へなちょこ古代史研究会

どうなることやら、先の見えないままに見切り発車をしたこの連載も、今回でなんと(!)、記念すべき20回目を数えました。その記念を祝して、今回は座談会形式でお届けします。

お題は、『魏志倭人伝』をテーマにした2冊の本です。

・古代史の大家、森浩一氏が80歳を超えて筆をとった『倭人伝を読みなおす』(ちくま新書)
・脳科学という異分野からの古代史への挑戦、中田力氏の『日本古代史を科学する』(PHP新書)

この2冊を題材に、邪馬台国や卑弥呼について、へなちょこメンバーが、あれやこれや自由に繰り広げます。

(文・かやはらまさつぐ)

第20回 魏志倭人伝と卑弥呼をめぐるあれやこれや(前編)

2012.08.02更新

かやはらさっそく始めたいと思いますが、今日はミシマさんは?

ホシノミシマが参加できないので、代わりに私が参加します。さっき言われたばかりで、流れも何もよくわかってないんですが・・・。

かやはらそうでしたか。ようこそ、へなちょこな古代史の世界へ。ということで、ぼちぼち始めましょう。いかがでしたか、今回の2冊は? まずは、森先生の『倭人伝を読みなおす』のご感想から。

『倭人伝を読みなおす』

第20回へなちょこ古代史研究会 『倭人伝を読みなおす』

『倭人伝を読みなおす』(森浩一、ちくま新書)

高瀬じゃあ、僕からいきます。森先生の本は、著者のみずみずしさに打たれましたね。

森先生は、僕が学生のころ(70年代半ば)から古代史の第一線で活躍されていて、いまでは古代史の大家の先生なんですね。その森先生が、80歳を過ぎてまだ活躍されているのが驚きというか嬉しかったですね。この本も、81歳を過ぎて書いたと「はじめに」にあります。

ホシノすごい情熱ですね。

高瀬それも、ただ書いただけじゃなくて、倭人伝を改めて読みなおすことができたのが嬉しいって仰ってるんですね。大家づらして、「こんなものわかってるよ」という感じじゃなくて、改めて気づかれたことをいっぱい書いてあるんです。そこに、森先生の若々しさと、著者としての誠実さを感じました。

ミルコ古代への愛を感じますよね。すごい先生だ。

高瀬中身のことでいうと、「倭人」っていうのは、中国や周辺諸国から見たときの呼び方だったんですね。あくまで外側から見た呼び方で、「倭人」が、自分たちのことをどういう風に呼んでいたのかはよくわからないんですね。その指摘が新鮮でした。

かやはら『魏志倭人伝』は中国の歴史書なわけで、外からの視点で書かれているっていうのは、言われてみると当たり前なんですけど、そういう自覚はあまりなかったことを気づかされました。

それと関連して、日本の歴史の文脈では、「倭人」が書かれているところしかほとんど読まれないけれど、「倭人」の話が、『魏志』全体のなかでどういう文脈にあるかが重要だっていう森先生の指摘も、目からウロコものでした。「倭人」の話は、東アジアについて書いた文脈のなかで出てくるし、『倭人伝』もそういう風に読まなければならないと。

そういう視点は完全に抜けていたので、「なるほど」という感じでした。

高瀬そこがポイントなんだよね。当時の東アジアの関係のなかで、「倭」をとらえなければいけないという視点を与えてくれたのがいいですよね。

このころの歴史は、外側から日本が書かれたことで、日本の記録が残ったということなんですよね。日本史の長い歴史のなかで、最初に出てきた実在の"有名人"が卑弥呼なんです。『古事記』や『日本書紀』に出てくるアマテラスやスサノオは、神話上のもので、実在しているとは言いがたい。

その最初の実在の人物が、中国の歴史書にしっかりと書き留められているのが奇跡的な感じがして、改めて『倭人伝』の重要性を感じましたね。

ミルコそうだよね、奇跡だよね。

高瀬もし、この記録が残っていなかったとすると、日本史のなかで、この辺から間違いないんだろうっていう時代は、だいぶ後になるんです。

200年代半ばに書かれた『倭人伝』の次は、400年代、500年代ぐらいにならないと、ちゃんとした記録がないんです。古代史上では「空白の4世紀」とも言われていて、4世紀はほとんど記録がないからナゾなんですね。闇なんですよ。その空白を、『日本書紀』や『古事記』の神話で埋めているわけです。

だから、『倭人伝』がなかったら、日本の確実な歴史が、200年ぐらい後ろにずれちゃう。ところが、『倭人伝』に邪馬台国や卑弥呼の記録が、ポツンとひとつだけ残っていることで、西暦200年代は確かにこうだったんだということがわかる。改めて『倭人伝』はすごい記録であることを感じましたね。

ミルコなるほど、4世紀は闇なんだね。

高瀬外とのつながりという点では、百余国にわかれている倭の国が、魏だけではなくて、朝鮮半島にある楽浪郡とも外交・交易関係を持っていたことが、『倭人伝』には書かれています。当時から、東シナ海を中心にして、国際的な人の流れがあったことも見えてくるんですね。

これは、テレビで聞いた話ですけど、何で魏が日本にこれだけアプローチをしてきていたのかというと、当時は、魏・呉・蜀の『三国志』の時代で、魏が、呉と蜀を外側から牽制していく狙いがあって、日本にアプローチしてきたということのようなんです。

それと関連して、僕が面白いと思ったのは卑弥呼の死です。この本を読むまでは、てっきり病死かなんかだと思っていましたが、どうやらそうではなさそうだと。

ホシノどういうことですか?

高瀬『倭人伝』では、卑弥呼の死は「卑弥呼以死」と書かれています。この「以て(もって)死す」という言葉は、普通の死を表すものではないということなんですね。

引用すると、「自然死ではない。刑死や賜死・諫死(かんし)・戦死・自死・遭難・殉職・奔命(過労死)・事故死などで、その結果"非業の死を遂げた"ものばかりである」のが、「以て死す」だということです。ちなみに、「賜死」っていうのはよくわからないですが、王から言われて死ぬことなんですかね。要するに、普通の死ではない、と。

ミルコそれは臭いますね(笑)。

高瀬じゃあどういう死だったかというと、魏から圧力をかけられたことが原因で、卑弥呼は死に追い込まれたらしいということなんです。

魏から張政という人が来て、邪馬台国の難升米(なんしょうまい)という人に、卑弥呼に死んでほしいと言ったようなんですね。それで、卑弥呼は死ぬしか道がなかったというようなことを、森先生は書かれています。

とすると、そこまで魏に操られなければいけない関係ってなんだったんだろうと。それ非常に気になるわけです。

ホシノどうしてでしょうか。気になりますね。

高瀬この辺は、わかるようでいまひとつわからない。魏と倭のあいだに、何らかの抜き差しならぬ関係があったというのは推測できるんだけど、それがどういうことなのかよくわからない。

でもこれって、いまの日本がアメリカに何か言われて、「ヘイヘイ」と言いなりになるのと似てません?

ミルコ確かに。オスプレイの話もそうですよね。

高瀬そういう関係に近いものがあったんだろうと思うんですけど、そこまで魏から圧力をかけられなければならない理由がわからない。

ちなみに、卑弥呼は邪馬台国という連合国の、王として君臨しているということではなくて、その連なりのまとめ役のような存在だったみたいなんですね。その卑弥呼が、魏からどうも監視されているというか、相当な上下関係があったということは確からしいと。

それこそ、内田樹さんが言う日本辺境論の世界は、すでにこの時代からあったということだと思います。このときは大陸の方を向いて、一生懸命関係づくりをして自分たちの国を守ろうとしていた気配が、この「以て死す」のなかに見えてくるわけです。

ホシノたった二文字から、辺境論が見えちゃうわけですね。

高瀬そうなんですよ。実際の関係はよく見えないまでも、なるほどという気がしましたね。

あと驚いたのは、女王国では漢字を理解していた節があるということなんです。
魏の皇帝が卑弥呼に宛てて漢文で親書を送っているのが、『倭人伝』には原文のまま掲載されています。ということは、卑弥呼の宮廷にそれを読める人がいたんじゃないかと、森先生は推測しているんですね。

そうすると、漢字が入ってきたのはもっとあと、それから200~300年あとのことじゃないかとされていますが、既にこの時代に、相当なインテリがいたと。書家の石川九楊さんも、卑弥呼の宮廷では中国語が話されていたと書かれていて、200年代に、バイリンガルが既にいたというのを、森先生も指摘されているのが驚きでしたね。

森先生の推測では、どうも紀元0年ごろから、倭人は漢字に親しんでいたんじゃないかということです。庶民の間にも言葉が入っていて、それが万葉集につながっていったんじゃないかと。ここは推測で書かれているので、学術的な説得力はどうなのかわからないですが、早い人は2000年近く前から文字を読んでいたとすると、すごいことだと思いましたね。

ミルコいまの日本人と同じですよね。外国のプレッシャーのなかで政治をやって、漢字を読んで。2000年前もいまも、あんまり変わってないですよね。

高瀬ホントにそうですね。僕は、学生時代から自分なりに古代史の本を読んできたんですが、その経験から言うと、ミルコさんが言うように、古代は、読めば読むほど向こうから近づいてくるんですよ。とんでもなく昔の人だと思っていたら、格好は違うんですけど、ほとんどいまと状況は変わらない。むしろ、国際化については、当時の方がアジアとの関係はうまくいっていたところもあるぐらいですから。それが、古代史から離れられない面白さなんですね。

『日本古代史を科学する』

第20回 へなちょこ古代史研究会 日本古代史を科学する

『日本古代史を科学する』(中田力、PHP新書)

かやはらもう1冊の、中田力氏の『日本古代史を科学する』はいかがですか?

高瀬変わった本ですよね。いろいろ読んでた古代史の本のなかでも、かなり異端ですね。

ミルコ変わってるよね。数式とかグラフとか出てくるもんね。

かやはら僕も、こういう風に歴史を読んだことなかったというか、こういう視点で歴史を見たことがなかったんで、新鮮でした。

僕が面白かったのは、森先生の本もこの本も、なぜ『魏志倭人伝』を読まねばならないか、というところから始めておいて、全然違うところに向かっていくところです。
古代史って自由だな、というか、懐が深いな、と思いましたね。

高瀬この本で一番驚いたのは、邪馬台国は宮崎にあったって断言しているんですよね。まず断定して、そのあとで理由づけるのっていうスタイルにも驚きましたが・・・。

ホシノまさに科学ですね。

高瀬そうなんですよ。でも、宮崎っていうのは、他に僕は見たことはないんですが、可能性としてはありうるのかなと思いました。というのも、天孫降臨の舞台とされる高千穂は、宮崎ですよね。だから、位置的には面白いなと。天孫降臨と邪馬台国、卑弥呼の話はどこかでつながってもおかしくはないなと。

ミルコ宮崎熱いですね。

高瀬実は、森先生も、宮崎について触れられてるんですね。邪馬台国にいたる手前の投馬国の位置がどこにあるかを論じているところで、宮崎の西都原古墳が検討に値すると、森先生が書いているんです。

ちなみに、森先生は邪馬台国九州説で、大和説はないと言っている人です。有明海沿岸、筑後川の辺りであろうと。あの辺りに、「山門」と書いて「ヤマト」と読む「山門郡」があって、そこに邪馬台国があったんだろうと。

さっきの本のなかでも、冒頭で、奈良の纒向(まきむく)遺跡を卑弥呼の宮殿とする説を一蹴されているのも、九州説で育った僕には痛快でした。

余談はさておき、森先生が、宮崎の西都原古墳に言及しているのにはそういう背景があります。他の学者で西都原古墳に注目している人は見たことがないから、森先生すごいと思っていたら、この本の中田さんは、邪馬台国は宮崎にあったっていうから、ダブルで驚きました。説としては面白いと思います。

ミルコそうかぁ、纒向はナシなんだ。

高瀬九州説の人からすれば、ですけどね。
他にもいろいろと変わっていて面白いところがあります。そのひとつが、「宇宙考古学」っていう考え方というか手法なんですね。それ自体は、中野不二男さんっていう科学ジャーナリストが提唱したもので、宇宙から衛星で地形を見て、古代人がどういう道を通って移動したかを推測する方法です。

それを中田さんも引っ張ってきて、邪馬台国へ至るルートを推測しています。九州の唐津辺りから入って、東南の方向へ抜けて、西都原古墳の方へ行ったのではないかと。

かやはらこの辺は、中沢新一先生の『アースダイバー』的な感じがありますよね。川筋を進んだんじゃないかと、ここが平地だからとか。当時の海面が、いまより5mくらい高かったっていうことを考慮しているのも、『アースダイバー』っぽかったですね。

ホシノ古代史もそんな風に見られるんですね。

高瀬もうひとつ興味深かったのは、邪馬台国までの距離の考え方です。
『魏志倭人伝』では、邪馬台国までのルートを、方角と距離で表していますが、そのときの単位は「里」と書かれているんですね。

日本で馴染みのある「里」は、1里=4kmだし、いまの中国では1里=500mらしいんですね。どっちにしても、それを直接当てはめると、邪馬台国は、はるか南の海にあったことになっちゃうんです。

それが、邪馬台国九州説の最大の弱点なんですが、中田さんが他の人の説を引用して言うには、『魏志倭人伝』で出てくる「里」は、僕らが知っている「里」ではないと。

じゃあ何かというと、周王朝で使っていた短い「里」で、この「短里」は、1里が60mだと言うんですね。それをもっともらしく書いてあって、面白いとは思ったんですが、結論ありきのような気もして、ちょっと引っかかるところがありました。

ホシノ古代史って自由なんですね。

高瀬そう、証明できないことだらけだから自由で面白いんだけど、やりすぎると白けちゃうところもあるんだよね。この本では、ちらほらとそういうところがありましたね。

かやはら他には、どの辺が引っかかりましたか?

高瀬一番引っかかったのは、歴代天皇が何年ぐらい皇位についていたのかを、「数理考古学」とやらにもとづいて、式やグラフを使って推測しているところです。
神武~開化(初代~9代)、崇神~仲哀(10代~14代)、応神~武烈(15代~25代)、継体~欽明(26代~29代)とグループに分けて、それぞれの在位はだいたい10年刻みぐらいだったと推測しています。

すると、神武天皇が即位したのは282年になるというんです。これに無理があるというか、強引過ぎる気がしました。

かやはらというのはどういうことでしょうか?

高瀬卑弥呼が活躍したのは3世紀半ば、240年ぐらいです。だから、卑弥呼は神武天皇より前の人だと言うんですね。

中田さんは、おそらく卑弥呼がアマテラスだと見ているんです。『古事記』や『日本書紀』によれば、アマテラスの子孫が神武天皇だから、卑弥呼から神武への流れを示したかったんでしょうけど、神武の即位年が、歴史の「常識」とあまりにも合わないんですよね。

どういうことかというと、昭和15年(1940年)は、皇紀2600年、つまり、神武天皇が即位してから2600年と言われていました。そうすると、神武天皇の即位は、紀元前660年になるんですが、それと全然合わないんですね。

神武天皇そのものが存在が怪しいとか、皇紀2600年もつくられたものだとかいうのもわかるんですが、そのギャップが大きすぎるというか、ギャップに対する説明がないんですよ。それはどうなのって思っちゃいましたね。

ミルコこの本ってエンターテイメントですよね。売れてるんですよね? 図書館で借りて読んだんですけど、結構待ちました。

高瀬タイトル勝ちでしょうね。

ミルコタイトルうまいよね。と、編集者トークですね(笑)。著者の中田さんはどんな方なんでしたっけ?

かやはら脳科学者です。博識な方ですよね。この本の後半で、中国とのつながりについて自説を展開されているところは、あんまり「科学」な感じはしませんでしたが、すごい知識量だなと思いました。

高瀬理科系の人なのに、歴史の知識量もすごいよね。趣味的なところで書いてみたかったんですかね。

ホシノ個人的に古代を愛するがゆえの一冊なんでしょうか。

かやはら「あとがき」には、20歳のころに、『魏志倭人伝』の解釈のおかしさに気づいた云々かんぬんと書いてあります。古代への情熱を長年温めてこられたんですかね。


(後編に続きます!)

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山口ミルコ、高瀬毅、萱原正嗣というフリーライター三人衆+ミシマ社京都・城陽オフィス窪田+三島邦弘

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