へなちょこ古代史研究会

第19回 蘇我は天皇だったのか?!――その参の巻 高瀬レポート⑥

2012.07.18更新

さて、きょうは前回の約束通り、『上宮聖徳法王帝説』について触れることにしよう。

この本、タイトルがちょっといかめしいのだが、中身は聖徳太子の、現存する最古の「伝記」。『日本書紀』や『古事記』とは異なる伝承もあるとされていて、研究者には貴重な資料だという。
作者は不詳とされ、複数の人間によって「書き継がれ」「書き加えられ」「書き換えられた」もののようだ。

内容は、もちろん聖徳太子のことが中心なのだが、興味深いのは、蘇我蝦夷、入鹿の親子について書かれた箇所に、□□の空欄が何か所かあることだ。

空欄が2個の場合もあれば、3個の所もある。虫食い? とはほぼ100%考えられない。誰かが削除した可能性が高いのだ。ページをめくれば、いきなり臭う!

たとえばーー。

① 「□□□天皇御世乙巳六月十一日、近江天皇、林太郎□□ヲ殺シ、明日ヲ以て其ノ父豊浦大臣子孫等皆之を滅す」。
 
1行目の「天皇御世」というのは、□□□天皇の時代という意味。そのあとにすぐ「乙巳」と来ているので、これは、あの蘇我入鹿が殺された「乙巳の変」のあった年というのがわかる。そのあと「林太郎□□ヲ殺シ」という所の、「林太郎」(はやしたろう、と読む)というのは蘇我入鹿のことだ。それは、他の文章でわかるようになっている。

さて、1行目の□□□天皇御世の空欄に何が入るのかだ。「乙巳の変」の時は、皇極天皇という女性天皇だったので、本来は「皇極」と入らなければならない。しかし、空欄は3つ。一字余る・・・。ムム。

その答えはひとまず置いて次の空欄に行ってみよう。こんな文章が続く。

② 「近江天皇、殺於林太郎□□。以明日、其父豊浦大臣子孫等皆滅之」

近江天皇というのは、近江に都をつくった天智天皇のこと。乙巳の変の首謀者のひとり、中大兄皇子のことだ。

これを読むと、林太郎=入鹿を殺し、翌日、豊浦大臣の子孫等を皆殺しにしたということが記してある。豊浦とは蘇我のこと。豊浦の大臣とは、当時入鹿の父である蝦夷である。つまり、ここには、中大兄皇子が、蘇我家を滅ぼしたことが書いてあるのだ。

ちなみに、近江天皇というのは、言い方としておかしい。この時点で蘇我家を滅ぼしたのは中大兄皇子であり、蘇我家を滅亡させたのち、天智天皇となるからで、時系列としてみればまちがいだからだ。でも、この本には、そんなところがしばしばあるので、「気にしない、気にしない」と坂口安吾は、笑いとばしていている。寛容、鷹揚です。

もう一箇所。これは少し前のページだが、こう書いてある。

③ 「飛鳥天皇御世癸卯年」のこと、「大臣兒、入鹿臣□□林太郎」。

ちなみに飛鳥天皇というのは、歴史的にはそう呼ばないで、系譜では、皇極天皇のことだ。はい、①で出てきた有名な女帝である。

この本の面白いところは、歴史上の正当な呼び方ではない名前で、○○天皇と書いていることだ。さきほどの近江天皇もそうである。なにか、ローカルっぽくて、地名を冠しているところが、地方豪族っぽくもある。

「皇極」だの「天智」だのという呼び名は、そこに権威やら観念やら精神性やらが含まれているのに対し、飛鳥や近江というのは、具体的な土地の呼称である。この違いが実に興味深い。天皇と人民の距離が近い感じもする。しかし、のちに日本書紀が編纂され、天皇の系譜がしっかりと位置付けられてからは、皇極、天智というのが正しい天皇名とされている。この違いはなんだろうか。

それはともかく、□□、□□□に何が入るのか。これはもう、推理しかないのだが、安吾は、空欄に「天皇」なり「皇太子」なりが入っていたのではないかという。つまり、入鹿は事実上の天皇か皇太子だったのではないかということを言っているのだ。

安吾の説を①に当てはめてみると、空欄は2カ所。天皇の「前」に3文字。林太郎の「後ろ」に2文字。仮に天皇の「前」に「林太郎」と3文字入れてみる。次に林太郎の「後ろ」に「天皇」と入れてみよう。

と、フムフム。「『林太郎』天皇御世乙巳年六月十一日、近江天皇、殺於林太郎『天皇』」となる。ハマるね。フム。いいの? 少し腰が引けそうになるが・・・。

① も、林太郎の「後ろ」に2文字。天皇と入れれば、 
ハマることはハマる。
② は。入鹿臣『天皇』林太郎となる。ウ~ム。

どうですかね。私には、判断を下せないが、面白いことは確か。□□に蘇我という2文字入れることも考えてみたが、①の場合、林太郎『蘇我』はありうるが、ファーストネームとファミリーネームみたいだ。冒頭の文字空欄は、そのあと天皇だから、そうすると「『蘇我』□天皇~」となり、文字数が合わない。

なぜ、入鹿が天皇か皇太子だったのではないかと安吾は考えたのか。ここで細かく説明できないが、それぐらい非常に大きな権勢を誇っていたことは間違いないことのようだ。ある研究者は、明日香という土地のどこに何があり、何が建てられていたのかをつぶさに見れば読みとれるという。

次回は、地図から蘇我の権力を見てみたい。そこに浮かびあがるのは、「蘇我王朝」の姿、か。

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山口ミルコ、高瀬毅、萱原正嗣というフリーライター三人衆+ミシマ社京都・城陽オフィス窪田+三島邦弘

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