へなちょこ古代史研究会

前回紹介した『天平グレート・ジャーニー』(講談社)は、「遣唐使」をテーマにした歴史エンターテインメント小説です。知っているようで実は知らない「遣唐使」が、物語になるとこんなに楽しく読めるなんて・・・。
その感動を胸に、「へなちょこ」メンバー、著者の上野誠先生にお話しを伺ってきました。
上野先生がこの本に込めた思い、個性豊かな登場人物たちが生まれた背景など、たっぷり聞いてきました。

第26回 『天平グレート・ジャーニー』著者、上野先生に聞く(前編)

2013.08.02更新


「遣唐使」を巡る人々の想い

かやはら『天平グレート・ジャーニー』、とても楽しく拝読させていただきました。物語の冒頭、船匠が遣唐使船をつくるための木を伐り、民衆が熱狂的に木を運ぶシーンで一気に引き込まれました。遣唐使は船をつくるところから始まるんだと、その壮大さに物語への期待感が広がっていきました。

上野万葉集では「鳥総立て[とぶさたて]」という表現が出てきます。木を伐ることは生命をいただくこと、そのための儀式です。斧を入れる前にお祈りをして、伐った木々にも祈りを払う。そういう儀礼はいまも脈々と続いていて、その典型が諏訪大社の御柱祭です。巨木を伐り、運ぶために壮大な儀式が執り行われ、大勢の人が熱狂します。

高瀬たしかにそうですね。

上野いまでもああなるわけですから、自分たちの国のエリートを300人単位で運ぶ船をつくる木材となれば、それを知った人たちが熱狂しないはずがありません。伊勢のご遷宮でのお木曳神事もそうですが、スケールの大きな労働をお祭りにするのが、伝統的な日本の人の動かし方です。そのダイナミックなシーンを最初に持ってきたいと思いました。

かやはら先生のご専門は万葉の時代の文学研究ですが、どういうきっかけで「遣唐使」をテーマに小説を書こうと思われたのでしょうか。

上野万葉集の時代は遣唐使の時代、律令国家の時代でもあります。それらは同じ時代のできごとです。そのなかでも、遣唐使は描きたいテーマのひとつでした。
 遣唐使は、言ってみれば「天平ドリーム」です。危険な航海の途上、乗り込んだ船が海の藻屑と消えるリスクもありますが、無事に行って帰ってくれば、大きく出世する可能性もある。だから、中流・下級貴族は昇進を賭け、賄賂を送ってでも遣唐使に選ばれようとするし、反対に、既に地位のある上流貴族は自分が選ばれないように工作する。遣唐使を通じて人間が見えてきます。


史料では描けない物語を描く

上野私がこの本で挑みたかったのは、学術研究では描けないことを描くことです。
 たとえば、平安時代に最後の遣唐使として唐に渡った円仁というお坊さんが、『入唐求法巡礼行記』[にっとうぐほうじゅんれいこうき]という史料を残しています。このなかで、誰かがお腹を壊したと思ったら、驚くほど簡単にそのまま息を引き取っていく様子が淡々と描かれています。現地特有の病原菌に対して免疫がないからです。

かやはら文字通り、危険と隣合わせだったわけですね。

上野けれども、現地で亡くなった人の無念や望郷の思いを、学術論文のなかで取り上げることはありません。史料を読み、自分の胸に去来したものを書けないことに歯痒い思いを抱いていました。
 私が一番強く影響を受けているのは、国文学者の折口信夫です。その折口がこんな言葉を残しています。「史論の効果は、当然具体的に現れて来なければならぬもので、小説か或いは更に進んで劇の形を採らねばならぬと考えます」と。折口自身も、『身毒丸』、『死者の書』という優れた小説を残しています(先ほどの言葉は、『身毒丸』のあとがきに寄せた文章)。折口にあやかるというと不遜な話ですが、私自身も歴史を物語として語ってみたいと思っていたところに、いろいろなご縁で講談社から小説のオファーをいただきました。


帰りたくても帰れない・・・

高瀬登場人物がみないきいきと描かれているのが特に印象的でした。

上野いろいろな人のいろいろな人生を見てきた経験が、物語のそこかしこでいきたのかなと思っています。
 たとえば、旅行先のタイで、無性に日本の味が恋しくなって、ハンバーグとかカレーとか、「日本の洋食」を食べさせてくれるレストランに行ったことがあります。そこのマスターが切々と語るんですよ。「30年日本に帰っていない。本当は帰りたいけど帰れない」と。そこにどういう理由があるのかは知りませんが、聞いているこっちが切なくなるほどの望郷の念を感じました。


留学生、かくありなむ

上野もうひとつ大きいのは、私自身が学生時代に留学生と接した経験でしょうか。
 私は國學院大學の出身で、博士課程まで12年間ずっと寮暮らしをしていました。住んでいたのは、都内の大学の男子学生ならどこでも受け入れる「和敬塾」という目白に今もある学生寮です。村上春樹も一時期住んでいて、『ノルウェイの森』に出てくる「寮」はここをモデルにしていると言われています。

高瀬そうだったんですね。

上野学生時代の後半は、寮で留学生の面倒を見ていました。そんなときに、中国で天安門事件が起こりました(1989年6月4日)。現地の映像を中国人留学生と歓声を上げながら見ていると、戦車が群衆のなかに入っていこうとするところで映像がプツッと切れた。それで熱狂から冷めた留学生たちが、部屋にこもって火が出るように一心不乱に勉強を始めました。政治の季節が終わり、勉強に打ち込むしかなかったんですね。
 そのあとの光景に驚きました。人間って、勉強し過ぎるとこうなるのかと・・・。やっと部屋の外に出てきたと思ったら、ものの1、2分でその場にへたり込んでしまう。何時間も不眠不休で勉強して、血中糖度が下がっていたからだと思います。

かやはらすごいですね。

上野それは、ある意味で留学生の群像です。滝廉太郎も留学先で結核を患って命を落としました。あのときの中国人留学生たちを思い浮かべながら、唐に渡り、現地で命を落とした井真成[せい・しんせい]を描きました。
 当時の日本は弱小国です。貧しい国の留学生ほど勉強するのは、いまも変わりません。国に帰れば歴史を動かすことができるからです。それがモチベーションになって、国が大変なときは若い人が頑張るし、国も若い人に運命を託します。明治の初めに、わずか6歳で岩倉使節団に同行してアメリカ留学を経験し、帰国後津田塾大学をつくった津田梅子は、その最たる例ではないでしょうか。

高瀬その井真成と、彼のライバル吉備真備[きびのまきび]との争いも、人間ドラマですよね。1番はどこまでも世に尊ばれるけれども、2番は3番、4番と同じにしか見られないから、絶対1番になるんだと、井真成が病没したあとに、彼が持っていた書物を自分の手柄として持って帰るなんて・・・。

上野吉備真備は、日本の古代国家で最も重要な遣唐使です。彼が持ってきた典籍や技術、武器が、日本の古代国家を一新しました。後世の平安時代の人も、彼が持ってきた書物で勉強しています。それほどまでに後世に絶大な影響を与えた人物です。
私はエリートが嫌いです。だから、そういう名を残した人物は心の狭い人として描きたかったんです(笑)。


訳ありのエトランゼ(異邦人)たち

上野遣唐使は、唐の最新の知識や技術を持つ人を日本に連れてくる役割もありました。天平の遣唐使も、仏徹[ぶってつ](仏哲とも)、菩提僊那[ぼだいせんな]という後の日本の歴史に名を刻む僧侶を日本に連れ帰りました。仏徹は、雅楽の起源とされる林邑楽(ベトナムの楽舞)の名手で、菩提僊那は東大寺大仏の開眼供養(752年)の導師を務めました。仏徹も開眼供養で舞を披露しています。
 時代を問わず、日本に来て活躍する外国人の人たちはいます。たとえば、ロシア革命を逃れて日本にやってきた白系ロシア人が、東京芸大の基礎を築きピアノを教えたり、関西でモロゾフというお菓子屋さんをつくったりしています。

かやはらそんな背景があったとは知りませんでした。

上野エトランゼ(異邦人)たちは、故郷を離れざるを得なかった何かを抱えています。タイで見つけた「日本の洋食屋」のマスターも、みな「訳あり」で第二の人生を異国で送っています。何もないのに祖国を離れるわけがありません。そういうエトランゼたちの思いも、表現したかったことのひとつです。


遣唐使を実況中継する

かやはらまさに、先生の人生や研究を集大成したような本なんですね。

上野私は職業作家じゃないし、出し惜しみする理由もなければ、そんな技術もないですからね。そもそも、新人作家に書き下ろしでこんな長編小説を書かせるなんて無謀な話ですよ。短編小説も書いたことがないし、これまで書いた学術系の本よりも枚数が多い。
 種明かしをすると、最初は、主人公の平群広成が日本に帰ってきた回想シーンを冒頭に置いて、それから船出につながっていく流れを考えていました。でも、途中でそれは無理だと気がつきました。逆上がりもできないのにムーンサルトをやれと言っているようなものだと。

一同(笑)

上野自分の思い上がりに呆れました。船をつくるところから物語を始めて、無事に帰ってくるところまでを順を追って書けばいいと思い直しました。
 いくつかの書評にもありましたが、要は、「遣唐使の実況中継」なんです。基本は、研究者として史料にもとづき物語を紡ぎ、どうしても史料が埋まらないところだけ話をつくる。そういうスタンスで書き切りました。

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