へなちょこ古代史研究会

第16回 蘇我は天皇だったのか?!――脱線の巻 高瀬レポート⑤

2012.06.13更新

第16回 蘇我は天皇だったのか?!――脱線の巻 高瀬レポート⑤

坂口安吾執筆風景
『日本の写真家 25 林忠彦』(撮影:林忠彦、岩波書店)表紙より。こちらをクリックすると、拡大表示します

原稿用紙で原稿を書いていた時代(まあ、だいたい昭和の時代なのだが)、書き損じたり、書き直したりするたびに、ゴミ箱に原稿を丸めては投げ込んでいた。

ワープロが登場し、その後パソコンで原稿を書くようになってからは、書き直すたび「上書き」ボタンをピコっとクリックするだけになった。この原稿も、書いては消し、書いては修正し、その度に、ワ―ドで「上書き」する。書き直される以前の文章のことなどいちいち覚えてはいない。より完成度の高い文章にするために、ひたすら「上書き」を繰り返していくだけである。

この「上書き」。実は、歴史では、昔から行われていたのではないのか。というより、歴史はつねに上書きされていると言った方がいいだろうか。「上書き」するのは誰なのだろうか。と言えば、それは勝者であり、後から来たものだ。

この「へなちょこ古代史研究会」で、私が坂口安吾の歴史探偵の話から始めたのは、実は、安吾が歴史の「上書き」を看破ろうとする意図を持っている作家だと感じたからだ。それどころか、「下書き」を表にひっぱりだそうという「やんちゃ」っぷりに、興味を惹かれたからである。

蘇我は「天皇」だったのではないか。この不遜ともいうべき問いかけこそ、歴史探偵・安吾の、歴史の「上書き」への挑戦であり、反骨の真骨頂だと私は見ている。安吾は、歴史上なんとなく悪役のイメージが定着している蘇我を「上書き」された歴史として見ていたのだと思う。それを読み解くための資料のひとつが、前回のレポートで少し触れた『上宮聖徳法王帝説』である。じゃじゃーん!!

で、今回、安吾がこの古い書物をどう読み解こうとしているのか、そこから何を見ようとしているのかを書こうと思った。が、その前に、ちょっと面白い逸話を思い出したので、今回は横道に逸れてみたい。よくいたでしょう、授業で歴史の話をしているうちにどんどん脱線し、そのまま終わる先生が。ものすごく好きだったなあ、糸の切れた凧みたいな授業。。。

第16回 蘇我は天皇だったのか?!――脱線の巻 高瀬レポート⑤

『昭和史』(半藤一利、平凡社)

さて、その安吾の逸話とは――。
それを語るのにふさわしい人がいる。それは、ロングセラー『昭和史』を始め、数々の歴史物や永井荷風、夏目漱石などの人物ノンフィクションでも知られる、作家の半藤一利さんだ。
半藤さんは大学を卒業後、文藝春秋に入社、編集記者となった。入社して1週間ぐらいたった頃、上司から「坂口安吾先生のお宅に行って、原稿をもらってこい」と言われた。時代ですね。「原稿をもらってこい」なんて。

当時、安吾は群馬県桐生市に住んでいて、半藤さんは、往復の電車賃を懐に上野発の電車で向かったのだった。桐生の安吾宅を訪れた半藤さんが、「先生、原稿を頂きに上がりました」と言うと、「お、そうか。ま、上がんなさい」「はい、先生、原稿をいただけますでしょうか」「うん、まだできとらんよ」「・・・」。

それから始まった酒盛り。気分が変わると安吾から映画に連れ出された。帰ってくるとまた酒盛り。半藤さんは、幸か不幸か酒が強い。気を良くした安吾はいつまでたっても原稿を書かない。そのかわり聞かされたのが、歴史をどう見るかという講釈の数々だった。

「いいか、歴史というのは、資料を鵜呑みにしてはいけない。行間を推理していくものだ」

書かれていないことにこそ、歴史の真実が潜んでいると言わんばかりの話。もっと言うなら、消されたことに真実が宿るとでもいうのか。眼光紙背に徹すという言葉があるが、敗戦で180度価値観がひっくり返り、国家に裏切られたなかで、「人間は生き、人間は堕ちる」と『堕落論』で書いた安吾の、歴史観の表れでもあったのかもしれない。

ともかく、半藤さんは1週間、安吾の家で酒を飲みつつ安吾先生の持論を聞かされた(うらやましい!)。これが、のちに歴史作家として名を成す基礎となったと、半藤さんから直接うかがったことがある。

第16回 蘇我は天皇だったのか?!――脱線の巻 高瀬レポート⑤

『堕落論』(坂口安吾、角川文庫)

安吾は『堕落論』の一節にこう書いている。

「藤原氏の昔から、最も天皇を冒涜する者が最も天皇を崇拝していた」

藤原氏。その祖は中臣鎌足(のちに藤原鎌足)。そう、蘇我入鹿を惨殺し、蝦夷を自害に追い込んだ「乙巳の変」(いっしのへん)を仕掛け、大化の改新として、時代を大きく回天させた歴史のプロデューサーである。
この鎌足と、そこから始まる藤原一門こそ、まさに蘇我の時代を「上書き」によって書き換えた「勝者」ではなかったのか。ただ、その話へ行く前に、必ずや踏まえねばならぬ歴史がある。それが、蘇我家滅亡と、蘇我「天皇」の幻である。
次回は、本論へ戻ろう。テキスト・クリティークもたまにはよかろうよ。

あ、そうそう、半藤さんのこと、結末を言うのを忘れていた。1週間経っても音沙汰もなく、帰ってこないことに、半藤さんのご母堂、さすがに心配になって文春本社を訪ねたらしい。
「あのう、うちの一利はどこに行ったのでしょうか?」
訪問を受けた文春の上司は、
「おっ、半藤?? あ、忘れてた!」
なんとまあ、牧歌的時代であったことか!
昭和28年(1953)、春のことである。

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山口ミルコ、高瀬毅、萱原正嗣というフリーライター三人衆+ミシマ社京都・城陽オフィス窪田+三島邦弘

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