へなちょこ古代史研究会

へなちょこ古代史研究会新メンバーのミシマ社・三島が新連載をこちらで始めます。
今回は第一回です。
「平城と平安のあいだ」
どこまでつづくかわかりませんが、どうぞおつきあいくださいませ。

(文:三島邦弘)

第15回 平城と平安のあいだ(1)

2012.05.30更新

網野善彦さんは、名著『日本の歴史をよみなおす』の「はじめに」で書いている。

月刊城陽 第15回 平城と平安のあいだ(1)

『日本の歴史をよみなおす』(網野善彦、筑摩書房)

「私は日本の社会と自然とのかかわり方が、いろいろな意味で現在大きく変化しつつあるということを、否応なしに思い知らされました」

これは、 40年くらい年齢の離れた短大生を教えていた網野さんが抱いた実感である。
「苗代」と言っても、誰も知らない。「五徳」も知らない。「牛や馬が働いている姿も彼らはまったく見たことがない」。
いってしまえば、氏は慨嘆しているわけだ。
「私どもが若かった戦後のある時期ぐらいまでは、なんの不思議もなく普通の常識であったことが、ほとんど通用しなくなった」と。
もっとも、網野氏は、この事態をただ嘆いているわけではない。
「この変化の意味を、われわれはもっと深く考えてみる必要がある」
氏はこのように指摘もしている。

つまり――。
わずか40年の違いで、これほど常識が共有されなくなった、まして、時代の流れのとらえ方が根本から変化していてもなんら不思議ではなかろう。
もっと大胆にいえば、こう言っているように受け取れなくもない。
「あなたが見ている歴史は、ほんとうの歴史ではないんだよ」

私はこの「はじめに」を読んで、はっと目が覚める思いがした。
自分の脳がずいぶん「よごれちまっ」てることにはたと気づいた。

このひと月ほど私の脳裏を覆っていた不可解。
その不可解が解かれたわけではない。むしろ、その謎は深まったともいえる。
ただし、不可解を覆っていたものはなくなった。
固定観念や先入観、もしくは常識と信じて疑わない「覆い」が、ぱっと、どこかへ消え去った。

そうしてまっさらとなった曇りなき眼で、もう一度、私は眺めることにした。

そう、あのネギの植えられた古墳群を。


その名を車塚古墳という。
京都府は城陽市にあり、この地に点在する古墳塚のひとつである。
ミシマ社城陽オフィス(「ミシマ社の本屋さん」)とは目と鼻の先のところに位置する。
当然、ここに来た早い段階で、その名を耳にした。
なにせ、ある地元民に、ここまで言われたのだから。
「日本最古の古墳やで~」

だが、私はつい最近までその古墳塚に足を運ぶことはなかった。
むろん、運びたくなかったわけではない。
逆だ。
とても見たかった。
日本最古の古墳を、ひとめでいい、早く見たいと思いつづけてきた。

そう思いつづけるうちに一年が経過した。
東京・自由が丘からの月に何度かの「通い」とはいえ、この一年間で、何度この前を通っただろう。
にもかかわらず、私はただの一度として、それが古墳だと認識できずにいた。
いや、認識できなかったどころではない。古墳かも、という可能性が私の脳内でかすりともよぎらなかった。

結果、その地を一度も訪れることなく一年が経過したわけだ。

つい数週間前のことだ。
急にその場所が見つかったのだ。

会社の前の道をまっすぐいくと、交差点を過ぎた左手に住宅地、右手に柵がしてある場所がしばらくつづく。その柵の仕切りの向こうには木々がうっそうと茂っている。

森かな?

と思っていた。なんとなく。
ところが、そこが古墳だったのだ!?
たしかに、大きな看板が柵の向こう側に掲げられていた。

月刊城陽 第15回 平城と平安のあいだ(1)

しかも、よくみれば「見学入口」の表示板まで柵についているではないか。

な、なんと。

盲点、死角、とはこういうことを指すのだろう。
いや、正確には私のなかの先入観がわが目を曇らせていたのだ。

古墳とは石舞台古墳のようなものをさす。
ましてや、民家のあいだに突如、「森」然として存在するものではない。

こうした先入観が、「そこに」見えているはずのものさえ見えなくさせていた。

恐ろしいことだ・・・。

ともあれ、こうして、一年がかりでようやく、目と鼻の先にある古墳に私は辿りついた。

で、私は目にしてしまう。
古墳を囲う柵にそって、ネギが見事なまでにまっすぐ植えられているのを。

月刊城陽 第15回 平城と平安のあいだ(1)

おいおい、古墳にネギかよ。

今度の今度こそ、私は自分の先入観のほうが正しいと思った。
さすがに、古墳の横にネギを植えるのはまずい。
しかも、日本最古の古墳だろう・・・と。

これが先に述べた「不可解」なるものの正体だ。
私は、ネギと古墳を結びつけて考えることがどうしてもできないでいた。
だが、私の常識が揺さぶられたのは、これだけではなかった。
正直、その後に私が目にした光景は、ネギなど完全にかすませてしまった。

日本最古と呼ぶ人もいる古墳塚の敷地に入って私が見たもの。
それをどのように自分のなかで処理すればいいだろうか。

柵の入り口からなかに入る。
足場の悪い草地がつづく。
やや小高くなった草地を、なんとか滑らずにのぼっていく。
この先に、今度の今度こそ、「古墳」的なものがあるにちがいない。
そんな期待に胸を膨らませ、私は歩きにくい草地を歩いてのぼった。
そうして、私は見た。

いくつもの野菜が栽培されている畑とバスケットボールが、その一角を占有しているのを。

第15回 平城と平安のあいだ(1)

もちろん、柵のなかの光景である。
「古墳」と謳われた敷地の一角の光景なのである。

この絵を前にして、不可解なるものに私が苛まれたとして、無理ないのではないだろうか。

それが、冒頭の網野氏の言葉に出会うことで、自分の誤りにはたと気づいたわけだ。
古墳にネギ。
古墳のなかに畑。
古墳のなかにバスケットゴール。

うん、いいじゃないか。
これがおかしい、いかん、と感じるのも、しょせん、現代人である私のゆがんだ先入観に過ぎないのだ。

曇りなき眼で見ればはっかりわかる。

元来、古墳とは「こういう」ものなのだ!


(つづく・・・予定です)

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