鹿(いるか)は蘇我本宗家最後の権力者だ。父親は蝦夷(えみし)。その父親は馬子(うまこ)。そのまた親が稲目(いなめ)。つまり稲目から馬子→蝦夷→入鹿と4代。これを覚えておけばいい。 
だが、この蘇我本宗家のイメージはあまり芳しくない。ヒール(悪役)の雰囲気を纏っている。逆賊的でもある。権力をほしいままにし、横暴を極めた感じと言えばいいか。
この蘇我家が権勢を誇ったのは、6世紀初頭から7世紀半ば。その間に、聖徳太子こと、厩戸皇子(うまやどのみこ)のいた時代がすっぽりと入る。

第8回へなちょこ古代史研究会

入鹿の首塚

明日香を中心としたヤマトに根を張り、わが世の春を謳歌したこの蘇我一族の時代を、バッサリと後ろから切りつけ、断ち切ったのがこのクーデターである。そこに、物陰から首だけ出し、ぬかりのない目でシナリオを描き続けた首謀者がいる。こんなサスペンスに満ちた話に心惹かれるなと言う方が無理なのである。

この大事件の扉を開けて、どれどれどんなものか、半分怖いもの見たさで古代世界の闇に入り込もう。そして、ともかく手に触れたものを手掛かりに、芋づるのように引っ張り上げることで、手繰り寄せられたものから立ち上る日本の曙の時代、古代のむせかえる香りを嗅いでみたい。それが私のロマンなのである。

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『飛鳥歴史散歩――袖吹きかえす古代の風』(寺尾勇、創元社)

さて、「蘇我天皇」とまで後の世の作家に推測させてしまう蘇我の隆盛を築いたのは馬子である。馬子については、いろいろな言い方が為されるが、このあいだふと、本棚にあった『飛鳥歴史散歩』(寺尾勇)という、一見お気楽そうな題名の本をパラパラとめくっていたらこんな文章に出くわした。

「馬子をかりに大悪人と断定しても、その悪は、足利尊氏や道鏡などと同様に、ある偏向した立場に固執して、単純な史実の価値の判別表をこしらえ、ここから悪人だと明示できるものではない。また、日本人の道徳感覚の御家芸の勧善懲悪のわかりよさにも属しえない。馬子には複雑怪奇な捉えようのない不思議なぬるぬるした魅力さえある」。    

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山口ミルコ、高瀬毅、萱原正嗣というフリーライター三人衆+ミシマ社京都・城陽オフィス窪田

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