今月の一冊

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第5回 2010年10月(後編)

2010.10.29更新

棚はなぜアフリカへ行ったのか?

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『ピスタチオ』(梨木香歩、筑摩書房)

木村私は梨木香歩さんの新刊『ピスタチオ』(筑摩書房)にしました。もうこれは久しぶりに付箋だだづけです。しかも、一読してすごくおもしろくて、もう一度読んで、またまた超おもしろい! と思ったんですけど、さらにノート書き出している、という感じです。

この「ピスタチオ」という言葉は、最後の最後ですごい感動を呼び寄せるキーワードになっています。

窪田ほぉぉぉ。

木村少しお話しますと、主人公は「棚」というペンネームをつかっているライターの女の子なんです。彼女は独身で、長い間お付き合いしているパートナーはいるけれど結婚はしてなくて、マースという犬を飼っている。いろいろな仕事をしながら出版社でライティングの仕事をしているんですけど、あるときなぜか昔から惹かれていたアフリカへ行くんです。そこらへんから、運命のいたずらといいますか、不思議な符合が起こり始める。

主人公のさまざまな心情の描写や気づきがとても好きだったので少し抜粋しますと、「アフリカにいたあの頃、風に流れる雲が地上のあらゆるものへと同じように自分の上にも影を落とし移動していくのがよくわかった。そしてまた次の雲が通過していくのを。その微妙な温度変化や風の質の変化が草にも土にも自分にもすべて平等に起こっていることに恍惚となり、このまま溶けてしまいそうだと思った瞬間、自分が何かの一部であることがわかった。自分は何か、ではなく、何かの部分なのだと。部分であるからには全体とのバランスの中に生きればいい」。

こういう気づきが既にアフリカであって日本に帰ってくる。
棚さんは、帰国前アフリカである男性と出会っているのですが、ある日、日本でその人の本を何気なく手に取ることになります。しかも、帰国してしばらくして、その男性が謎の死を遂げているということを知る。そして、なぜその男性が死を遂げたのかということを突き詰めていくと、またアフリカにつながっていっていくんです。

いろいろな伏線があって、再度アフリカに行くのですが、最後の方で「なぜ自分がそのように行動していたのか」がわかるんですね。アフリカなんて日本からしたら遠い国ですが、何気なく訪れた先で自分を求めていた女の子と出会うことになる。自分では意識せずに行動し、いろいろなことを選択しながら生きているけれど、そこには何か不思議な縁によって動かされている部分がある。そして、その人の物語を自分も紡いでいく・・・もうとにかく、読んでいて幸せと思いました。小説を読んで久しぶりに広い世界に連れて行ってもらえました。

先ほど『レンブラントの帽子』が本屋さんに並べられるまでには、ひとつの物語があるという話がでましたが、梨木さんのこの本のなかには、ひとりの人間にも死に至るまでの物語、病気になったら病気になったための物語が必要である、ということが書かれています。それが他人であっても気がつかないうちに自らも深くかかわっていることがある。ぜひみなさんに読んでいただきたい一冊です。

加藤この本、表紙が気になって書店で買うか迷った一冊なんですよ。でも、参考書を買おうと思っていて、財布と相談した結果やめにしたんです。

木村そういうのある! でもぜひ読んでください(笑)装丁は鈴木誠一さんなんですよね。

三島 おもしろそうですね。

木村本当に。最後は棚がアフリカから帰ってきて、ある人のために書いた物語、鎮魂としての物語が書かれています。素敵な物語なのでぜひ読んでください。お勧めの一冊です。

では、次は三島さん。

長崎市浦上地区、知られざる切支丹の歴史を読む

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『切支丹の里』(遠藤周作、中公文庫)

三島私は、遠藤周作さんの『切支丹の里』(中公文庫)を持って参りました。これを読んだのは、先日長崎出張に行き、大浦天主堂でスピーカーから流れてくる天主堂についての簡単な説明を聞いたことがきっかけです。

大浦天主堂は長崎市にあるカトリックの教会堂なのですが、そこは250年間神父不在で信仰が続いていたというところなんですね。それって、世界中のキリスト教の歴史のなかでも奇跡と言われていて、そういう例は長崎においてそこしかないそうです。
言われてみれば、江戸時代、キリスト教は禁教で、信者は投獄されたり拷問の対象になっていましたよね。幕府が崩壊しても当然ながら弾圧が続いていたわけです。だから神父がいないのは当たり前なんですけど、その館内放送を聞いて改めて「あ、そうか」と思いました。で、なんでそれが可能だったのか? ということについていろいろ考えを巡らすことになりました。

そのときにひとつ思ったのは、やっぱり当時の宣教師たちが持っていた言葉の力は半端なものではなかったんじゃないかなということです。当然ながらポルトガルからやってきて、過酷な航海中どんどん仲間たちは死んでいった。そもそも当時、船で異国に渡るという時点で決死なわけですよ。世界中に自分たちが信仰している宗教、キリスト教を広めたいんだ。そういう一念でやってきている。言語も当然ながら日本語ではない。けど、そこで信徒を増やし、神父が絶えたとしても250年教会が残っていくような、初期に持っていた言葉の力はたとえ言語が違っていたとしても、日本人に伝わるようなとても強い力を持っていたんだと思います。

僕はそういう想像をして、長崎出張から帰ってきてからキリシタン関係の本をいろいろ読んでみました。そのなかで、この遠藤さんの『切支丹の里』は抜群に面白かった。これは遠藤さんが『沈黙』という名作を書く前、取材で長崎に行ったときのエッセイ的な評論なのですが、それが本当に見事というか、その当時の切支丹たちの状況がよくわかる。

窪田へー。

三島『沈黙』にも描かれていることですが、おもしろかったのは、250年間神父なしでそのままカトリックの教義が受け継がれていったわけではなかったというところです。
どういうふうになっていったかというと、仏教や神道と結びついてどんどん土着的になっていった。つまり、隠れ切支丹は、仏教徒として振る舞いながら、ひそかにキリスト教を信仰していたから必然的に変わっていかざるを得なかったんですね。さらに、もっと村の習慣を取り入れたりしていく信徒たちもいた。

例えば、五島列島の小さい町にはいまも隠れ切支丹はいるんですね。もう隠れる必要はないので、正確には隠れ切支丹ではありませんが。だけど、ある段階で、「キリシタン禁教令」が解かれ、信仰の自由ができた後でさえも、正規のカトリックに戻らずに、独自に進化した民間信仰を信じ続けている人たちがいる。
そうやって、いまでも信仰は二派に分かれているんだそうです。

遠藤さんはカトリック教徒なのですが、地元の人に紹介されて、その「隠れ切支丹の里」に行くわけです。そうしたら、みんな一様に暗い顔をして、おどおどしている。自分の信仰を隠す必要のない現代においてさえ、そういう雰囲気があったそうです。その土地に伝承されているのは、イエスキリストではなくマリア様信仰で、納戸にマリアさまを祀っているのですが、納戸もなかなか見せたがらない。

なぜ見せたがらないのかというと、顔が村のお母さんになっているマリアさまが祀られているのよ。マリア様の顔ではなくて、いわゆる観音様とマリア様が一緒になっている。それをマリア様として祈りを捧げているわけなんです。それってすごく業の深い歴史であって、ほとんど日本の歴史から抹殺されている。それは長崎でさえあまり語られない。

窪田なるほど。

三島遠藤さんの『沈黙』は小説としてよく読まれていると思いますが、『切支丹の里』は名著ですね。面白い評論でした。大浦天主堂を見たところから始まって、こういった歴史を知れたのは非常によかったなと思った一冊です。

ではトリは、丁稚の加藤くん、お願いします。

政治家にはもっとしっかりしてほしい

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『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利、講談社)

加藤はい。私は『白洲次郎 占領を背負った男』(北康利、講談社)を持ってきました。これはNHKのテレビドラマ三部作でも放映しているので、知っている方も多いと思います。

渡辺大河ドラマ「龍馬伝」で高杉晋作役をやっている俳優、伊勢谷友介が白洲次郎役で、正子さんは中谷美紀が演じてましたね。

加藤実は父がこの本の原稿を編集していたので、そのゲラをパクって読んでいたりもしました。書籍化されて改めて読んでみましたが、当時こんなにはっきりと自分の思っていることをストレートに伝えることができた人もいたんだな、と政治が混迷する現代だからこそ再確認してほしいと思いこの本を持ってきました。
「マッカーサーをしかりとばした」とかね、すごいですよね。いまの政治家にもしっかりしてほしいです。

三島なるほど。

木村白洲次郎かっこいいですよね。

加藤でも、実は本当はもっと別の本を持ってこようと思っていたんですけどね・・・。僕が本当に持ってきたかった本は、『かのこちゃんとマドレーヌ夫人』(万城目学、筑摩書房)という本です。これはもう、小説を読んで久々にすごく泣きました。でも、いま友達に貸してしまっていて持って来られなかった。

あとは、ノンフィクションの『シャドウ・ダイバー 深海に眠るUボートの謎を解き明かした男たち』(ロバート・カーソン著、上野 元美訳、早川書房)という本。それは、第2次世界大戦時に沈んだUボートを発見したダイバーたちを描いているんです。その本も紹介したかったです。
けど、家の本棚がごちゃごちゃしてて、きりがなくて見つけられなくて・・・。

いろいろあったんですね。

渡辺「どんだけ本があるんだよっ」っていう感じですよね(笑)

家にあるのは個人の本棚というよりは、みんなの本棚という感じなんですか。

加藤家には書籍がたくさんあるんです。戸棚をあけたら全部本という感じで、1階も床に本が平積みになっている。それで、そこに置けなくなった本は僕と兄の部屋に転送されてくるんです(笑)。

三島すばらしい眺めですね(笑)

木村いいな。うらやましー。

加藤でも昔は本が嫌いでした。大げさに言えば本しかない家に住んでいるのも複雑でした。
でも、そんな家だったんですけど、中学生の頃、電車通学になって、そこで読書習慣がつき、実はとてもいい環境だったんだということに気づきました。

三島これは加藤さんの父上が全部編集されたんですか?

加藤はい。

三島さすがですね。この本、山本七平賞とったんですよね。

渡辺本屋でよく並んでいたのを見ましたよ。

三島これは必読書ですよね。白洲次郎はね、ちなみに勢古浩爾さんが『白洲次郎的』(洋泉社新書)という本を書いているので、それもあわせて読むとさらに面白いと思います。

木村白洲次郎的? どういうことなんですか? 

三島以前「白洲次郎ブーム」というのがあって、いろいろなところで白洲次郎関連の本が並べられてましたよね。そんなとき、勢古さんの『白洲次郎的』が『白洲次郎 占領を背負った男』の横に並べられていて、すごい違和感を感じたのを覚えています(笑)。

窪田じゃぁ、勢古先生は『白洲次郎的』をブームの前に出していたってことですか?

三島いやぁ・・・、ブームの後に出してたような気もする(笑)。

木村おじちゃん、おばちゃんたちのファンもいっぱいいるけれど、実は若い人たちも読んでるんですよね。

三島それともうひとつ『プリンシプルのない日本』(白洲次郎、新潮文庫)も、白洲次郎の本としては代表的ですよね。それは本人の本なんだけど。白洲次郎は小林秀雄とかあのあたりの人たちとつながっていて、陶芸だとか趣味人としての顔もありますよね。

木村白洲次郎のエピソードとして、あるとき白洲正子さんが文章を書いていて、一番上手く書けた、と思ったところを「お前が一番好きなところはここだろう。でも、こんなものはいらない」と言われて、送稿する前の原稿に大きくバッテンをつけられた、みたいな話がありましたね。
「文章を書くにしても何もかにも己に対しても厳しい人だった」と白洲正子さんは書いている。
だけど、その記事読んだとき「どこまで格好いいんだ」と思いましたね(笑)。

三島そう。どこまで格好いいんだって思いますよね(笑)

木村本当にそんな人だったのかな、と思うくらい。
姿勢とか話とかね、格好いいですよね・・・。

三島というところで、今日もありがとうございました。バラエティに富んだ「今月の一冊」になりましたね。どれも読みたくなる本ばかりだなぁ。

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ミシマガ編集部

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