へなちょこ古代史研究会

第9回 「正しさ」と「オス」の悲しい関係 かやはらレポート③

2012.02.22更新

「正史」、というのはどうも苦手だ。教科書の歴史も、やはり同じように得意ではない。

それは、ストーリーが感じられなくて退屈だ、というだけではなく、やれ誰が誰を殺したとか、やれ誰と誰が戦争をしたとか、どうにも血生臭い。
学校でおとなたちは、「人の生命を大切にしましょう」と、朝礼や道徳の時間に隙を見つけて御託宣のようにのたまわっておきながら、社会の時間になると、その同じ口で、血生臭い話を平然とどころか、さぞありがたい話であるかのように披露してくれる。その矛盾をどう理解すればいいのか、子ども心におおいに迷った。

などとあまり言い過ぎると、蘇我氏暗殺秘話について熱く語る高瀬タイチョー(僕のなかでは高瀬さんがタイチョーです)にあわせる顔がないのですが、それはともかく、子どもながらに辿り着いた結論は、おとなは嘘つきだ、というところだったし、社会は矛盾に満ちている、という思いだった。

自分が「おとな」になってからも、その傾向は変わらない。
そもそも、「正」という字を含んでいるところからして胡散臭い。
「正しさ」を振りかざす人びとが正しかった例などかつてないと思っている身としては、「正史なぞ、そのまま信じてなるものか」と斜めに構えて、そこから外れた、もしくはこぼれたものにこそ、ロマンや真実の香りを感じ取りたくなってしまう。

第9回へなちょこ古代史研究会

『愛とまぐはひの古事記』(大塚ひかり、ちくま文庫)

エッセイストの大塚ひかりさんが書いた『愛とまぐはひの古事記』(ちくま文庫)は、その愛らしいタイトルとカバーが、ひねた僕の心を鷲掴みにギュンと捕えた。「タイトル&ジャケ買い」である。

著者の大塚さんは、中学生のころから日本の古典をマンガのごとく読みこなしてきたという。なかでも『源氏物語』を愛読してきたようで、それにまつわる著書も多い。
その大塚さんが、歯科治療をきっかけに神経症になった。すると、かほど読みなれた『源氏物語』を読むのが苦痛になる。そんなとき、大塚さんの心を癒したのが、『古事記』だった。

『源氏物語』は、性愛がメインテーマに描いていながら、物語のなかでは性愛への嫌悪感が漂っている。平安貴族の神経質で頭でっかちの恋愛劇は、神経症で苦しむ大塚さん自身の鏡写しのように見えたのが苦しみの原因だった。
一方の『古事記』は、物語(?)のなかで性愛の重さをきちんと描き、生の根本を肯定している。だから、読むと自分を肯定でき、「生きる力」が湧いてくるという。

要するに、『愛とまぐはひの古事記』のテーマは古事記の「性愛」だ。女性から見た「性」の視点で『古事記』を読み解いていく。
神代の世界は、なんと奔放な愛と破天荒な物語で溢れていることよ。

その一端を、目次から味わっていただくと、

1.まぐはひで生まれた国
2.禁断の姉弟婚――アマテラスとスサノヲ
3.裸踊りで引きこもりを癒す――ウズメと猿田彦
4.女から誘うエロい歌――大国主神と女たち
5.まぐはひのご利益――イハナガ姫とサクヤ姫
6.日本古典「最恐」の呪い――海幸彦・山幸彦
7.大便美女のエクスタシー――神武天皇の皇后ホトタタラの母
8.大人のカラダになるということ――ホムチワケ
9.倭建命のエロス――倭建命
10.まぐはひ男女同盟――神功皇后
11.「恋の特権階級」に嫉妬した天皇――仁徳天皇
12.待ちすぎた女――雄略天皇と赤猪子

こんな感じである。

『古事記』で「生きる力」を得た著者のパワーに圧倒され、「性」で読み解く『古事記』の大胆な解釈に感嘆させられるばかりであった。

この本でもうひとつ驚いたのは、解説を、富野由悠季氏が書かれていたことだ。
富野氏と言えば、1970年代生まれの少年のバイブルとも言える「ガンダム」の産みの親だ。
その富野氏がなぜ、古事記本の解説なのかは定かではないものの、「男は女に生かされて(イクイクのイクもかける)いる」、「女があればこその男だ」と書かれているのが印象的だった。

この言葉から思い出したのは、前回に引き続いて登場の、福岡伸一先生の『できそこないの男たち』(光文社新書)であった。
福岡先生曰く、生命の基本仕様はメスであって、オスは、そのなかで貧乏くじを引いてカスタムされた存在であって、メス(母)の遺伝子を他のメスに橋渡しする「使い走り」に過ぎないということだ。

確か、僕がまだ京都でのんびり大学生をしていた1990年代の終わりに、女系天皇の是非を巡る議論がマスコミを賑わせた(記憶違いだったらごめんなさい)。
――「万世一系」、男系の血筋を脈々と受け継いできた日本の天皇制の歴史のなかで、近年は皇室に男子の出生が少なく、将来的に皇統の断絶が危惧されている。皇位継承の原則を改め、父が皇統に属さなくとも、母が皇統に属していれば、その子の皇位継承権を認めるかべきではないか――
女系天皇容認派がこう主張する一方で、反対派は、あくまで男系の血筋にこだわっていた。

酒の席だか何の席だか覚えていないが、ゼミの友人のT君と、このときの議論が話題になった。
僕「男系派は、どうして男子の血筋にこだわるんかな?」
T君「そんなん簡単やわ。神武の"Y"を継承せなあかんからやで」

なるほど!
目から鱗が落ちるとはまさにこのことと言わんばかりに、このとき、僕の曇っていた視界は一挙に開けた。壬申の乱とか、南北朝時代の争乱とか、万世一系そのものに疑義があるという見方はいったんさておいて、神武天皇の「Y染色体」の継承こそが、「正統」な天皇の証という視点は、僕にとっては斬新だった。

ところが・・・、である。
後生大事にしてきたY染色体が、生物学の見地からは、貧乏くじを引いた悲しいメスの慣れの果てであったとは・・・。

もうひとつ、オスとメスにまつわる興味深いお話を。

スズメバチやミツバチの群れにいるのは、ほとんどがメスだ。女王バチがメスなのは当然として、働きバチもメスなのですよ。女王バチと働きバチを分かつのは、働きバチが、女王バチのフェロモンによって生殖能力を抑制されていることによる。

となると、ハチのオスは、どこにいるか?

オスは、繁殖期のときにだけ生まれてくる。それも、受精卵ではなく無精卵からだ。
受精卵から生まれるメスは、父と母からそれぞれ受け継いだ1対の遺伝情報を持っている。一方、無精卵から生まれるオスは、母が持つ1対の遺伝情報の片割れだけを持って生まれてくる。

ハチのオスは、まさに生殖のためだけに、できそこないの卵から生まれくる――。
門外漢の邪推とはいえ、福岡先生の真意から、何もそう外れたものでもありますまい。

余談ながら、ハチの生態を考慮すると、かの感動的な『みなしごハッチ』も、『みつばちマーヤの冒険』も、設定には無理があるということになる。Wikipediaによれば、ハッチはオスで、マーヤはメスだが、オスのウィリーと行動を共にしている。生殖のためだけに生まれたオスが、日がな動きまわるということも、メスの働きバチと交流するということもありえない。知ってしまうと素直に感動できなくなるのは、こちらがあまりにひねすぎているからか......。

ちなみに、ハチの生態に興味が湧いた人は、『風の中のマリア』(百田尚樹著)、『ハチはなぜ大量死したのか』(ローワン・ジェイコブセン著)がオススメです。前者は、100万部超えの感動の名作『永遠の0』を生み出した百田さんの渾身の書、後者は、福岡先生が解説を書かれています。

って、あれ? このコーナー、古代史がテーマのはずなんだけどな・・・。

福岡先生の言うように、生命の「正しい」姿は、きっとメスであるに違いない。そのことを本能的に知っているオスたちは、自らの不完全性を補う、というよりもむしろ隠すために、ことあるごとに「正しさ」を振りかざそうとするのではなかろうか。

ああ、悲しきオスたちよ・・・。われら、いかに生くべきか・・・。

ちなみに、僕の名前には、「正」の字が入っている。
「正しさ」を図らずも身に纏ってしまっている悲しいオスの言うことなんぞ、やっぱりどこか胡散臭く聞こえてしまうに違いない。

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山口ミルコ、高瀬毅、萱原正嗣というフリーライター三人衆+ミシマ社京都・城陽オフィス窪田

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