今月の一冊

第4回 2010年10月(前編)

2010.10.26更新


三島今日はミシマ社の「初デッチ」加藤君が登場です。よろしくお願いします。では、いきましょう。ジャンケンホイ。

「心にしみわたる短編」3つとも心にしみわたりました

1026-1.jpg

『レンブラントの帽子』(バーナード・マラマッド、夏葉社)

渡辺では、本日のトップバッターは私から。今日は『レンブラントの帽子』(バーナード・マラマッド、夏葉社)を持ってきました。
この本は、35年前に集英社さんから刊行されている本なのですが、長いこと絶版になっていたんですね。それを、今回、夏葉社さんがもともとの『レンブラントの帽子』のなかに収録されていた短編(計8つ)から「レンブラントの帽子」「引き出しの中の人間」「わが子に、殺される」の3つを収録して復刊したのがこの本になります。

なぜ、『レンブラントの帽子』を?
「マラマッド、地味な作家だね〜」と、言われることがあります。けれど、そう言われることのほうがまれで、「マラマッド? わからない」と言われることのほうが多いです。
では、なぜ、『レンブラントの帽子』を、刊行したいのか。
時計は、ずいぶん、さかのぼります。
2001年5月に出版された『文学が好き』(荒川洋治 著 旬報社)という本があります。私は、発売間もないころに、このエッセイ集を買い、何度も何度も、読み返していました。
その中のエッセイのひとつに、「21世紀への10冊」というものがあります。荒川洋治が、「21世紀に読み継ぎたい10冊」を選ぶのです。その中の1冊が、『レンブラントの帽子』でした。
「マラマッドやシンガーの短編の世界を知ると、他のあらっぽいものではとても楽しみが得られないと思ってしまう。」(『文学が好き』P200より)
しかし、当時は絶版で(1975年刊行)、いろんな古本屋を探してみても、この本に出会うことができませんでした。
当時は、いまほど、ネット古書店は多くなく、また、当時の私は、ネット古書店よりも、実際に古本屋に足を運ぶことのほうが好きだったのです。
だから、世田谷の古書店で、この本に出会った時は、震えました。本当はこんな本ないのではないか? くらいに思っていましたから。
1975年に集英社から出た『レンブラントの帽子』には、8つの短編が入っています。しかし、多くの短編集がそうであるように、すべてがよいわけではありません。けれど、表題作、「レンブラントの帽子」の良さは格別でした。本当に、胸をうつ。地味で、誰にでもおこる、他愛もない話なのに、心にしみる。
私は、以来ずっと、この短編はもっと読者に知られるべきだと思ってきました。文学ファンにも、文学ファンじゃない人にも。大傑作だと思っています。本当に、もうすぐ出ます。5月14日に取次納品の予定です。どうか、よろしくお願いいたします。  
夏葉日記 2010.05.07(Fri)より)

                       

帯には、「心にしみわたる短編」と書いてあります。普段は文芸書、小説のたぐいはほとんど読まない私なのですが、読んでみて「ああ、こういうのっていいな」と実にしみじみと思えたんですね。3つとも心にしみわたりました。また、本の雰囲気や吉祥寺でひとり出版を頑張っておられる夏葉社さんから出てきた経緯とか、そういう物語を含めて、すごく「ああ、買ってよかったな、読めてよかったな」と思った一冊でした。

三島翻訳:小島信夫というのもびっくりしますね。

渡辺僕は本当に疎くて、「小島信夫さん翻訳」と言われてもピンとこないんですけど、グッとくる人にはそこもグッとくるポイントなんでしょうね。

ストーリーの筋としては、身近な人とのちょっとした出来事だったり、旅行先での出来事だったり、親子の話しだったり、まあ、それぞれに些細なんですけど、それがとてもいいんですね。惹かれます。

木村おもしろそうですね。

大越装丁も和田誠さんだし。いい本は売れる、という見本のような本ですね。

渡辺三省堂書店さんの神保町本店で買ったんですけど、これがまた担当の方の思いが入っているというか、いい場所に山積みになってるんですよ。

木村思わず手に取りたくなるたたずまいの本ですね。別に奇抜なわけではなく本当にきれいなつくりの本。本棚に置いておきたい本ですよね。

三島じゃぁ、これはぜひ皆さん一冊買いましょう。ありがとうございました。

渡辺じゃぁ、第2走者は、営業チーム窪田さん、よろしくお願いします。

言葉にできないくらいすごいと思った一冊です

1026-2.jpg

『リア家の人々』(橋本治、新潮社)

窪田はい。今日は、『リア家の人々』(橋本治、新潮社)を持ってきました。なんて言うんでしょうかね・・・。これはもう僕にとっては荷が重すぎました。

木村ははは(笑)。

窪田えっと・・・。もの言わぬ父と、母を喪った娘たちの遥かなる道のり・・・。
公職追放と復職。妻の死と夫の不実。姉娘の結婚と父への愛憎。燃え盛る学生運動と末娘の恋。ある文部官僚一家の相克を、時代の変転とともに描きだし失われた昭和の家族をよみがえらせる橋本治の「戦後小説」・・・。

三島帯コピーを読んだだけじゃないですか(笑)。

窪田以前「今月の一冊」でご紹介した『巡礼』に続く橋本治さん三部作の最終版と言われる一冊なんですけど、今回の主人公はひとりの官僚です。日露戦争が終結した後の明治41年に生まれ、結婚して3人娘を持った。彼自身は特に軍国主義的でもなくちょっと冷めた目線をもっている普通のイチ官僚なのですが、第2次世界大戦の後に戦犯ということで公職追放されてしまうんです。

それまで、世間の流れにあわせて普通に自分の仕事をこなしていただけの人が、最後の最後になぜか出世して、そしてなぜか責任を背負わされて追放されてしまう。その途中で妻に先立たれてしまう。

三島で、なんなんや?

どう重たいんですか?

窪田いやまぁ・・・「なんなんだこの本は?」と、まさに捉えきれずにいる本なんです。でも、この物語の背景には何かすごいものが流れているような気がするんです。

大越ちょうど今月の「本屋さんと私」で、平川さんが橋本三部作について語ってくれていますね。平川さんが『移行期的混乱』で書こうとしていたことを、橋本さんは見事に小説というかたちで、三部作に描いていたとおっしゃっています。

『リア家の人々』の主人公は、最終的に「リア王」みたいになってしまう内容なんですよね。普通の人が普通に暮らしているうちに、社会から押し出されていく。例えばこの前の『巡礼』だとゴミ屋敷の主人になってしまったり、『橋』では、普通の人が普通に暮らしているうちに犯罪に走ってしまったり。最初はもっと「他のもの」になろうと思っていたのに、なぜか少しずつ歯車が狂っていく人たちを描いていて、それは戦後の日本社会に住む人たちの、ある種の歴史的な「必然の道筋」であると。

三島なるほど。

窪田あと、女性の気持ちが非常に事細かに書かれているのもおもしろかったです。

渡辺それは主人公の奥さんの気持ちですか?

窪田奥さんの心情もそうですが、一番出てくるのは三姉妹の心の描写です。実は、主人公は奥さんが亡くなる寸前に浮気をしてしまうんです。妻がずっと病院にいるときに、ある女性と関係を持ってしまう。

それで、主人公は奥さんの一周忌の日、親戚みんなにむかって、再婚したいと言うんです。でも、娘たちは父親の話を聞いて、どう考えても父親がその再婚相手と関係を持った時期は、母親が入院していた頃と重なっていることに気づくわけです。そして、「その頃お母さんは病院にいたじゃない」と、激烈に父親を嫌悪するようになる。特に、長女と次女の父親に対する憎しみは強い。

ですが、一方で三女はその頃まだ年齢的に小さくて、状況をうまく飲み込めなかった。だからその後、三女は長女と次女に嫌われ孤立する父親を支え続けることになるんですね。逆に三女は姉ふたりのことを嫌いになることもあった。姉たちの気持ちもわかるけど、父を否定しきれないというか。でも、このままずっと父親と一緒にいて「私はどうなっていくんだろう」といった不安もあったり。

そういった、登場人物一人ひとりの心情が見事に描かれています。女の人の心の動きが手に取るようにとわかる。『巡礼』にはそういう部分は描かれていなかったので、おもしろかったです。ぜひみなさんにも読んでください。大越さん、補足ありがとうございました。

では、次は大越さんお願いします。

小説は国境を越える

1026-3.jpg

『時が滲む朝』(楊逸、文藝春秋)

大越私は楊逸さんの、『時が滲む朝』(文藝春秋)です。これは、2年前に中国人の楊逸さんが第139回の芥川賞を受賞した作品なので、ご存知の方も多いと思いますが。
この物語は1970年生まれの梁浩遠(りょう・こうえん)と謝志強(しゃ・しきょう)というふたりの大学生が主人公で、18歳で同じ大学に入るところから話がスタートします。彼らは高校時代からの親友なんですけど、大学でいろいろな学生たちと出会うなかで、「愛国」とか「民主化」といったことを深く考えるようになるんですね。

ちょうどその頃の中国では、民主化運動や学生運動が盛んで、ふたりも「自分たちが国を変えていくんだ」と理想に燃えて一生懸命になっていく。でも、民主化の運動が加熱していった末に、天安門事件が起こる。天安門事件が起きたのは1989年、私が中学生のときでした。当時は本当に大ニュースでしたよね。いまだにあの事件で何人死んだかわからない。

へー。

大越それで、その民主化運動が天安門広場で武力行使によって抑えこまれる。さらにその後、傷害事件などを起こして、ふたりとも大学を退学になってしまうんですね。さんざん苦い思いを味わうことになるんですが、その後、時代は1990年代に移り、主人公も成長し、結婚して来日したりと北京五輪の前夜までの話が描かれていきます。

この本を読んで何を思ったかと一言でいいますと、いま中国との問題が、尖閣諸島などでいろいろ起きていますが、新聞やテレビの報道を見るよりも、この小説を一冊読んだほうが、中国の青年たちの実感がわかるような気がしたということです。

例えば、歌謡曲も禁じられていた当時の中国で、主人公は尾崎豊の「I Love you」やテレサ・テンの甘い歌声に感動するんですね。そういうエピソードが要所要所で描かれていて、彼らも時代に翻弄されながらも頑張って生きている、自分たちと同じ人間なんだなと再認識できる。

単純な感想になりますが、ナショナリスティックな問題が起こったときは、新聞やテレビなどより、相手の国の小説や音楽を聴く方が、相手について理解できるな、と改めて思った次第です。

三島なるほど。これはほんとに現代における必読書ですよね。

大越内田樹先生も、「自分から遠い人が書いた本を読んだ方がいい」とおっしゃっていましたが、やっぱり中国人の本物の国民感情を書ける日本人はいませんからね。

木村そうですよね。

三島日本と中国では、置かれている状況が違いすぎますもんね。
切迫感と一言で言っても、個人的な悩みか、それとも個人の悩みなんかとっぱらって、時代や社会に対する変化に目を向けた切迫感とでは、根本的に違う話になりますからね。

木村そうですよね。

大越では、次の指名は星野さん。

角田さんの位置づけはもう少し見直されていい気がする

1026-4.jpg

『さがしもの』(角田光代、新潮社)

星野はい。私は角田光代さんの『さがしもの』(新潮社)です。
最近、遅ればせながら角田さんの作品をよく読んでいるんです。よく売れているだけに何となく敬遠していたのですが、雑誌などで見かけるエッセイを読むとご本人が飄々として面白そうな方で、どんな小説を書くのかなと思って読みはじめたんです。なんていうんですかね。
角田さんの小説は、すごく淡々としているんです。恋愛のことを描いていても叙情的な感じではなく淡々と描かれているし、伏線がいろいろあって複雑なストーリー展開をするというのでもない。人のなかにあるちょっと変なところ、偏ったところをすごくクールに見ていて、それをさっと小説に写し取っている感じがします。

この『さがしもの』は「本」を題材にした短編集です。ある本を呪われた本だと思い込んでしまった女性の話や、古本屋に自分が売った本と旅先で何度も出会う人の話、子どものころに万引きしてしまった本屋に大人になって謝りに行く話など、モノとしての本と、それを巡る普通の人々のちょっとした心の揺れ動きを題材にした話が収録されています。

三島それおもしろいですね。角田さんは恋愛ものを書く作家として認知されているところが強いですよね。先日、九州出張に行ったとき、ブックスキューブリックのO店長がおっしゃっていたことですが、角田さんは、本当はもう少し時代的なスケールを持って書いているけど、そういう位置づけで評論されることがほぼない。現代というものを彼女なりに映し出している作品はたくさんあるのに、流行の恋愛女性作家の域を超えて評価されないのがもったいない。そういう位置づけとは違うところで評論家や出版にかかわる人たちが評価すれば、男性の読者も増えるはずだ。とおっしゃっていて、僕もほんとにそうだなと思ったんですね。

星野恋愛を扱った長編作品でもあまり恋愛が強調されている感じはしないんですよね。もたれているイメージと違うなと思いました。

三島それはすごく重要な視点だと思いますよ。

『八日目の蝉』(中央公論新社)も平積みされていて気になっている本です。

三島今度映画にもなりますね。

渡辺なるほど。ありがとうございました。

星野では林さん。

より知れば、より深く愛せる(レオナルド・ダ・ヴィンチ)

1026-5.jpg

『絵の話』(伊藤廉、美術出版社)

私は、伊藤廉さんの『絵の話』(美術出版社)を持ってきました。これはいま私が通っているデッサン教室の先生が教えてくれた本なのですが、既に絶版になっていて店頭ではなかなか買えなくなっている本なんですね。それで、仕方なく知り合いに借りて読んでいるんですけど、もう返したくない。

タイトルの通り「絵の話」がされているのですが、セザンヌの絵などに触れながら、絵画の鑑賞の仕方や背景にある構造をやさしく説明してくれています。
例えば、「セザンヌはこの静物画を描くことによって宇宙を表現しようとしていた」という表現をしたりしますが、それってどういうこと? と思います。でも難しい話ではなく、物の描き方として「この部分は白い色をしている。ここは銀色だ。ここは優しい緑色をしている」というように、そこに見える色を埋めていった結果、丸くなってコップのかたちが出てきた、という描き方をしているということなんですね。
セザンヌは「そういう見方をしていたんだ」というのが新鮮でおもしろかったです。

イタリア・ルネッサンス期の壁画を見ても、画家の生い立ちや描かれた時代背景が見えるだけで、一気に見え方が違ってくるのも改めておもしろいなと感じています。何と言いますか、いままで自分が絵を見て感じていた「なんとなく好きだな、嫌いだな」という主観的な判断だけでなく、「なぜこの絵はいい絵なのか」ということを客観的に「この空間があるからいい」「こことここがアンバランスだからいいんだよね」と自分でも整理して言えるようになった。

フランスの画家テオドール・ジェリコー(1791-1824年)の「エプソムの競馬」という絵なんかは、実際、馬が走るときに足が開ききることはないんですけど、より躍動して見えるよう足を開ききって描いている。絵のなかでは、むしろその方が自然に見える。要するに、それが事実と違っていたとしても、目に見えることをそのまま描くのではなくて、感じたまま描くというような視点にも「なるほどな」とうなった次第であります。

すごくおもしろくて何回も読んでいます。しかも、少年向けの新聞で連載されていた内容なので、表現もすごく平易でわかりやすい。先日、竹橋の国立近代美術館の上村松園展に行ってきたんですが、この本を読んだ後は、いままで見えていた世界と違うものが目の前にあるようですごくおもしろかったです。

木村もう返したくないですか?

そう。返したくないです。おもしろくていい本です。類書がないですよね。 復刊してほしいです。

木村すごく基礎的なことが描かれていますからね。

途中、「なぜ、こういった絵の話について知っておいた方がいいのか」という哲学的な話も出てくるんですね。そこで、レオナルド・ダ・ヴィンチの「知ることは愛することだ」という言葉を引用して説明されている。「知ることがひろがれば、一そう、愛することも深くなる」という言葉にも気づかされたことがたくさんあります。すごくよい本だと思いました。これはいい本です。という一冊でした。

木村ありがとうございました。

では、次は木村さん。


(次回に続きます)

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

ミシマガ編集部

バックナンバー