今月の一冊

第6回 2010年12月

2010.12.01更新


大越今日は次に誕生日を迎える人から始めましょうか。

会って話すだけで患者を治す「三軸修正法」とは・・・

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『身体(からだ)の言い分』(内田樹、池上六朗、毎日新聞社)

窪田おっ! では、1月生まれの僕から。今日は内田樹先生と池上六朗先生の共著『身体(からだ)の言い分』(毎日新聞社)を持ってきました。池上六朗先生は三軸修正法という健康法の創案者で、会って話すだけで患者の身体を治すという逸話の持ち主です。内田樹先生も、ぼろぼろになった膝を池上先生のお弟子さんに治してもらったそうです。ちなみに僕は、この本を3冊買いました。

三島なんでですか(笑)

窪田1冊目は自分用。そして、2冊目はプロレスリング・ノアの丸藤選手にプレゼントするため。じつは先日、丸藤選手が肩をケガされて、まったく動かなくなったと聞きましたので、この本が何かの助けになればと思って・・・。

ちなみに、3冊目を買う予定はなかったのですが、紀伊國屋書店梅田本店さんでおこなわれた内田樹先生のサイン会に、「丸藤さんへ」と書いてもらおうと思って持っていったのですが、先生のサインのスピードがあまりにはやく、気づいたときには「窪田篤さんへ」となっていました・・・。さすがにそれをお送りするわけにもいかないので、もう一冊買いました。

内容は、西洋哲学と武道をバックグラウンドにもつ内田先生の身体論と池上先生が独自に考えだした「三軸修正法」という身体論が交錯する「それ、本当ですか?」と思うような対談本になっています。

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とくに第3章の「感動体験すればいい」がおもしろかったです。「気持ちは伝染する」という節から始まるのですが、極端にまとめると、池上先生は「患者に対してはなにもしなくていい」とおっしゃっているんです。常に自分自身の身体を気持ちのよい(一番自然な)状態に保っていれば、それが患者に伝染する。だから、会って話をするだけで相手の悪いところが治るんだそうです。

ポイントは「患者のために、患者のことはなにも考えない」ことだとおっしゃっていました。患者のことを考えると患者の状態に引っ張られてしまうので、自分の好きなことだけ、自然のことだけを考えておく。常に自然のなかにいる状態の自分の身体を思い出しておけば、患者は自然に治る。だから、患者のことは考えない。それが患者のためになると。

三島「電話で話しただけで治る」という逸話もあるそうですね。

窪田すごいですよね~。もともとは船乗りで、その経験をもとに「三軸修正法」という治療法をオリジナルで発明したそうです。

渡辺治るというのは、膝の痛みや肩のコリが治るんですか。

窪田たぶんそんな感じだと思います。内田先生は合気道の稽古で膝を痛めて、階段も上れなくなってしまったそうなんですが、池上先生のお弟子さんである三宅先生の診療に通うことで治ったそうです。整形外科の先生には、手がつけられない状態といわれるほどひどかったみたいなんですけど。

三島「大丈夫ですよ。治ります」と言われて、3カ月後くらいに本当に治っていた。

加藤薬とか出ないんですか?

窪田でませんね。とにかく不思議ですが、おそらくそういう次元ではないんだと思います。ぜひ、一度読んでみてください。

こんな小説に出会いたくて小説を読み続けている

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『もしもし下北沢』(よしもとばなな、毎日新聞社)

木村では、次は2月生まれの私が行きます。私は、よしもとばななさんの新刊『もしもし下北沢』(毎日新聞社)を持ってきました。私は年がら年中小説を読んでいるのですが、こういう小説に出会いたくて小説を読み続けているんだなとあらためて感じた、ほんとうにほんとうに素敵な本です。

物語は、よっちゃんという女の子が主人公で「父親が知らない女と心中してしまった」というショッキングな事件から始まります。

よっちゃんは一人っ子で、自由が丘でお母さんと一緒に暮らしていました。でも、お父さんの出来事が悲しすぎて、お母さんと離れて下北沢に住むことにするんですね。だけど、お母さんも「自由が丘のマンションにはお父さんがいる」と、よっちゃんの借りた下北沢の狭いマンションに転がり込んでくる。そこから、いままでとは違った、すこしおかしな共同生活が始まるんですね。

いつもきれいにしていたお母さんがそうではなくなり、よっちゃんはよっちゃんで心の壁がとれていき、どんどん自由になるにつれ、お父さんの死と向き合っていかなくてはいけなくなり、喪失感と孤独も抱えて生きていくことになる。
でも、時間をかけてよっちゃんとお母さんを救って安心を与えていくのは結局いつも変らずそこにいる人であり、下北沢の街だった。ざっくりいうとそういうストーリーでした。

ストーリー仕立てで言うとよくある話かもしれませんが、最初から最後まで読むものの心を引きつけてやまない素敵な小説でした。
小説を読むということは、自分にはこれが足りなかった、ここがすごく寂しかったんだな、ということを思い出すきっかけにもなります。この素晴らしい小説は、ぼこぼこ自分のなかにあいている穴を埋めて平らにしてくれる感じがしました。

装丁もすごくきれいなんですよ。原画展をやったり、iPadで配信もされているのですが「色が鮮やか!」で、香りや街のいろいろなものが立ち上がってきます。私はだいすきな小説なのですが、男性が読んだらどう思うのかも聞いてみたいです。

三島初期作品はよく読みました。

木村初期とはまた違ったイメージの小説でした。身も心も、ぴたりと言葉になったようで・・・。あらためて『TUGUMI(つぐみ)』(中央公論社、1992)や初期の作品を読み直してみてそう感じました。

三島へ~。それはぜひ読んでみます。

「考え方が変わる瞬間」が丁寧に描かれている

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『泣かない女はいない』(長嶋有、河出書房新社)

3月生まれの私は『泣かない女はいない』(長嶋有、河出書房新社)です。この本は「泣かない女はいない」「センスなし」ふたつの短編でできているのですが、「センスなし」がよかった。

保子さんという女性が主人公で、良一さんという旦那さんがいるのですが、ふたりの間の関係は冷えきっていて、良一さんには愛人がいて、保子さんには高校時代からの友だちにみどりさんという人がいて・・・。
特に事件が起きるわけではなく、保子さんとみどりさんとの思い出や旦那さんとの思い出が淡々と描かれています。

視点や空間の切りとり方は、その人の考え方やいろいろなものが反映されると思いますが、物語の展開とともに、もともと保子さんが持っていた視点が旦那さんやみどりさんとのやりとりを通して変わっていく。いつも見ている風景でも、いままでとは違うものが気になり始める。考え方が変わると同じことをしていても、見方がまったく変わる。その過程が書かれている感じが印象的でした。

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一瞬しかない、見過ごされがちな、自分ではあまり意識できない瞬間をゆっくり丁寧に書いている空気感もとてもいいなと思いました。

渡辺「関ヶ原の合戦」みたいな出来事があって、考え方が変わったわけではないんですね。

林 非常にゆっくり変わっていく。毎日何気なく繰り返していた習慣のなかで、ふと「これは何なんだろう? 私は何をやっていたんだろう?」と気づくみたいな。そこから違うことが始まる。というような、そんな感じの一冊でした。

何気ない生活のなかに、ばっと裂け目ができるような

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『絶叫委員会』(穂村弘、筑摩書房)

星野5月生まれの私は穂村弘さんの『絶叫委員会』(筑摩書房)です。この本を読む前に、ほぼ同じ時期に出ている『どうして書くの?―穂村弘対談集』(筑摩書房)を読みました。現代の短歌や詩がおかれている状況(閉塞感)について、長嶋有さんや高橋源一郎さんなどと対談しています。

おおまかに説明すると、たとえば与謝野晶子さんが「君死にたまうことなかれ」と詠んでいた頃のような、死や戦争が身近にあった時代にできていた短歌と比べると、どんなにいまの若い人たちが頑張っても、コンビニがある時代に育っった人たちの短歌になる。割とその辺りの話を突き詰めていく対談集でした。

それに対して『絶叫委員会』では、逆に、この時代に出てくる詩とはどういうものなのかを考えています。死や戦争から遠いところにいる日本で、生の体験を自分から求めに行ってしまうと、それこそ屋久島の屋久杉を見に行く、というようなことになってしまう。今の時代のリアリティを詩や短歌にするということは、自分たちの日常からはなれた場所を求めて、そこで感じたことを言葉にするというものではないだろうと。

では何か。そこで拾われていることは、普通なら何気なくただ流れて行く生活のなかに、ばっと裂け目ができるような変な言葉、アクシデント的に偶然生まれた詩。穂村さんが拾った日常の詩的なできごとが、ぽんぽんと書かれています。

具体的には、駅の掲示板に「犬、特にシーズ犬」とだけ書いてあったとか、ものすごく暑い日に、涼しい店内から出てきたカップルの彼氏が彼女にむかって「先生、地球がホットです」と言うとか。読んでいると笑ってしまうので、電車で読むと危険かもしれません。おすすめです。

窪田「詩的」という言葉、ニュアンスは、なんとなくわかるんですけど、いったいどういうことかあらためて説明しろといわれるとできない。

星野穂村さんは、その場の状況を破壊するというか、普段何気なく過ぎて、あえて人が取り上げないようなことを言葉にしてしまうこと、というような言い方でおっしゃっていた気がします。
対談集のなかでは、水をコップに入れて渡すのではなくて、スポンジに含ませて渡す。「これはこういうものです」と合理的に説明するように渡すのではなくて、なんだかわからないようなかたちで含ませて渡す。そういうことをおっしゃっていました。

窪田なるほど。詩はちょっと気になりますね。

表の世界の見えないところをいく、骨太な感じが伝わってきます

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『最後の授業―心をみる人たちへ』(北山修、みすず書房)

三島6月生まれの僕は、北山修さん『最後の授業―心をみる人たちへ』(みすず書房)です。先月に引き続き九州つながりで、福岡のブックスキューブリッけやき通り店で、大井店長にすすめていただいて買いました。これは、2010年の春、九州大学退官を前に、 臨床心理学を学ぶ学生たちに向けて行った 「最後の授業 テレビのための精神分析入門」と 「最終講義 〈私〉の精神分析」を収録した、北山先生の授業録です。

北山さんは精神科医でありながら歌手で一時代を築いた方ですね。「イムジン河」で当時ミリオンセラーになって、その後、完全に表舞台から姿を消しました。北山さんは「精神科医は楽屋を見せてはいけない」とプライバシーを外に出すべきではないとおっしゃっています。精神科医の仕事は、表には出せない心(ウラ)をみることで、そのためには、患者に対して「ふたりきりの世界」を提供できなければいけない。患者との密なコミュニケーションは、その場でしか完結できないものなので、自分が表舞台に出るとつくれなくなってしまうと。

専門的な本ですが、この本は授業形式でやっているので、とても読みやすかったです。

この授業は、NHKの教育テレビで放送されたのですが、前半はテレビのなかからテレビの精神分析をしていて、現代的なテーマを扱っていておもしろかったです。テレビでできることとできないこと、顔を隠さないとできないことがあるということを、一般の世界にも応用できる話として学生たちに語っていらっしゃる。ひととおり基礎的な精神分析の考え方がわかるのが後半です。

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北山さんの本を読んだのははじめてだったので、こういう方がいることを知ったのも今回の最大の発見でした。大井さんすすめてくれてありがとうございます、という一冊です。北山さんは、いまもライブでコンサートしたり、CDつくったりしているんだけど、手渡しで500枚とかそんな世界だそうです。そっちのほうが充実していると。これが言えるのはミリオンセラーを経験した先生だから言えることですよね。

大越コブクロの曲を作詞されたりしてるんですね。

三島メジャーという表舞台から退いて、学者として進んで行く。表の世界の見えないところをいく、骨太な感じが読んでいてひしひしと伝わってきました。こういうおもしろい方って世の中にまだまだいっぱいいらっしゃるな、とあらためて気づかせてくれる一冊でした。

木村「いい本ですよ」とすすめてくださる書店員さんがいる本屋さんがあるのもうれしいことですね。

「登山とは何か?」

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『百年前の山を旅する』(服部文祥、東京新聞出版局)

渡辺7月生まれの私はですね、『百年前の山を旅する』(服部文祥、東京新聞出版局)を持ってきました。10月30日放送の「情熱大陸」に出てしまいまして、今後、少しメジャーな人になってしまいそうなのが残念なんですけど。

服部文祥さんは「サバイバル登山家」と自称しており、みすず書房から『サバイバル登山家』という本や、その第二弾で『狩猟サバイバル』という本を出しています。ちくま新書からも一冊出ていたな。

服部さんは「登山とは何か?」という問いの答えは、「自分の力で山を登り、おりてくること」だと考えています。ここからがユニークなのですが、服部さんがいうところの「自分の力」には、現代文明の恩恵にあずかった装備に頼らない、ということも含まれているんです。そういうものに頼って山に挑んで、それで自分の力で山を登ったと言えるのか? というような思いにかられた服部さんは、自分が考える登山スタイルを実行に移していきます。

それは、テントを持たず、装備は最低限のものにして、食料はお米と調味料だけ、基本的に現地調達。山菜をとったり山魚を釣ったり、狩猟しながら、何日間も山にこもる。火器も百円ライターと着火材のみ、という登山スタイルです。それが、「サバイバル登山」。そういう山登りをやってみて、そこでどんなことを思ったか? というのが、これまでの著作のスタイルでした。

では、この本はどういう位置づけかというと、最新の装備を持たずに山に入ると、自然と「昔の人はどういう登山をしていたか?」というところに考えが行きつく。そこで、100年前、田部重治やウォルター・ウエストンといった登山家がたどった山を当時の装備で追体験してみたら、何かが見えるのではないか? という着想を得た。それを実際にやってみて、自分が感じたり見たことが綴られた、ジャンル的には紀行文になるのかな? 全部で7つの山行記が納められています。

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この本、写真も充実してるんですよ。ちょっと見てください。面白いでしょ?
例えば、このストーブは灯油を燃料にするストーブですが、どこかの山奥で拾ってきた廃棄物なんだそうです。昔の人からすれば、このストーブって最新型なんですよ。でも、今の人たちが使うと重いし、プレヒートしないと火がつかないし、登山でこれ使っている人なんてもうほとんどいないですよ。ところが、普段それこそ焚き火で暖をとっているような服部さんが、これを持って冬山に入ったら、一体どうふうに感じるのだろうか、とか。興味湧きませんか?

さっきの穂村さんは、コンビニがある時代の「生きる」「死ぬ」という感覚、「日常のなかにふとできる裂け目」そういうところを「詩」の目線で語っていましたが、服部さんはまた違った、「登山」という観点から人が生き物として生きることを考えている。

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木村本当に身ひとつで登ってますね。靴もわらじだし(笑)

窪田ちょっとしたコスプレみたいになってますね。文明に対する疑問の結果、こういう格好になったというのは、それはそれで正解なのか? って思いますけどね(笑)

渡辺そんな服部さんが今後どの方向に向かって行くのか、ものすごく気になります。服部さんは、普通の人からしたら相当ストイックですけど、でも途中で、くじけちゃって楽しちゃったみたいなことも書いてあったり、どこかストイックすぎないところもあります。この本はいい本ですよ。巻末には参考文献が丁寧につけられていたり。写真もあわせて、ぜひおすすめしたい一冊です。

進軍する戦車のキャタピラの音まで聞こえてくるくらいリアル

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『裸者と裸者 孤児部隊の世界永久戦争』(打海文三、角川書店)

大越8月の私は、打海文三さんの『裸者と裸者 孤児部隊の世界永久戦争』(角川書店)です。打海文三さんはハードボイルド作家で、2004年にこの本を出されたときにはかなり話題となりました。最近ようやく読んだのですが、めちゃくちゃおもしろかったです。

残念ながら、打海さんは2007年に59歳で心筋梗塞を患って亡くなっています。この本を読んで、すごい作家だったんだな、とあらためて思いました。

どんな話かといいますと、近未来の話です。中国の辺境地域が独立し、ロシアで内戦が起こり、日本に大量の難民が押し寄せる。日本も戦乱となって国軍がクーデターを起こし、内戦が始まってしまうという話です。
主人公は、7歳の少年と妹、弟。両親を亡くした3人が、生き延びていく。
こういう話は得てして現実離れして、絵空事のようになりがちですが、この本を読んでいると、進軍する戦車のキャタピラの音が聞こえてくるくらいリアルに感じます。話のスケールのでかさを、文体の正確さが支えてるんですね。大友克洋の『AKIRA』とか、映画で言うと『ブレードランナー』みたいな、ああいう質感があります。

木村最後まですごくおもしろいですよね。打海さんが亡くなったとき、悲しいと思いました。もっとたくさん読みたかったなと。

大越では最後、10月生まれの加藤君。

ゾウの時間 ネズミの時間 中国の常識 日本の常識

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『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』(本川達雄、中公新書)

加藤僕は『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』(本川達雄、中公新書)です。タイトルにあるように、動物のサイズによって動物の持っている時間の流れのはやさが違いますよ、ということが書いてあります。人間の持っている時間は、一日24時間、一年365日ですが、そういったものさしで、ゾウやネズミなどの動物を見るのではなくて、動物の持っている固有の時間で動物たちを調べて行くと、また違った価値観や新しい発見が出てくる、といった本です。

そこから大きく解釈すると、客観的な立場になって物事をみることの大切さが書かれているのではないかと思いました。戦争や紛争、いま話題なのは、尖閣諸島の問題だったりしますが、ビデオが公開されても日本のメディアと中国のメディアではまったく取り上げ方が違うし、理解も違っている。それは、なぜかということを考えたとき、日本の立場からだけ事実をみるのではなく、一度中国と日本を客観的に見て、なぜ見方が違うのか、ということを考えなければ、本質的な問題は見えてこないのではないかな、と思いました。

例えば、いまの世界的な経済不況は、アメリカがお金をまわして儲けようとした結果であったりする。最後には波状して世界中が右往左往していますよね。だけど、いまの中国は、13億人もの人口を抱えて、そのなかで、ものづくりや生活の糧になることを全部手でやろうとしている。コピー商品も多い。

北京オリンピックがはじまる前くらいまでは、まだ治安や法律、ルールも確立できないような状態で、とにかく「生きていく」だけの人たちがいっぱいだった。そんな場所で、ルールに違反しているとか、信号をまもりなさいと非難しても、生きていくことが大事な人たちにとっては、自分たちの常識のほうが圧倒的に優先順位が高い。中国国内だけで成り立っている哲学があって、外から見る中国とはまったく違うんだろうなと。

三島街場の中国論』はそういうことも言っているんですよ。すごいよ加藤君。

窪田そこにつなげて行くんですね(笑)

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大越この本は、私が大学受験の頃にいろいろな学校で問題に出ましたね。動物の体内時計から日本と中国の外交問題につながりました。そんなところで今月の一冊、ありがとうございました!

 皆さんの「今月の一冊」は何でしたか?
 ぜひぜひ周りの人たちと共有してみてくださいね。「意外」な楽しみが待ってますから!

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